第139話

文字数 4,878文字

 「…さあ、着いた…」

 いきなり、大場が言った…

 到着してみれば、長いような、短いような時間だった…

 はっきり言って、いつ、この大場の運転するアルト・ワークスに自分が乗ったか、覚えていない…

 だから、時間がわからなかった…

 いや、

 そうではない…

 バイトが上がるのは、9時だった…

 今は十時…

 だから、一時間弱で、着いたということだ…

 私は、思った…

 そんなことを考えてる間に、大場は、マンションの地下駐車場に、アルト・ワークスを乗り入れた…

 手慣れてる様子だった…

 それから、私を伴って、マンションに入った…

 私は、ただ、黙って、大場の後について、歩いた…

 実は、私は、マンションに入ったのは、初めて…

 友人の中にも、マンションに暮らしている友人はいない…

 だから、興味深いというか…

 怖いというか…

 とにかく、初めて尽くしだった…

 だから、興味はあるが、怖い?から、ただ黙って、大場の後について、歩いた…

 もちろん、大場は、私がそんなことを考えてることなど、知る由もない…

 私と大場は、ほぼ無言で、ツカツカと、マンションの廊下を歩いた…

 エレベーターに乗り、8階のボタンを大場が押した…

 だから、これから向かうのは、8階だと思った…

 大場は、8階に住んでいるのだろう…

 私と大場は、ほぼ無言だった…

 エレベーターの中でも、そうだし、廊下を歩いている最中も、無言だった…

 ただ、ツカツカと、二人が歩いている足音だけが、聞こえた…

 やがて、大場が、ある部屋の前で、立ち止まり、部屋のドアを開けた…


 「…ここよ…」

 大場が小さく言った…

 「…ここが、私の家…さあ、中に入って…」

 私は、大場に促され、部屋に入った…

 マンションの中は、暗く、当たり前だが、人の気配はない…

 私は、ふと不安になった…

 この時間に、大場の家を訪れるということは、今夜、大場といっしょに、この部屋に泊まることになるのではないか?

 例えば、この後、大場と2時間話して、大場が、あのアルト・ワークスで、私を家まで、送ってくれるとは、普通、考えられない…

 と、なると、今から、家に電話するべきではないのか?

 そうしないと、父も母も、心配するに違いいない…

 私は、箱入り娘ではないが、あまり外泊の経験はない…

 私は、そう考えて、

 「…大場さん…」

 と、声をかけた…

 大場はすでに、真っ暗な部屋の電灯のスイッチを入れている最中だった…

 「…なに?…」

 「…今日、これから、ちょっと、電話していい…両親に、今日、帰りが、遅くなりそうだからって、連絡したいから…」

 「…そうね…」

 大場が軽く返した…

 私は、大場に告げたから、安心して、家に連絡しようとした…

 スマホを取り出し、家に連絡を入れようとした…

 と、

 そのときだった…

 なにか、いる気配がした…

 大場は、もちろん、いるが、それ以外に、近くに誰か、いる気配がした…

 いわゆる、第6感と言うヤツだ…

 例え、真っ暗闇の中でも、同じ部屋に誰かいれば、気付く…

 それは、音や、相手の呼吸といったものではない…

 なんとなく、誰かが近くにいる、感じがするのだ…

 以前、

 ずっと以前だが、父が、昔、本を読んで、面白いことが書いてあったと言ったことがあった…

 それは、第二次世界大戦で、戦場をくぐった歴戦の勇士といえば、大げさだが、幾度となく、戦場を経験した兵士の話だ…

 その兵士が言うには、例えば、アメリカ兵と戦っていて、相手が攻めてくるときは、勘でわかると言っていた…

 …来る!…

 と、直観で、わかるというのだ…

 そして、来ると、思った直後に、実際に、敵が攻撃してくる…

 おそらく、幾度となく死地をくぐり抜けることで、感覚が、鋭くなったのか?

