第21話

文字数 5,597文字

 高雄の父親がやってきたとき、私はまたも不在だった…

 いや、

 正確には、不在ではない…

 ちょうど、出勤途中だった…

 前回、林を見たときと、同様、私は、自分のバイトするコンビニを目指して、疾走中だった…

 全力で走っていた…

 私は、以前も言ったが、自分で言うのもなんだが、結構責任感の強いタイプ…

 だが、そんな責任感の強い私も、このところの騒動?で、結構、へばっていた…

 メンタルがやられていた…

 だって、そうだろう?

 自分が内定した会社が、たぶん、ヤクザのフロント企業で、しかも、それだけで、十分、驚きなのに、自分同様、内定が決まった女たちは、皆、お金持ちのお嬢様ときている…

 内定した杉崎実業が、ヤクザのフロント企業かもしれないというだけで、驚きなのに、そんなお嬢様たちが、どうして、そんなヤクザのフロント企業に、入社を希望するのか?

 しかも、

 しかも、だ…

 その話に、ウソはない…

 普通ならば、眉唾物と、一刀両断に切り捨てても、いい話だが、あの林の自宅に招かれて、そんな話を聞いた以上、ウソではないと、思った…

 あの日本式家屋の大豪邸に招かれて、話を聞いた以上、十分に信じられると、思った…

 この竹下クミは、平凡…

 平凡、極まりない女だ…

 だから、もしかしたら、林に騙されている可能性もないではない…

 つまり、ある(笑)…

 だが、あんな豪邸に招かれて、話を聞いた以上、信じないわけにはいかなかった…

 私は、そんなことを、考えながら、ここ数日、過ごした…

 とにかく、考えることがあり過ぎる…

 もしかしたら、この竹下クミの人生始まって以来、考えることがあり過ぎる時期だったのかもしれない…

 普通に、就職したかった…

 私は、ここ数日、そんな悩みを抱えていた…

 平凡な私にふさわしい、平凡な就職をしたかった…

 じゃ、一体、平凡な就職って、なんだ?

 と、いうことになる…

 私にとって、平凡な就職とは、まずは、ブラック企業じゃないこと…

 今の時代、これが重要…

 なんにもまして、重要だ(笑)…

 ブラック企業に就職したら、洗脳される…

 これが、なにより怖い…

 誰でもそうだが、自分の父親ぐらいの年齢の親の世代に訊いても、普通は、5社も10社も転職した経験はない…

 まして、昔からある、誰でも知る大きな会社…

 例えば、トヨタや日立などの大企業で、出世する人間は、大抵は、その会社しか知らない…

 純粋培養の人間だ(笑)…

 つまりは、世間でいうエリートほど、視野が狭いというか、経験が浅い…

 そして、日本では、それが当たり前というか、スタンダードだ…

 弱冠、話はそれたが、私が言いたいのは、つまり、ひとつの会社に入社して、その仕事というか、環境に慣れると、それが、当人にとって、世間の会社のスタンダードになってしまうことだ…

 わかりやすい例でいえば、毎朝9時に出勤して、夜の9時まで、仕事をして、月給が、25万としよう…

 あなたは、まだ若いのだから、どんなに働いても、世間では、給与は、25万なんですよ、と言われたら、それを信じる人間が多い…

 そして、なにより、長時間、働いていると、思考力といえば、大げさだが、考える力が、失われてゆく…

 転職を考えるよりも、日々の業務に忙殺されて、精一杯の毎日を送るようになる…

 実際、問題、転職を考えることよりも、目の前の仕事をこなすことで、精一杯…

 とてもじゃないが、他社の面接を受けたりする時間もない…

 だから、流されてゆく…

 仮に、自分が今いる会社がブラック企業だと気付いても、転職に割く時間がない…

 また思考力も低下するため、ブラック企業の上司がよく口にする言葉…

 …この会社で、音(ね)を上げるのならば、どこに行っても使い物にならない…

 とか、

 …オマエレベルの人間が、この会社よりも、上のランクの会社に転職できるわけがない…

 とか、

 極めつけは、

 …どこの会社に勤めても、同じ…

 の一言だろう…

 仮にブラック企業に勤めれば、そうなってしまう可能性が高い…

 今の時代、ネットが整備されて、これまでの、どの時代よりも情報が格段に溢れているにもかかわらず、身近なことはわからない…

 自分がブラック企業にいたとしても、それをわからない人間が、数多く存在する…

 所詮、情報は、情報だ…

 情報に過ぎない…

 どうしても、身近な人間から、聞く言葉に、頼ってしまうというか、信じてしまう…

 要するに、身近な友人、知人、会社の同僚などに、自分が今いる会社が、ブラック企業だと指摘する人間がいないと、自分が、ブラック企業に席を置いている現実にすら気付かない人間が多い…

