第77話
文字数 5,944文字
「…五郎は、次の山田会会長になる男です…」
高雄組組長が、言った…
私は、驚いた…
仰天したと言っていい…
なぜなら、高雄組組長は、稲葉五郎のライバルと言われた男…
次の山田会会長の座を、稲葉五郎と、争っていると、周囲から見られているし、週刊誌やネットで、そう報じられている。
それが、まさか、高雄組組長の口から、次の山田会の会長は、稲葉五郎と、断言するとは、思わなかった…
まさに、まさか、だ…
しかしながら、高雄組組長の言葉に、眼前の松尾会会長は、驚かなかった…
さも、当然と言った様子だった…
「…古賀さんの目に、間違いは、ありません…」
ゆっくりと、口を開いた…
「…古賀さんは、秀吉…ヤクザ界の、秀吉です…ひとを見る目に、間違いはないとまでは、言わないが、誰を自分の後継者にするかは、ずっと前から、決めて、あります…」
穏やかに、告げる。
「…稲葉さんが、古賀さんの後を継ぐのは、既定路線…ずっと前から、わかっていたことです…」
「…おっしゃる通りです…」
高雄組組長が、頭を下げる。
「…高雄さんも、頭が切れるが、失礼ながら、ヤクザは腕っぷしです…ケンカに強いか、否かです…今、もし、他団体と抗争になったら、稲葉さん以外に、山田会を率いて、抗争できる人間はいません…」
松尾会長の言葉に、高雄組組長は、
「…」
と、無言だった…
…同じことを言っている…
私は、気付いた…
高雄組組長の息子? である、高雄悠(ゆう)と、同じことを、この松尾会会長も言っている…
やはり、人が見る目は、同じ…
同じように、人を評価する…
私は、思った…
「…その言葉を聞いて、安心しました…」
松尾会会長が、笑った…
「…安心と言うと?…」
と、高雄の父?
「…いえ、高雄さん…アナタが、山田会の会長に色気を出していると、世間で騒がれていますから…」
「…周りが、勝手に騒いでいるだけです…」
「…それは、わかってます…ただ、アナタが、周囲におだてられて、その気になってしまわないか、心配だったのです…」
松尾会会長の言葉に、
「…」
と、高雄の父? は、沈黙した…
「…ひとは、弱いものです…当人に、その気がなくても、周囲から、持ち上げられ、おだてられれば、つい、その気になってしまう…」
松尾会会長の言葉に、
「…」
と、高雄の父? は、沈黙した…
「…色気と言うのは、二つの意味があります…」
「…二つというと?…」
と、今度は、大場代議士…
「…女性が、よく色っぽいと言われるような、色気と、例えば、今の山田会の会長の座が、欲しいというような色気です…」
「…」
と、大場代議士も、高雄の父? も、沈黙した…
「…この二つは、実は密接な繋がりがあります…」
「…それは、どういう?…」
と、大場代議士…
「…色気と言うのは、自然と、自分の身体から、滲み出てくるものです…これは、当人が、意識するものでも、なんでもない…色っぽい女性に、どうして、アナタは、そんなに色っぽいんですか? と、聞いても、本人にも、わからないに違いありません…ただ…」
「…ただ、なんでしょうか?…」
と、大場代議士。
「…やはり、誰もが転機と言うか…時機があります。5歳の女のコに、当然、色気はありません…色気が出てくるのは、早くても、その十年後でしょう…高雄さん、アナタも同じです…」
「…私も?…」
「…そうです…失礼ながら、高雄さんも、山田会の会長に色気を見せたんじゃありませんか? だから、それを見た、周囲の人間が、アナタを、次期会長に担ぎ出した…要するに、高雄さんを担ぎ出そうとしたのは、稲葉さんが、すんなり、山田会会長になれば、冷遇されるのが、わかっている連中です…それを阻止するために、高雄さんを担ぎ出そうとした…」
松尾会会長の言葉に、
「…」
と、高雄の父? は、沈黙した…
これは、図星だったのかもしれない…
