第24話

文字数 6,147文字

 後部座席は、広かった…

 やはりというか、大物組長の乗るクルマだ…

 そして、私は、不意に、林を思い出した。

 私と同じく、杉崎実業に内定した林…

 あの大金持ちのお嬢様の林だ…

 あの林に招かれたときも、今と同じく、大きなクルマに乗った…

 私は、それを思い出した…

 そして、失礼ながら、今、私が乗った、このクルマよりも、林が用意したクルマの方が、大きかった…

 豪華だった…

 私は、それを思い出した…

 「…どうしました? …お嬢さん?…」

 同じく、後部座席に乗り込んだ、高雄の父親が、私に訊いた…

 私は、なにか、言わなければ、ならないと考え、

 「…ずいぶん大きなクルマだと思って…」

 と、当たり障りのないことを、言った…

 それに、こう言えば、このクルマを褒めたことになる…

 誰でも、自分の持つクルマを褒められて、悪い気がする人間は、いない…

 まして、相手は、ヤクザだ…

 異常なまでに、面子を気にする輩(やから)だ…

 だから、言ってみて、そう口にしたのが、正しいと、思った…

 我ながら、そう思った…

 自画自賛した…

 が、高雄の父親の反応は、私が想定した反応とは、違った…

 大げさに言えば、真逆だった…

 「…そんなことはないですよ…お嬢さん…」

 ゆっくりと、高雄の父親が言う。

 「…このクルマは、大したクルマじゃありません…現に、お嬢さんも知っている、杉崎実業の内定者の林さんは、マイバッハといって、このクルマよりも、遥かに、高級です…」

 私は、高雄の父親の言葉に、仰天した…

 文字通り、仰天した…

 まさか、高雄の父親の口から、林のことが出るとは、思わなかった…

 と、同時に、気付いた…

 いや、考えた…

 この高雄の父親は、あの杉崎実業の内定者、全員の素性を掴んでいる…

 そんな当たり前のことに、今さら気付いた…

 さらに、私を驚かしたのは、

 「…お嬢さんも、あのマイバッハに乗ったことがおありでしょ?…」

 と、高雄の父親が、続けたことだ…

 私は唖然として、つい、うっかり、隣に座る、高雄の父親の顔を見た…

 高雄の父親は、にったりと、私を見て、笑った…

 「…どうです? …お嬢さん…驚いたでしょ?…」

 まるで、子供のように、無邪気な表情で、私に笑いかけた…

 普通なら、車内とはいえ、暗闇なので、わからないが、このときばかりは、互いに、距離が近いので、わかった…

 …調べている…

 …調査している…

 そんな当たり前のことが、わかった瞬間だった…

 と、同時に、私は、どうしていいか、わからなかった…

 この後、高雄の父親に、どう対応していいか、わからなかった…

 思わず、高雄の父親の顔を間近に見ながら、考え込んだ…

 そんな私の困った顔を見て、

 「…私は、子供の頃から、手品が大好きなんです…」

 と、高雄の父親が思いがけないことを、口にした…

 「…手品?…」

 「…そう…手品です…」

 「…どういう意味ですか?…」

 「…ほら、誰もが、手品を見ると、驚くでしょ? …私は、それが好きなんです…子供っぽいと、自分でも、よく思いますが、ひとを驚かすのが、好きなんです…」

 私は、高雄の父親の言葉に、考え込んだ…

 手品…

 つまりは、この場合は、私が知らないと思っていることを、突然、言って、私の反応を見る…

 当然、目の前の高雄の父親は、事前に、私の行動を読んでいる…

 その上で、なにを言えば、相手が驚くか、考えて、口にする…

 そんな手品師のような相手に、私はどう対応すればいいか…

 どう立ち向かえば、いいか…

 悩んだ…

 だが、当然、答えは出ない…

 私は、一瞬、考えたが、

 「…このクルマの名前は、なんと言うんですか?…」

 と、話題を変えた。

 そうするのが、一番と思えたからだ…

 私が、とっさに話題を変えたことに、高雄の父親は、面食らった様子だった…

 「…キャデラックです…」

 と、それでも、丁寧に答えた。

 自分の娘同様の年齢の私に、真剣に怒ることはできないからに違いない…