 あるいが、それが、人間本来が、備わった能力なのかはわからない…

 しかし、事実として、そういうことがわかるらしい…

 要するに、私でいえば、真っ暗闇でも、近くに誰かいれば、なんとなくわかる…

 その延長線上だ(笑)…

 要するに、目でも耳でもなく、心で、相手の気配を悟るというヤツだ…

 前置きが長くなったが、ふと、そんな気配を感じた…

 私と、大場以外にも、この部屋に誰かいる…

 そんな予感がした…

 私は、それを確かめるべく、

 「…大場…さん…」

 と、言いかけたところで、その人物が、いきなり、私の前に現れた…

 思わず、心臓が止まった…

 いや、

 止まりかけた…

 それは、高雄…

 高雄悠(ゆう)だった…

 私は、驚いたと、同時に、

 …やっぱり…

 と、思った…

 やっぱり、高雄は、大場に匿われていた…

 大場敦子に匿われていた…

 それが、わかった…

 驚いたと、同時に、納得だった…

 が、

 やはり、驚いたことは、驚いた…

 「…高雄…」

 私は、いつのまにか、高雄の名前を口にしていた…

 が、

 高雄のトーンは低かった…

 「…やっぱり、連れてきたんだ…」

 むしろ、悲しそうだった…

 その高雄の後ろから、

 「…出てきちゃ、ダメ…」

 という声がした…

 長身の高雄の陰に隠れて、見えなかったが、その声の主は、大場だった…

 「…アンタは、隠れていなきゃ…」

 大場が言う…

 「…一発逆転か…」

 高雄…高雄悠(ゆう)が、自嘲的に呟いた…

 …一発逆転?…

 …どういう意味?…

 私は、思った…

 私が驚きで、言葉をなくしていると、高雄の背後から、大場が顔を出した…

 そして、

 「…私たち、嵌められたの…」

 と、小さく言った…

 「…嵌められた?…」

 私は、言い、

 そして、

 「…誰に?…」

 と、付け加えた…

 「…大場小太郎…」

 間髪を入れずに、二人が同時に答えた…

 …大場小太郎に嵌められた?…

 意味がわからなかった…

 たしかに、大場小太郎が、杉崎実業の中国への不正輸出を知ってから、それを亡くなった高雄組組長を罠に陥れるために、杉崎実業の株を買い占めさせたことは、わかった…

 杉崎実業の経営権を握るほどの大量の株を買い占めた高雄組組長は、その後、杉崎実業が、中国へ不正に製品を輸出している事実が、暴露されたことにより、杉崎実業の株価が暴落…

 大変な損害を被った…

 高雄組組長の自殺の遠因だ…

 だから、高雄悠(ゆう)が、大場小太郎に嵌められたというのは、わかるが、大場の娘の敦子が、大場小太郎に嵌められたというのが、わからなかった…

 「…高雄さんが、大場さんのお父様に嵌められたというのは、わかる…杉崎実業の一件があるから…でも、大場さんが、お父様に嵌められたと言うのが、わからない…」

 私は、率直な思いを口にした…

 疑問を口にした…

 「…私は、利用されたの…」

 大場が吐き捨てた…

 「…利用? …どういうこと?…」

 「…この高雄悠(ゆう)…この悠(ゆう)を通じ、杉崎実業の株を高雄さんに買わせる一端を担ったのが、私だったの…」

 「…どういうこと?…」

 「…ほら、私は、昔から、高雄さんとも、悠(ゆう)さんとも、付き合いが、長いでしょ? だから、杉崎実業の株を高雄さんが、買い占めると言ったとき、この悠(ゆう)にも、そうすればいいと、私が吹き込んだというか、説得したというか…悠(ゆう)の夢が、いつかは、高雄組をまともな会社にしたいっていうのは、知っていたし…パパから、そうすれば、杉崎実業を通じて、悠(ゆう)君の夢も実現できるって、後押しされたの…」

 …そういうことか?…

 たしかに、杉崎実業の株を買うには、100億以上は優に使ったと、自殺した高雄組組長は言った…

 いかに、経済ヤクザとして、有名な高雄組組長とて、100億を超える金を投入するのは、判断に迷う…

 だから、大場代議士は、高雄組組長を嵌めるために、娘の敦子を使って、悠(ゆう)を説得したわけだ…

 悠の夢は、高雄組組長の夢でもあった…

 ヤクザではなく、一般の投資家と生きるというか…

 投資会社として、存続するというか…

 その夢を大場代議士は、利用したわけだ…

 なにより、自殺した高雄組組長は、この悠(ゆう)を溺愛していた…

 だから、大場代議士は、高雄組組長の弱みは、悠(ゆう)だと、喝破していたに違いない…

 ずばり、見抜いていたのだろう…

 その悠(ゆう)に、杉崎実業の株を、買えばいいと、父の高雄組組長は、言われて、大いに、気持ちが揺れ動いたに違いない…

 誰もがそうだが、信頼する身内に言われると、弱いというか…

 普通ならば、けんもほろろに断ることが、それができなくなる…

 また、判断力も鈍る…

 そんなこと、あるわけない!