そして、私は、以前、高雄の父? が、私に言った言葉…
「…私に今、チャンスが巡ってきました…」
と、私に断言した…
それを思い出した…
そのチャンスとは、ずばり、山田会会長の座…
つまり、あの時点で、高雄の父? は、山田会会長の座に就くことに意欲があったことを示している…
私は、それを思い出した…
「…なにも、言わないのですね…」
松尾会会長が、穏やかに言う。
「…なにも、言わなければ、今、私が、言ったことを、認めたことになりますよ…」
口調が、わずかだが、厳しくなった…
そして、さっき、私を睨んだとき同様、眼光が鋭くなった…
まるで、別人のように、それまで、穏やかだった表情が、一瞬で、獰猛な獣のような表情になった…
まるで、お芝居だ…
私は、思った…
と、同時に、一人の人間が、こんなに、短時間で、別人のようになったのを、初めて見た…
これは、驚きだったし、同時に、恐怖を感じた…
まるで、一瞬で、部屋が凍ったように、ピンと空気が張り詰めた…
恐怖で、部屋の空気が一瞬で、緊張した…
まるで、水が、一瞬で、氷に、なったようなものだ…
「…どうなんですか?…」
部屋に、松尾会会長の声が響いた…
高雄組組長は、
「…」
と、無言で、頭を下げた…
そして、言った…
「…会長、私を信じて頂けませんか?…」
「…信じる?…」
「…私は、会長にも、亡くなった古賀会長にも、逆らうつもりは、ありません…」
「…では、どうして、否定しないのですか?…」
「…」
「…物事には、勢いというものがあります…」
「…勢い…ですか?…」
と、高雄組組長…
「…そうです…古賀さんが、ヤクザ界の秀吉と言われたように、本物の秀吉は、織田信長が、生きていれば、天下は取れませんでした…その時代に生きたもので、秀吉が、天下人になるのを、予想した人間は、皆無でしょう…」
「…」
「…私も、同じです…」
「…同じ?…」
「…古賀さんには、失礼ながら、古賀さんが、世に出てくるまでは、私の組の方が、大きかった…ですが、古賀さんが、瞬く間に、私の組を追い抜いた…これが、勢いです…」
「…」
「…物事は、予測できません…昭和の時代に、ダイエーやイトーヨーカドーが、あって、衣料品を売っていて、誰が、ユニクロやしまむらが、世に出てくると、予想しました…大手のスーパーで、衣料品を売っていれば、当然、他が入り込む余地など、ないと、考えるのが、普通です…また、ユニクロの創業者の柳井氏も、まさか、自分の店が、これほど、大きくなるとは、思わなかったでしょう…これが、勢いです…」
「…」
「…つまり、柳井氏は秀吉です…家具のニトリも同じです…それまでは、自分自身、ここまで、成功するとは、思っていなかったでしょう…環境が激変したのです…」
「…」
「…高雄さん…」
それまでとは、一変して、松尾会会長が、穏やかになった…
「…誤解してもらっては、困ります…」
「…誤解ですか?…」
「…そう…誤解です…私は、高雄さんが、山田会の次期会長になっても、文句は言いません…そもそも、私は、山田会の人間では、ありません…」
「…」
「…高雄さんは、山田会の人間に担がれて、運が開けた…だから、山田会の会長に色気を持っても、おかしくはありません…もしかしたら、秀吉同様、失礼ながら、ダークホースの身ながら、山田会を背負う地位に上り詰めるかもしれない…先のことは、誰にも、わかりません…」
穏やかに、言った…
私は、それを聞いて、思った…
この老人の真意を、だ…
最初は、高雄の父? が、山田会の会長の座に色気を見せることが、許せないといったような感じだった…
それが、次は、一転して、豊臣秀吉や、ユニクロの柳井氏や、ニトリの創業者の名前を出して、状況によっては、高雄の父? が、天下取りというか、山田会の会長の座を狙ってもいいようなことを言った…
明らかに発言が矛盾している…
一体、この老人の真意は、どこにあるのだろうか?
