第152話

文字数 4,534文字

 だが、待て?

 仮に、

 仮に、だ…

 この女将さんが、公安のスパイだとする…

 だとしたら、稲葉五郎は、それを知っているのだろうか?

 いや、

 もっと言えば、スパイ同士、横の繋がりがあるのだろうか?

 さっき、この大場元議員が、言ったように、スパイかどうか、知っているものは、警察庁でも、ごく一握りの人間…

 片手の指ほどの人数もいない…

 名簿もない…

 つまり、普通は、誰がスパイかわからない…

 ということは、どうだ?

 やはり、横の繋がりは、ないに違いない…

 なぜなら、どこそこに、誰々が、スパイとして、潜入していると、知っていれば、そのスパイを襲うことができる…

 だから、互いに、誰が、スパイか知ることはないに違いない…

 知っているのは、警察庁のトップクラスの一握りの人間のみ…

 つまり、主人=命令者は、一人で、家臣=部下は、大勢いるが、その部下同士は、互いに、面識すらないに違いない…

 私は、そう思った…

 ということは、どうだ?

 もし、女将さんが、公安のスパイだとしても、稲葉五郎が、スパイだと、知っているわけはない…

 もし、稲葉五郎がスパイだと知っていたとしたら、それは、あくまで、女将さんの推測…

 あるいは、稲葉五郎が、確実にスパイだと知っている誰かから、教えられたに違いない…

 確実に知っている誰か?

 だとすれば、それに該当する人物は誰か?

 この女将さんの立場でいえば、それは、やはり、古賀会長だろう…

 亡くなった山田会の創設者だろう…

 だから、古賀会長は、稲葉五郎が、公安のスパイだと気付いて、決して、後継者にしなかった…

 そう言っていた…

 だが、果たして、それは、事実だろうか?

 なぜなら、それはあくまで、女将さんの言葉でしか、ないからだ…

 古賀会長自身が、発言したわけではない…

 私は、気付いた…

 だが、結果として、古賀会長は、稲葉五郎に跡目を譲ることなく、この世を去った…

 そして、古賀会長のもう一人の側近…

 高雄組組長は、この大場元議員の息子を養子として、迎えた…

 これは、なにを意味する…

 つまりは、この大場元議員を取り込んだ…

 大場元議員の弱みを握ったことに、他ならない…

 そして、稲葉五郎…

 弱点の見つからない稲葉五郎に関しては、稲葉五郎の精液を手に入れることで、子供を作らせ、その子供を、弱点とすることを、考えた…

 つまり、なにか、あれば、

「…オマエの子供が、どうなるか、わからないよ…」

と、脅そうとしたわけだ…

が、

それが、嫌だった、高雄組組長は、命じられたことを無視して、真逆に、古賀会長の精液を、製薬会社のプロパーに渡して、古賀会長の子供を作ろうとした…

古賀会長自身も、同時期に、子供が欲しくて、病院に通っていたのだろう…

それを逆手に取ったのだ…

つまりは、高雄組組長は、古賀会長を裏切り、古賀会長の弱みを握ったことになる…

なぜなら、古賀会長が、大場元議員の息子の悠(ゆう)を、高雄組組長の養子にしたのと、同じく、古賀会長の子供を外に作ったのだ…

いざというときは、古賀会長に、

「…アンタの子供がどうなっても、知らないよ…」

と、脅すことができる…

その可能性に気付いた…

ということは、どうだ?

最初、初めて、私に、高雄組組長が、接触してきた…

あのとき、古賀会長は生きていた…

存命だった…

だから、あのとき、高雄組組長が、私に接触したのは、私を人質に取るため…

稲葉五郎との山田会の跡目を巡り、古賀会長の後ろ盾を得るためでは、なかったのか?

私は、その可能性に、気付いた…

ということは、どうだ?

これは、稲葉五郎も、同じではないのか?

あのとき、稲葉五郎が、私に接触してきたのは、同じ理由からではないのか?