 と、断言することが、

 もしかしたら、できるかも?

 と、まで、大きく心が揺れ動くというか…

 正常な判断が下せなくなる…

 以前、これも父が言っていたが、大昔に、牛丼の吉野家が、倒産したときに、当時、ダイエーの中内功が、吉野家を買おうかどうか、悩んでいたときがあったそうだ…

が、溺愛する娘が、

 「…パパ…いまどき、牛丼なんて…」

 と、否定的なことを言ったので、買わなかったと言われている…

 やり手の経営者でも、娘には、弱かったといえるし、別の見方をすれば、娘にそれほど、力があったとも言える…

 溺愛する家族には、優れた経営者でも判断を狂わせる力がある(笑)…

 そういうことだ…

 無論、中内功が、当時、吉野家を買収しなかったのは、娘のアドバイスだけではなかったろうが、買収しないと、決断する遠因には、なっただろう…

 私は、それを思い出した…

 「…だから、大場代議士を刺した?…」

 「…いや、刺してない…」

 悠(ゆう)が、即答した…

 「…刺してない?…」

 「…ボクは、大場さんと会ったけど、刺してない…ただ、オヤジを嵌めたことが許せなくて、大場さんを怒鳴ったというか…とにかく、言わずには、いられなかった…」

 高雄が言う…

 たしかに、高雄の言う通りかもしれない…

 誰が、どう見ても、眼前の高雄が、ひとを刺すようには、見えない…

 「…でも…だったら、どうして?…」

 「…それは、ボクにも、わからない…ただ、テレビや新聞やネットでは、ボクが大場さんを刺して逃亡しているように報道されて…」

 眼前の高雄悠(ゆう)が、戸惑ったように、言う…

 私は、その高雄悠(ゆう)の表情を見て、ウソを言っているようには、見えなかった…

 私は、考える…

 テレビや新聞やネットでは、この高雄悠(ゆう)が、大場代議士を刺したように、報道している…

 と言うことは、当然、情報のソースがある…

 普通に考えれば、刺された大場代議士が、誰に刺されたと、聞かれて、

 「…高雄…高雄悠(ゆう)…高雄組組長の息子だ…」

 と、答えたに違いない…

 だから、この高雄悠(ゆう)が、大場代議士を刺したと、報道されたに違いない…

 だが、それを今、この高雄悠(ゆう)は、否定した…

 そして、それを信じるならば、犯人は別にいる…

 その犯人は、やはり、この高雄悠(ゆう)同様、あの大場代議士がSPを身近に置かずに、会うほど、身近な人間に違いない…

 報道によると、刺された大場代議士は、一人で、部屋から出てきた…

 部屋には、大場代議士以外、誰もいなかった…

 そして、この高雄悠(ゆう)は、間違いなく、大場代議士に会っている…

 それは、SPも見ているに違いない…

 チェックしているに、違いない…

 それこそ、家族のような身内でもない限りは、どんな人間も大場代議士と会う前に、身元をチェックされるからだ…

 家族?

 ふと、思った…

 この大場敦子は、たしか、以前、

 「…高雄…悠(ゆう)さんから、パパを刺したと連絡があって…」

 と、私に告げた…

 だが、今、その当人である、高雄悠(ゆう)は、刺してないと、否定した…

 これは、一体、どういうことだ?

 つまり、あのとき、大場敦子は、私に、ウソを言ったことになる…

 だったら、なぜ、私にウソを言ったのか?

 疑問ができる…

 もしかして?

 もしかして?

 大場代議士を刺したのは、この大場敦子?

 大場代議士と血が繋がってない、娘の敦子?

 突如、私の脳裏に、そんな考えが浮かんだ…

               
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