 「…どうして、キャデラックなんですか?…」

 私は訊いた…

 私は、あまり、クルマのことは、詳しくはない…

 が、

 「…普通は、ベンツとか、ロールス・ロイスじゃないんですか?…」

 と、続けた。

 実は、私はベンツもロールス・ロイスも違いがよくわからない…

 誰もが知るクルマの名前だから、口にしたに過ぎない…

 高雄の父親は、少し考え込んでから、

 「…アメリカ映画の影響です…」

 と、答えた…

 「…アル・カポネ…マフィア…映画の中のマフィアはかっこ良かった…それに憧れたから、アメ車に乗ってます…」

 高雄の父が言った。

 そして、笑った…

 「…まさか、お嬢さんのような年齢の女のコに、なぜ、私が、キャデラックに乗っているか、説明するとは、思わなかった…同業者には、よく聞かれますが…」

 そう言って、高雄の父親は、苦笑する…

 「…それに、キャデラックは被らないんです…」

 「…被らない? …どういう意味ですか?…」

 「…同じキャデラックを乗る人間は、あまりいない…どこの世界もそうですが、例えば、サラリーマンでも、上司が、200万円のクルマに乗ってるのに、部下が、500万のクルマに乗っていては、面子が立ちません…だから、私の地位で、私より上の人間が乗るクルマに、私が乗ることはできない…さして、高価でもなく、それでいて、誰も乗ってない…だから目立つ…このキャデラックはそんなクルマです…まさに、私向きのクルマです…」

 高雄の父親は苦笑した…

 が、私は、高雄の父が、今の自分自身の地位に、自慢と不満を感じてるのでは?…

 そう、思った…

 あるいは、なにげなく言ったに過ぎないかもしれないが、私は、そう感じた…

 もっと大きなクルマに乗りたい…

 だが、立場上、できない…

 だから、高級車だが、それほど、高級でないクルマ…

 しかし、誰よりも、目立つクルマが欲しい…

 私は、高雄の父親の本心を、そう見た…

 睨んだ…

 深読みのし過ぎかも知れないが、考えた…

 「…郷愁というものも、あるかもしれません…」

 高雄の父親が続ける。

 「…郷愁? …どんな郷愁ですか?…」

 私の言葉に、高雄の父親が、怪訝な表情で、私を見た。

 だから、

 「…いえ、郷愁の意味はわかります…ただ、どんな郷愁かと思って…」

 私の言葉に、高雄の父親は、ジッと私の顔を見続けた…

 それから、

 「…不思議なお嬢さんだ…」

 と、文字通り、感嘆するように、言った…

 「…不思議? …なにが、不思議なんですか?…」

 「…失礼ながら、お嬢さんは、私の娘ぐらいの年齢です…しかも、今日が初対面です…にもかかわらず、こうして話していると、歳の差を感じさせないということは、ありませんが、つい、お嬢さんの質問に、真摯に答えなければならないと、思ってしまう…」

 心底、不思議そうに、呟いた…

 「…不思議なお嬢さんだ…」

 私は、高雄の父親の反応が、以外と言うか、想定外のものだったので、どう答えていいか、わからなかった…

 だから、

 「…」

 と、黙った…

 答えなかった…

 すると、

 「…お嬢さんが、質問した郷愁の意味ですが…」

 と、高雄の父親が、口を開いた…

 「…要するに、思い出です…」

 「…思い出?…」

 「…私の場合は、さっきも言ったように、子供の頃に、マフィア映画を見て、その影響で、アメ車に憧れた…それが、郷愁です…私の世代では、子供の頃にスーパーカーブームというのがあって、フェラーリとかランボルギーニとかいうクルマが人気でした…その中で、とりわけ人気だったのが、ロータス・ヨーロッパというクルマです…」

 「…ロータス・ヨーロッパ? …」

 初めて、聞く、名前だ…

 「…ハイ…ロータス・ヨーロッパです…漫画の主人公がそれに乗っていて、その漫画が、当時、爆発的に人気がありました…もう五十年近く前です…ですが、今も、当時、ロータス・ヨーロッパに憧れた子供が、大人になって、当時のロータス・ヨーロッパを購入する人間が、います…私には、そこまでの真似はできません…」