つまり、まだ存命だった、古賀会長の後ろ盾を得ることではなかったのか?

だから、私に接触してきたのではないか?

私は、その可能性に、気付いた…

ということは、どうだ?

どうして、今、私は、この場に呼ばれたんだ?

この場に私が、呼ばれたことに、なんの意味がある?

私になんの利用価値がある?

考える…

ここで、明らかになった事実は、いくつか、ある…

私が、古賀会長の実子に間違いがないこと…

稲葉五郎の正体?

そして、悠(ゆう)が、大場小太郎の実の息子だったということだ…

ここで、私が関係するのは、当然ながら、私が、古賀会長の実子に間違いがないこと…

この一点だ…

だが、それが、一体なんになる?

すでに、古賀会長は、死んだ…

山田会は、稲葉五郎が継いだ…

私が、仮に、古賀会長の娘であるとしても、その価値というか、影響力があるのは、古賀会長が、生きていることが、前提だ…

存命しているのが、前提だ…

もし、仮に、生きていれば、やはり、なにがしかの影響力は、あるだろう…

なにしろ、山田会の創設者だ…

ヤクザ界の秀吉と言われた人物だ…

それに、

それに、だ…

稲葉五郎の山田会二代目就任は、古賀会長が亡くなってから、決まった…

つまりは、稲葉五郎の二代目就任は、古賀会長の承認を得ていない…

仮に、

仮に、

もし、古賀会長が生きていれば、どうなるのだろう?

ちゃぶ台返しではないが、最初から、やり直しの可能性があるのではないか?

いや、

だからこそ、私が必要なのではないか?

ちゃぶ台返しをするために、私、竹下クミが必要なのではないか?

そして、今、私をここに招いた真の理由…

それは、古賀会長の血の繋がった実の子供だと、ハッキリと、わかったから…

この女将さんと、大場小太郎が、稲葉五郎と、敵対するのか、協調するのかは、わからない…

しかし、私に利用価値があると、判断したから…

そして、その利用価値の前提として、古賀会長が、生きていることが、必要になる…

そういうことだ…

私が、そんなことを、考えていると、女将さんが、

「…お嬢ちゃん…どうしたの? …さっきから、難しい顔をして…」

と、聞いた…

だから、私は、言おうかどうか、迷ったが、

「…古賀会長は、どこにいるんですか?…」

と、ハッキリと言った…

女将さんも、大場父娘も、驚いた顔で、私を見た…

「…お嬢ちゃん…なにを言ってるの? 古賀さんは、とっくに亡くなって…」

私は、それを遮るように、

「…ウソですね…古賀会長は生きてます…」

と、断言した…

女将さんの顔色が変わった…

「…お嬢ちゃん…バカなことを、お言いでないよ…古賀さんは、死んで、全国から、有名な親分衆が、葬儀に駆けつけて下さり…」

「…古賀会長は生きてます…」

私は、繰り返した…

「…そうでなければ、私をここに呼んだ意味がありません…もし、仮に、私が、古賀会長の娘だとしたら、古賀会長が、生きていてこその私です…古賀会長が死んでいたら、なんの役にも立ちません…」

私は、自信を持って、言った…

それから、ふと、気付いた…

「…もしかしたら…もしかしたら…今日、私をここに招いたのは、古賀会長に、命じられたからじゃないんですか?…」

私は、思った…

「…古賀会長に頼まれて、今日、私をここに、呼んだんじゃないんですか?…」

私は、続ける…

「…それとも…それとも、もしかして、この部屋の近くに、古賀会長がいらっしゃるんじゃないんですか? …自分の血の分けた子供を見たくて、近くに隠れて、私を見ているんじゃないですか?…」

私は、大声で言った…

わざと、大声で言った…

もし…

もし、別室に、古賀会長がいたとしたら、聞こえるように、わざと、大声を出したのだ…

私の言葉に、大場父娘、そして、渡辺えりに似た、町中華の女将さんの表情が硬くなった…

私の言った言葉が、真実なのでは?