すると、
「…会長は、昔のままですね…」
と、ゆっくりと、高雄の父? が口を開いた…
「…どういうことですか?…」
「…私をたきつけて、仮に私が、山田会のトップになれば、抗争を仕掛けて、山田会を潰しにかかる、つもりですか? 私は、武闘派ではない…私が、トップになれば、組織は、弱くなる…」
「…」
「…あるいは、私をたきつけて、五郎と争わせ、山田会を割らせるつもりですか? そして、漁夫の利を狙う?…」
高雄の父? の言葉に、大場代議士の顔が蒼ざめた…
文字通り、顔面蒼白になった…
が、
その言葉に、今度は、一転して、松尾会会長の表情が、ほころんだ…
柔和な表情に、戻った…
「…いえ、その言葉を聞いて、安心しました…」
松尾会会長の言葉に、大場代議士の顔が、安堵した…
ホッと、息をついた…
「…私は、てっきり、高雄さんが、調子に乗っていや、しないか、心配でした…」
穏やかに、語る…
その姿は、好々爺そのものだ…
「…高雄さん…野心を持たない、ヤクザなど、なんの存在価値もありません…自分の能力に自信がある人間が、上を狙うのは、サラリーマンも、政治家もヤクザも皆同じです…狙っていいのです…ただ…」
そこで、言葉を止めた…
「…ただ、なんでしょうか?…」
と、高雄組組長…
「…自分の足元だけは、いつも、見ていななさい…」
松尾会会長が、穏やかに言った…
その言葉に、高雄組組長が、
「…」
と、沈黙した…
後にわかったことだが、この松尾会会長こそ、亡くなった山田会の古賀会長が、もっとも、警戒した人物だった…
山田会という自分が率いた組織が、松尾会を完全に凌駕しているにも、かかわらず、警戒を怠ることがなかった…
それゆえ、すぐに兄弟分の盃を結んだ…
しかも、杯は、五分五分だった…
自分と、同等の人間であると、周囲にアピールしたのだ…
つまりは、山田会の古賀会長が、ヤクザ界の秀吉ならば、この松尾会長は、黒田如水だった…
一説には、秀吉が、もっとも、警戒したのが、家康ではなく、如水と言われたように、死んだ古賀会長は、もっとも、この松尾聡(さとし)を警戒していた…
それゆえ、五分の盃で、自分の側に取り込もうとした…
はっきり言って、松尾会の勢力は、山田会に遠く及ばない…
ただ、問題は、この松尾聡そのものだった…
いわゆる切れ者で、他団体と協力したり、敵の寝首をかいたり、文字通り、油断のできない人物だった…
戦国時代の大名を見れば、わかるが、必ずしも、兵が強ければ、大名が、強かったわけではない…
仮に、兵がそれほど強くなくても、トップに立つ者が、有能ならば、世間に名をはせることができる…
もちろん、一兵卒ならば、どれほど、有能でも、不可能なことだが、トップが抜きん出て、優秀ならば、話が違う…
そういうことだ(笑)…
黒田如水は、関ヶ原の戦いで、日本中の兵の大半が、戦っているときに、わずかの間に、九州の半分以上を、自分の勢力下に置いた…
自分の兵が、直接には、わずかしかいないにもかかわらず、兵を募って、留守中の、九州の大名を攻撃した…
つまりは、兵が、強くなくても、最高指導者である、自分が、機を見るに敏ならば、いかに、強いかの見本だった…
いかに、関ヶ原で、大半の日本中の兵が集まっていたとしても、急遽、寄せ集めの兵で、短期間に九州の半分を占領することなど、誰にもできることではない…
この松尾会の松尾聡も同じ…
決して、松尾会の人間が、強兵であるというのではなかったが、ひとり、この松尾聡(さとし)という人間だけが、抜け目なく、油断のできない人物だった…