 「…五十年前のクルマを購入ですか?…」

 「…ハイ…」

 私は、唖然とした…

 五十年といえば、私の二倍以上の年齢だ…

 そんな大昔のクルマを購入したいなんて?…

 文字通り、絶句した…

 「…お嬢さん、驚いたようですね…」

 「…驚きました…」

 「…実は、私も、驚きました…」

 「…高雄さんのお父様も驚いた?…」

 「…だって、五十年近く前のクルマを、購入しようなんて、どう考えても、普通じゃないでしょ?…」

 「…」

 「…でも、それをしている人間を見て、私は感じました…」

 「…なにを感じたんですか?…」

 「…大げさに言えば、執着心というか…当時の子供が大人になって、五十年経っても、そのクルマを欲しがる…とても、勝てないなと、私は思いました…」

 「…勝てない?…」

 「…ハイ…私は、それほどの執着心はありません…だから、例えば、今、購入するとすれば、同じロータスでも、最新型のものを購入します…その方が現代的でしょ…」

 私は、高雄の父親の言葉に、素直に頷くことはできなかった…

 だから、

 「…」

 と、黙った…

 すると、

 「…どうしました? …お嬢さん?…」

 と、高雄の父親が訊いた…

 「…なんか、羨ましいなと思って…」

 「…羨ましい? なにが?…」

 「…そんなに想ってくれることが…」

 「…想ってくれること?…」

 「…クルマでも、人間でも、そんなに長く想ってくれるなんて、ありえないじゃないですか? そう考えると、羨ましいです…」

 私の言葉に、今度は、

 「…」

 と、高雄の父親が黙り込んだ…

 「…たしかに、そうかもしれない…」

 ポツリと呟いた…

 「…そんなふうに、考えなかった…」

 それから、私を見て、

 「…人間って、面白いですね…」

 「…なにが、面白いんですか?…」

 「…お嬢さんのように、自分の娘ぐらいの年齢の女のコに、自分が、考えもしないことを教えてもらう…この歳になって、つくづく自分一人の頭では、なにもできないと、今さらながら気づかされます…」

 「…」

 「…私も組織の人間です…だから、自分一人では、なにもできないことがわかっているつもりでした…でも、やはり、わかってなかったのかもしれない…」

 「…」

 「…そして、今、お嬢さんとお話して、気付きました…」

 「…なにを気付いたんですか?…」

 「…自分のダメさ加減と言っては、なんですが、執着心が足りないことにです…」

 「…執着心が足りない?…」

 「…今、お嬢さんが、言いました…それほど、想ってもらえるのは、嬉しいと…」

 「…」

 「…クルマも人間もいっしょです…50年前のクルマに恋をする…そして、それが、忘れられずに、そのクルマを50年後に買う…これが、執着心です…ですが、私は、今、お嬢さんに言った通り、そんな執着心はありません…仮に、購入するとしたら、同じロータスでも、最新型を購入します…」

 「…でも、それが普通なんじゃ…」

 「…たしかに、お嬢さんの言う通り、それが普通なのかもしれません…でも、見方を変えれば、執着心がない…どうしても、これが欲しいという気持ちがない…」

 「…」

 「…私に足りないものは、執着心と言われたことがあります…組織でも、なんでも、上昇志向に欠けると、ひとから、言われたことは、一度や二度では、ありません…」

 「…でも、上昇志向って、ない方がよくないんじゃ…」

 「…どうして、ですか?…」

 「…なにか、カッコ悪いというか…いえ、能力があれば、いいんですよ…でも、例えば、会社でもなんでも、学歴が劣るのに、自分より上の学歴の人間を目の敵(かたき)にしたり、それでいて、誰が見ても、その人間の頭が悪ければ、失笑ものです…」

 「…失笑もの? …ですか?…ですが、お嬢さんは、よく、そんなことがわかりますね…」

 「…父が、昔、就職したときに、バブルだったんだそうです…」

 「…バブル…」

 「…だから、その時代じゃなきゃ、採用されない人間を、数多く見たと言ってました…ときどき、父がその話をするので…」

 私の言葉に、高雄の父が、

 「…」

 と、考え込んだ…

 それから、

 「…お嬢さんのお父さんの言うことはわかる…」

 と、呟いた…

 「…たしかに、私もあの時代を経験しましたが、明らかに異常でした…だから、お嬢さんのお父さんの言うことは、わかる…」

 「…高雄さんのお父様は、頭が良すぎるんじゃ、ありませんか?…」

 「…私が、頭が良い? …どうして、そう思うんですか?…」

 「…さっき、言った執着心です…会社でも、なんでも、上に上がりたいとかいう上昇志向を持つのは、誰でもあると思います…でも、身の程を知るというか…大抵は誰でも、自分の能力って、わかるじゃないですか? …でも、わかるってことは、それ以上、はみ出さないというか?…」

 「…はみ出さない? …どういう意味ですか?…」

 「…自分の能力は、この程度と、自分で決めてしまう…すると、周りが、オマエは、もっと上に行けるんだといっても、そうは思わない…結果的に、別の人間に追い越されるというか…チャンスを生かせないというか…」

 私の言葉に、高雄の父は、

 「…」

 と、考え込んだ…

 私は、それを見て、慌てて、

 「…すべて、父の言葉の受け売りですよ…」

 と、付け加えた。

 事実、父が、時折、家で、言った言葉だからだ…

 それでも、まだ高雄の父は、考え込んだままだった…

 「…まさか、お嬢さんと話して、自分が教えられるとは…」

 と、感嘆したように、呟いた…

 「…つくづく、人間は、年齢じゃないですね…」

 高雄の父が言う。

 「…実は、私も、お嬢さんと、同じ意見です…」

 「…同じ意見?…」

 「なにか、剥き出しの上昇志向って、カッコ悪いじゃないですか? …私もそれが嫌で…」

 恥ずかしそうに、言った。


 「…自分は、それが嫌で、嫌で…でも、お嬢さんが言ったように、それで、チャンスを逃してきたことがあったのかもしれない…」

 高雄の父が、意味深に言った…

                
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