 これほど、情報が溢れている現代においても、気付かない人間が多いのだ…

 しかしながら、それが、現実だ…

 私は考える。

 以上、そんなことを考えながら、私は、ここ数日、過ごしていた…

 本当ならば、あの林に連絡をとって、いろいろ、訊こうとも、考えたが、また林に接触して、林の言葉を聞き、林に洗脳されるのが、怖いと言うか…

 あの大豪邸に、あのマイバッハという黒塗りの高級車…

 あんな大金持ちの姿を見れば、どうしても、林の言葉を信じてしまう…

 林の言葉を鵜呑みにしてしまう…

 要するに、ブラック企業に勤めることと、同じく、林に洗脳されてしまう危険がある…

 私は、それに気付いたから、悩んだ挙句、林に連絡を取らなかった…

 別の見方をすれば、だから、余計に悩んだのかもしれない(笑)…

 そんな悩みを抱えた、ここ数日だから、バイトに遅刻しそうになったのかもしれない…

 だから、私は、猛烈に走った…

 無我夢中で走った…

 こんなことを言うと、語弊があるが、走ることは、爽快だった…

 いや、

 カラダを動かすことが、爽快だった…

 ここ数日、悩み過ぎていた…

 だから、こんなふうにカラダを動かすのが、爽快だった…

 なんとも、気持ちよかった…

 本当は、一刻も早く、バイトするコンビニに急がなければ、と考えながらも、一方では、そんなことを考えていた…

 もっと、走りたい…

 なぜか、そんな思いが、心の底から、湧き出てきた…

 もっと、思いっきり走って、すべてを忘れたい…

 走ることで、頭の中を空っぽにしたい…

 つまるところ、行きつく先は、そこだった(笑)…

 そんなことを考えて、慌てて、私は、バイトするコンビニに入った…

 だから、そのときに、林の乗ったマイバッハ同様、黒塗りの高級車に乗った高雄の父親が、私を見ていたことなど、まったく気づかなかった…

 残念ながら、露ほども、気付かなかった…

 もっとも、走っていなくても、気付かなかっただろう…

 何度も言うが、私はとろい…

 とろい人間だ(笑)…

 他人様が、気付いた後で、一番最後に気付く人間だ…

 だから、どんな状況でも、気付かなかっただろう…

 これには、自信がある(笑)…

 私が、コンビニに入ったのを、見届けてから、高雄の父親は、私のバイトするコンビニにやって来た…

 私が、コンビニのバックルームに入って、コンビニのユニホームを着て、店に出ると、ほほ同時に、高雄の父親が店に入って来た…

 そして、当然のことながら、私は、それに気付かなかった…

 気付くほど、私は、有能ではないということだ(笑)…

 だから、これまで、内定も一つも取れなかったのだろう(涙)…

 以前、このコンビニのバイト仲間の当麻が、私を評して、

 「…竹下さんが、内定を取れないのは、頼りがいがないからですよ…やっぱり面接で、採用するのは、一言で言って、使えそうなヤツじゃないですか? 竹下さんは、全然そういうタイプじゃないし…」

 と、私を喝破したのは、けだし名言というか…

 当たっている…

 当たり過ぎていて、反論できないのが、我ながら辛い(涙)…

 私がユニホームを着て、店に出て、商品を見て、棚から少なくなってきている商品を確認…

…バックヤードに戻って、同じ商品を探して、補充しようかどうしようか考えてると、ふと、背後に、ひとの気配を感じた…

 てっきり、私は、お客様が、商品を選ぶのに、私が、邪魔なのでは? と、思った…

 コンビニは小さい…

 だから、どうしても、私のような店員が、商品を補充するときなどは、邪魔になって、しまうことが多い…

 このときも、そうだと思った…

 だから、

 「…スイマセン…」

 と、呟いて、棚から、どいた…

 お客様の視線の邪魔にならないように、カラダを動かした…

 すると、どうだ?