それゆえ、死んだ古賀会長は、自分と五分五分の盃で、迎え、押さえ込もうとした…
自分と同盟を組むことで、かえって、変に動かないように、牽制しようとした…
ゆえに、松尾会は、この松尾聡で、もっていたともいえる…
松尾会は、決して、大きな暴力団ではないにもかかわらず、松尾会長は、全国の暴力団に知られた存在だった…
それゆえ、大場代議士も、知っていた…
大場代議士は、すでに、何度も説明したように、死んだ古賀会長とは、昵懇(じっこん)の間柄…
ゆえに、松尾会長とも、面識があった…
「…それで、大場さん…さきほど、おっしゃった稲葉さんとのトラブルですが…」
「…会長もすでに、聞き及んでいるように、稲葉さんが、私の自宅の駐車場のシャッターに、銃弾を撃ち込んで、それをマスコミが、嗅ぎ付けて、騒ぎになって、困りました…」
「…それは、わかってます…」
「…ですから、その件で、会長からも、一言、稲葉さんに、声をかけて、頂けないでしょうか?…」
大場代議士の言葉に、松尾会長は、すぐさま、
「…それは、ウソですね…」
と、言った…
「…ウソ?…」
「…そう…ウソです…」
「…どうして、私の言葉が、ウソだと?…」
「…稲葉さんは、バカではありませんよ…今、ここにいる、高雄さん…高雄さん、相手に、稲葉さんの件を相談すれば、解決してくれるでしょう…高雄さんにしても、大場さんの言葉を稲葉さんに伝えず、山田会をゴタゴタする気など、毛頭ないはずです…」
「…」
「…大場さん、今日、アナタが、ココに現れた真意は、なんですか?…」
松尾会長の声が、鋭さを増した…
が、
大場代議士は、
「…」
と、なにも、言わなかった…
すると、
「…大場さん…でしたら、私の口から、言いましょう…大場さんの狙いを、です…」
「…狙い…ですか?…」
「…大場さんの狙いは、このお嬢さんでは、ないんですか?…」
いきなり、言った…
高雄組組長が、言った…
私は、驚いた…
仰天したと言っていい…
なぜなら、高雄組組長は、稲葉五郎のライバルと言われた男…
次の山田会会長の座を、稲葉五郎と、争っていると、周囲から見られているし、週刊誌やネットで、そう報じられている。
それが、まさか、高雄組組長の口から、次の山田会の会長は、稲葉五郎と、断言するとは、思わなかった…
まさに、まさか、だ…
しかしながら、高雄組組長の言葉に、眼前の松尾会会長は、驚かなかった…
さも、当然と言った様子だった…
「…古賀さんの目に、間違いは、ありません…」
ゆっくりと、口を開いた…
「…古賀さんは、秀吉…ヤクザ界の、秀吉です…ひとを見る目に、間違いはないとまでは、言わないが、誰を自分の後継者にするかは、ずっと前から、決めて、あります…」
穏やかに、告げる。
「…稲葉さんが、古賀さんの後を継ぐのは、既定路線…ずっと前から、わかっていたことです…」
「…おっしゃる通りです…」
高雄組組長が、頭を下げる。
「…高雄さんも、頭が切れるが、失礼ながら、ヤクザは腕っぷしです…ケンカに強いか、否かです…今、もし、他団体と抗争になったら、稲葉さん以外に、山田会を率いて、抗争できる人間はいません…」
松尾会長の言葉に、高雄組組長は、
「…」
と、無言だった…
…同じことを言っている…
私は、気付いた…
高雄組組長の息子? である、高雄悠(ゆう)と、同じことを、この松尾会会長も言っている…
やはり、人が見る目は、同じ…
同じように、人を評価する…
私は、思った…
「…その言葉を聞いて、安心しました…」
松尾会会長が、笑った…
「…安心と言うと?…」
と、高雄の父?