と、思った…

そのときだった…

その瞬間だった…

いきなり、部屋の襖(ふすま)が開いた…

まさに、いきなり、だ…

突然、襖(ふすま)が、開いたのだ…

すると、すでに、80代、後半…あるいは、90代の、ガッチリとした体格の大男の老人が、そこに立っていた…

「…その通りだ…お嬢さん…」

いきなり、現れた、老人が、言った…

「…私が、山田会の古賀だ…」

そう言いながら、大男の老人が、歩いてきた…

天を衝くような大男とまでは、いわないが、90歳近い年齢を考えると、日本人としては、驚異的に大きかった…

180㎝は、優に超えてる…

しかも、まるで、プロレスラーのように、がっちりとした巨体…

戦後、そのカラダを武器に、乱闘を繰り返し、一代で、

「…ヤクザ界の秀吉…」

と、言われるほど、成功した山田会会長であることは、一目で、わかった…

老いてはいるが、老人臭さがまるでない…

しかも、病気で、療養中であったにも、かかわらず、その気配は、まるでなかった…

しかも、威厳がある…

誰が見ても、大物ヤクザ…

山田会の古賀会長だと一目で、わかった…

そして、気付いた…

この料亭にやって来たときに、女将さんを始め、数多くの従業員が、私を出迎えた…

これは、もしかしたら、今日、ここへ、古賀会長がやって来たからではないか?

死んだと思った古賀会長が、突然、やって来たからではないか?

今、考えると、この料亭の女将さんを始め、従業員が、ピリピリと緊張している様子だった…

私は、それを思い出した…

そして、目の前の古賀会長を見ながら、つい、

「…お芝居がお上手なんですね…」

と、皮肉を言った…

私の皮肉に、古賀会長がすぐに、反応した…

「…どういう意味だ?…」

「…悠(ゆう)…高雄悠(ゆう)さんを、通じて、以前、私に向かって、古賀会長は、誰かに、殺されたかもしれない…と、言わせたでしょう? …私を惑わすために…」

私の言葉に、

「…」

と、古賀会長は、絶句した…

心底、驚いた様子だった…

それから、

「…ハッハッハッ…さすがに、私の血の分けた娘だ…」

と、哄笑した…

実に、楽しそうだった…

「…このお嬢さんが、私の娘…私の分身だと知ったことで、これで、悔いなく、地獄でも、なんでもゆける…」

満足そうに、言った…

が、この言葉に、

「…分身なんか、じゃありません…」

私は、即座に反論した…

「…血を分けた間柄でも、分身なんかじゃ、ありません…あくまで、生物学上の父に過ぎません…」

私は、断言した…

言いながら、自分でも、自分が、信じられなかった…

いかに、老人とはいえ、誰が見ても、ヤクザ…

ヤクザの中のヤクザ…

ザ、ヤクザ…

とでも、言える、ヤクザ界の大物に対して、平然と、この竹下クミが、歯向かっているのだ…

この頼りない、竹下クミが、歯向かっているのだ…

まさに、

あり得ない…

あり得ない、言動だった…

私の言動に、大場父娘、そして、町中華の女将さんも、目が飛び上がらんばかりに、唖然とした表情で、私を見ていた…

しかし、なんのことはない…

一番、驚いたのは、大場父娘や町中華の女将さんでもない…

一番、驚いたのは、私…

私自身に他ならない…

自分自身が、自分に一番ビックリしたのだ…

そんな私を見た、古賀会長の姿は、どうかというと…

これが、また、実に楽しそうだった…

「…お嬢さん…追い詰められてるね…」

私の心の内側を見透かすように、言った…

「…追い詰められてるから、牙を剥いて、立ち向かってくる…」

実に、楽しそうだった…

「…まさに、私の娘…追い詰められると、普段は、どんなに、おとなしくとも、牙を剥く…終戦時のゴタゴタで、私が、ヤクザになったときと、同じだ…」

古賀会長が、告白した…

              
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