 「…竹下さんですね?…」

 と、いきなり声がかかった…

 …なにっ?…

 私は、驚いた。

 このコンビニで、バイトを始めてから、かなり経つが、いきなりお客様から、自分の名前を呼ばれたことは、数えるほどしかない…

 もっとも、これは、誰でも同じだろう…

 バイトでもパートでも、お客様から、自分の名前を呼ばれることは、滅多にない…

 名前を呼ばれるときは、店長や同僚など、コンビニで働く仲間や、納入業者などの関係者…

 あるいは、友人、知人が大半だ…

 見知らぬ、お客様から、

 「…ちょっと、店員さん…」

 と、呼ばれることはあっても、いきなり自分の名字を呼ばれることなど、普通はありえない…

 だから、驚いた…

 ビックリした…

 私は慌てて、そのお客様を見た…

 長身の穏やかそうな紳士…

 すらりとして、カッコイイ…

 どこかの会社のエリートっぽい…

 そんな第一印象だった…

 しかしながら、その紳士を見ていると、どこかで、見た顔だと、ふと気付いた…

 どこで、見たのだろう?

 私は、考える…

 たしかに、どこかで、見た…

 だが、どこで、見たのか、わからない…

 とっさなので、名前がわからない…

 だが、たしかに見た覚えはある…

 たしかに、この眼前の紳士を私は知っている…

 そう思った…

 そのときだった…

 「…高雄…高雄悠の父です…初めまして…」

 と、紳士は、丁寧に私に頭を下げた。

 「…高雄さんの父親?…」

 私は、バカみたいに、同じ言葉を繰り返した…

 そして、ぶしつけに、ジロジロと、高雄の父親を見た…

 …高雄の父親…

 …高雄組組長…

 …日本で、二番目に大きなヤクザ組織のトップになるかもしれない人物…

 そんなプロフィールが、私の頭の中で、目まぐるしく駆け巡った…

 しかし、

 しかし、だ…

 そんなプロフィールと、目の前の人物は、どうしても一致しなかった…

 今、私の目の前に現れた人物は、すらりとした長身の穏やかな紳士…

 誰がどうみても、大きな会社のエリートサラリーマンという肩書がふさわしい…

 暴力のぼの字の雰囲気もない…

 だが、たしかに、目の前の人物は、高雄組組長だ…

 テレビで見た、高雄組組長に間違いはない…

 そう、考えると、私はその場に棒立ちになった…

 ヤンキーやヤクザが大の苦手…

 暴力が大の苦手な、この平凡な竹下クミの目の前に、日本を代表する暴力団の組長がいる…

 我ながら、驚いた…

 自分の置かれた現実に驚いた…
 
 そう、考えると、足がガクガクと震えても、おかしくはない…

 しかし、足は震えなかった…

 高雄組組長と言う、暴力を代表する肩書と、目の前の穏やかな紳士が、どうしても一致しなかったからだ…

 目の前の人物と、高雄組組長と言う肩書が、ウソのように、一致しなかった…

 私の目の前にいる長身の紳士は、むしろ、どこか優雅だった…

 知的というか、育ちの良さを感じた…

 雰囲気を感じた…

 人間は、どうしても、雰囲気でひとを判断しがちだ…

 例え、東大を出ていても、頭が良く見えなく、東大を出ていることを周囲の者が知らなければ、その人間が、東大を出ていることに、誰も気付かないだろう…

 著名人で、言えば、失礼ながら、弁護士の本村健太郎氏がそれに当てはまるだろう…

 見るからに平凡で、威厳もなく、それでいて、軽い雰囲気だと、誰もが、その人間を軽く見がちだ…

 しかし、その外観と、中身は、まるで一致しない…

 どんなに優れた人間でも、それは変わらない…

 ひとは、肩書で判断する…

 別の言い方をすれば、どんなに凡庸な外観でも、肩書が凄ければ、圧倒される人間が多い…

 この実例が、これも失礼ながら、トヨタの社長である、豊田章男氏だろう…

 人柄の良さは、テレビからも滲み出るが、残念ながら、威厳がない…

 だが、本当は、威厳と、仕事を遂行する能力は、なんの関係もない…

 しかしながら、どうしても、ひとは、威厳かあるかどうかで、判断しがちだ…

 それが、一番単純にひとを評価する方法で、しかも、誰もが、その方法が、一番わかりやすいからに他ならないからだ…

 私は、そんなことを考えながら、今、目の前の高雄の父親を見た…

 言葉にすると、些か長いが、頭の中では、そんな思いが一瞬に駆け巡った…

 そして、

 「…竹下クミです…初めまして…」

 と、私は自分の名前を名乗った…

                
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