「…いえ、高雄さん…アナタが、山田会の会長に色気を出していると、世間で騒がれていますから…」
「…周りが、勝手に騒いでいるだけです…」
「…それは、わかってます…ただ、アナタが、周囲におだてられて、その気になってしまわないか、心配だったのです…」
松尾会会長の言葉に、
「…」
と、高雄の父? は、沈黙した…
「…ひとは、弱いものです…当人に、その気がなくても、周囲から、持ち上げられ、おだてられれば、つい、その気になってしまう…」
松尾会会長の言葉に、
「…」
と、高雄の父? は、沈黙した…
「…色気と言うのは、二つの意味があります…」
「…二つというと?…」
と、今度は、大場代議士…
「…女性が、よく色っぽいと言われるような、色気と、例えば、今の山田会の会長の座が、欲しいというような色気です…」
「…」
と、大場代議士も、高雄の父? も、沈黙した…
「…この二つは、実は密接な繋がりがあります…」
「…それは、どういう?…」
と、大場代議士…
「…色気と言うのは、自然と、自分の身体から、滲み出てくるものです…これは、当人が、意識するものでも、なんでもない…色っぽい女性に、どうして、アナタは、そんなに色っぽいんですか? と、聞いても、本人にも、わからないに違いありません…ただ…」
「…ただ、なんでしょうか?…」
と、大場代議士。
「…やはり、誰もが転機と言うか…時機があります。5歳の女のコに、当然、色気はありません…色気が出てくるのは、早くても、その十年後でしょう…高雄さん、アナタも同じです…」
「…私も?…」
「…そうです…失礼ながら、高雄さんも、山田会の会長に色気を見せたんじゃありませんか? だから、それを見た、周囲の人間が、アナタを、次期会長に担ぎ出した…要するに、高雄さんを担ぎ出そうとしたのは、稲葉さんが、すんなり、山田会会長になれば、冷遇されるのが、わかっている連中です…それを阻止するために、高雄さんを担ぎ出そうとした…」
松尾会会長の言葉に、
「…」
と、高雄の父? は、沈黙した…
これは、図星だったのかもしれない…
そして、私は、以前、高雄の父? が、私に言った言葉…
「…私に今、チャンスが巡ってきました…」
と、私に断言した…
それを思い出した…
そのチャンスとは、ずばり、山田会会長の座…
つまり、あの時点で、高雄の父? は、山田会会長の座に就くことに意欲があったことを示している…
私は、それを思い出した…
「…なにも、言わないのですね…」
松尾会会長が、穏やかに言う。
「…なにも、言わなければ、今、私が、言ったことを、認めたことになりますよ…」
口調が、わずかだが、厳しくなった…
そして、さっき、私を睨んだとき同様、眼光が鋭くなった…
まるで、別人のように、それまで、穏やかだった表情が、一瞬で、獰猛な獣のような表情になった…
まるで、お芝居だ…
私は、思った…
と、同時に、一人の人間が、こんなに、短時間で、別人のようになったのを、初めて見た…
これは、驚きだったし、同時に、恐怖を感じた…
まるで、一瞬で、部屋が凍ったように、ピンと空気が張り詰めた…
恐怖で、部屋の空気が一瞬で、緊張した…
まるで、水が、一瞬で、氷に、なったようなものだ…
「…どうなんですか?…」
部屋に、松尾会会長の声が響いた…
高雄組組長は、
「…」
と、無言で、頭を下げた…
そして、言った…
「…会長、私を信じて頂けませんか?…」
「…信じる?…」
「…私は、会長にも、亡くなった古賀会長にも、逆らうつもりは、ありません…」
「…では、どうして、否定しないのですか?…」
「…」
「…物事には、勢いというものがあります…」
「…勢い…ですか?…」
と、高雄組組長…
「…そうです…古賀さんが、ヤクザ界の秀吉と言われたように、本物の秀吉は、織田信長が、生きていれば、天下は取れませんでした…その時代に生きたもので、秀吉が、天下人になるのを、予想した人間は、皆無でしょう…」
「…」
「…私も、同じです…」
「…同じ?…」
「…古賀さんには、失礼ながら、古賀さんが、世に出てくるまでは、私の組の方が、大きかった…ですが、古賀さんが、瞬く間に、私の組を追い抜いた…これが、勢いです…」
「…」
「…物事は、予測できません…昭和の時代に、ダイエーやイトーヨーカドーが、あって、衣料品を売っていて、誰が、ユニクロやしまむらが、世に出てくると、予想しました…大手のスーパーで、衣料品を売っていれば、当然、他が入り込む余地など、ないと、考えるのが、普通です…また、ユニクロの創業者の柳井氏も、まさか、自分の店が、これほど、大きくなるとは、思わなかったでしょう…これが、勢いです…」
「…」
「…つまり、柳井氏は秀吉です…家具のニトリも同じです…それまでは、自分自身、ここまで、成功するとは、思っていなかったでしょう…環境が激変したのです…」
「…」
「…高雄さん…」
それまでとは、一変して、松尾会会長が、穏やかになった…
「…誤解してもらっては、困ります…」
「…誤解ですか?…」
「…そう…誤解です…私は、高雄さんが、山田会の次期会長になっても、文句は言いません…そもそも、私は、山田会の人間では、ありません…」
「…」
「…高雄さんは、山田会の人間に担がれて、運が開けた…だから、山田会の会長に色気を持っても、おかしくはありません…もしかしたら、秀吉同様、失礼ながら、ダークホースの身ながら、山田会を背負う地位に上り詰めるかもしれない…先のことは、誰にも、わかりません…」
穏やかに、言った…
私は、それを聞いて、思った…
この老人の真意を、だ…
最初は、高雄の父? が、山田会の会長の座に色気を見せることが、許せないといったような感じだった…
それが、次は、一転して、豊臣秀吉や、ユニクロの柳井氏や、ニトリの創業者の名前を出して、状況によっては、高雄の父? が、天下取りというか、山田会の会長の座を狙ってもいいようなことを言った…
明らかに発言が矛盾している…
一体、この老人の真意は、どこにあるのだろうか?
すると、
「…会長は、昔のままですね…」
と、ゆっくりと、高雄の父? が口を開いた…
「…どういうことですか?…」
「…私をたきつけて、仮に私が、山田会のトップになれば、抗争を仕掛けて、山田会を潰しにかかる、つもりですか? 私は、武闘派ではない…私が、トップになれば、組織は、弱くなる…」
「…」
「…あるいは、私をたきつけて、五郎と争わせ、山田会を割らせるつもりですか? そして、漁夫の利を狙う?…」
高雄の父? の言葉に、大場代議士の顔が蒼ざめた…
文字通り、顔面蒼白になった…
が、
その言葉に、今度は、一転して、松尾会会長の表情が、ほころんだ…
柔和な表情に、戻った…
「…いえ、その言葉を聞いて、安心しました…」
松尾会会長の言葉に、大場代議士の顔が、安堵した…
ホッと、息をついた…
「…私は、てっきり、高雄さんが、調子に乗っていや、しないか、心配でした…」
穏やかに、語る…
その姿は、好々爺そのものだ…
「…高雄さん…野心を持たない、ヤクザなど、なんの存在価値もありません…自分の能力に自信がある人間が、上を狙うのは、サラリーマンも、政治家もヤクザも皆同じです…狙っていいのです…ただ…」
そこで、言葉を止めた…
「…ただ、なんでしょうか?…」
と、高雄組組長…
「…自分の足元だけは、いつも、見ていななさい…」
松尾会会長が、穏やかに言った…
その言葉に、高雄組組長が、
「…」
と、沈黙した…
後にわかったことだが、この松尾会会長こそ、亡くなった山田会の古賀会長が、もっとも、警戒した人物だった…
山田会という自分が率いた組織が、松尾会を完全に凌駕しているにも、かかわらず、警戒を怠ることがなかった…
それゆえ、すぐに兄弟分の盃を結んだ…
しかも、杯は、五分五分だった…
自分と、同等の人間であると、周囲にアピールしたのだ…
つまりは、山田会の古賀会長が、ヤクザ界の秀吉ならば、この松尾会長は、黒田如水だった…
一説には、秀吉が、もっとも、警戒したのが、家康ではなく、如水と言われたように、死んだ古賀会長は、もっとも、この松尾聡(さとし)を警戒していた…
それゆえ、五分の盃で、自分の側に取り込もうとした…
はっきり言って、松尾会の勢力は、山田会に遠く及ばない…
ただ、問題は、この松尾聡そのものだった…
いわゆる切れ者で、他団体と協力したり、敵の寝首をかいたり、文字通り、油断のできない人物だった…
戦国時代の大名を見れば、わかるが、必ずしも、兵が強ければ、大名が、強かったわけではない…
仮に、兵がそれほど強くなくても、トップに立つ者が、有能ならば、世間に名をはせることができる…
もちろん、一兵卒ならば、どれほど、有能でも、不可能なことだが、トップが抜きん出て、優秀ならば、話が違う…
そういうことだ(笑)…
黒田如水は、関ヶ原の戦いで、日本中の兵の大半が、戦っているときに、わずかの間に、九州の半分以上を、自分の勢力下に置いた…
自分の兵が、直接には、わずかしかいないにもかかわらず、兵を募って、留守中の、九州の大名を攻撃した…
つまりは、兵が、強くなくても、最高指導者である、自分が、機を見るに敏ならば、いかに、強いかの見本だった…
いかに、関ヶ原で、大半の日本中の兵が集まっていたとしても、急遽、寄せ集めの兵で、短期間に九州の半分を占領することなど、誰にもできることではない…
この松尾会の松尾聡も同じ…
決して、松尾会の人間が、強兵であるというのではなかったが、ひとり、この松尾聡(さとし)という人間だけが、抜け目なく、油断のできない人物だった…
それゆえ、死んだ古賀会長は、自分と五分五分の盃で、迎え、押さえ込もうとした…
自分と同盟を組むことで、かえって、変に動かないように、牽制しようとした…
ゆえに、松尾会は、この松尾聡で、もっていたともいえる…
松尾会は、決して、大きな暴力団ではないにもかかわらず、松尾会長は、全国の暴力団に知られた存在だった…
それゆえ、大場代議士も、知っていた…
大場代議士は、すでに、何度も説明したように、死んだ古賀会長とは、昵懇(じっこん)の間柄…
ゆえに、松尾会長とも、面識があった…
「…それで、大場さん…さきほど、おっしゃった稲葉さんとのトラブルですが…」
「…会長もすでに、聞き及んでいるように、稲葉さんが、私の自宅の駐車場のシャッターに、銃弾を撃ち込んで、それをマスコミが、嗅ぎ付けて、騒ぎになって、困りました…」
「…それは、わかってます…」
「…ですから、その件で、会長からも、一言、稲葉さんに、声をかけて、頂けないでしょうか?…」
大場代議士の言葉に、松尾会長は、すぐさま、
「…それは、ウソですね…」
と、言った…
「…ウソ?…」
「…そう…ウソです…」
「…どうして、私の言葉が、ウソだと?…」
「…稲葉さんは、バカではありませんよ…今、ここにいる、高雄さん…高雄さん、相手に、稲葉さんの件を相談すれば、解決してくれるでしょう…高雄さんにしても、大場さんの言葉を稲葉さんに伝えず、山田会をゴタゴタする気など、毛頭ないはずです…」
「…」
「…大場さん、今日、アナタが、ココに現れた真意は、なんですか?…」
松尾会長の声が、鋭さを増した…
が、
大場代議士は、
「…」
と、なにも、言わなかった…
すると、
「…大場さん…でしたら、私の口から、言いましょう…大場さんの狙いを、です…」
「…狙い…ですか?…」
「…大場さんの狙いは、このお嬢さんでは、ないんですか?…」
いきなり、言った…