第153話
文字数 5,782文字
この老人が、古賀会長…
私は、あらためて、思った…
ネットで、その顔は、知っていた…
だが、
会うのは、初めて…
初めてだった…
すでに90歳ぐらいの年齢なのに、プロレスラーのような、ガッチリとした体躯…
しかも、老いは、感じさせない…
まるで、ヤクザ映画ではないが、今でも、先頭を走って、敵対する、組事務所に殴り込みをかけることができるような感じだった…
ある意味、年齢を感じさせない…
私が、そんなことを、考えながら、古賀会長を見ていると、
「…いつまでも、立っているのは、疲れる…」
と、言って、すぐに、私たちの近くの席に座った…
「…この歳だ…生きているだけで、めっけもんだ…」
そう言いながら、笑った…
しかし、その言葉と裏腹に、老いは感じさせなかった…
「…お嬢さんも、そう、ジロジロ、オレを見ないでくれ…恥ずかしい…」
そう言いながら、照れた…
なんだか、出てきたときと、キャラが変わったというか…
ヤクザらしい風貌と、まるで、似合わない言動だった…
「…オレは、女が好きだが、女は抱けない…だから、見るだけだ…」
古賀会長が、笑いながら、言う…
「…だが、それもまた楽しい…若くて、キレイな女を見ると、まるで、高価な美術品を鑑賞しているような気分になる…お嬢さんは、失礼ながら、美人ではないが、愛くるしい…きっと、男からも、女からも、好かれているだろう…それが、いい…それが、お嬢さんの武器になる…」
「…武器?…」
「…そう…武器だ…老若男女、誰からも好かれる…つまり、なにか、あったら、誰かが助けてくれる…味方になってくれる…それが、武器だ…生きてゆくのに、一番大事な武器だ…お嬢さんは、それを備えている…」
古賀会長が、実に、楽しそうに言った…
「…オレの血を分けた子供が、存在するのを知って、驚いたが、お嬢さんを一目見て、安心した…」
「…どうして、安心したんですか?…」
「…きっと、楽に生きれる…」
「…楽に?…」
「…さっきも、言ったように、周囲の人間に好かれる人間は、なにが、あっても、周囲の人間が、助けてくれる…力になってくれる…生きるのに、これほど、楽なことはない…」
古賀会長が実感を込めて、言う…
「…この歳だ…一目、自分の血を分けた子供というのを、見ておきたくてね…顔を出すことに、決めたんだ…」
「…」
「…ホントなら、このえりこがやっている店で、お客さんとして、呼び出して、それを、近くで、オレも客として、見ていれば、よかったんだが…どうしても、もっと正式に会いたくてね…」
女将さんを見て、言った…
私は、それで、この女将さんが、えりこという名前であることを知った…
「…死んだ人間が、生きているのは、おかしいんだが…」
と、自分でも、苦笑した…
「…どうして、死んだことにしたんですか?…」
私は、直球で聞いた…
この眼前の古賀会長が、思ったよりも、親しみやすいというか…話しやすいキャラだったからだ…
「…簡単だよ…」
古賀会長が、ニコニコして言った…
「…簡単?…」
「…今では、オレより、五郎の方が、力がある…このままでは、山田会は、五郎に乗っ取られる…それなら、オレが死んだことにして、消えればいい…」
「…でも、それなら、ヤクザを辞めれば…」
「…引退か…それはできない…」
「…どうして、できないんですか?…」
「…見栄だな…」
「…見栄?…」
「…ヤクザ界の秀吉と言われ、ヤクザ界の伝説のように、持ち上げられた男が、実は、子分に寝首を掻かれる…そんな結末は御免だ…」
古賀会長が、笑う…
「…会社でもなんでも、昔は、実力社長だった男が、今では、ただの老害で、実は、ただのお飾りの会長に過ぎず、力もなにもなかったと、解任されて、世間にバレるのと、同じだ…」
「…」
「…オレも、遅かれ、早かれ、そんな運命を辿った…」
「…でも、稲葉さんは、そんな人間じゃ…」
「…五郎はな…」
「…どういう意味ですか?…」
「…五郎は、一人じゃない…アイツは、操り人形とまでは、言わないが、自分ひとりの力じゃ、抗えない…山田会を獲れと、言われれば、従わざるを得ないよ…」
「…誰が、稲葉さんに、命じるんですか?…」
「…おそらく国家だろう…」
「…国家?…」
「…五郎は、公安のスパイだ…間違いはない…」
古賀会長が、断言した…
「…証拠はあるんですか?…」
「…証拠はない…だが、五郎のこれまでの経歴が、ウソ偽りで、あるにもかかわらず、住民票も、戸籍も、ある…運転免許証も正規だ…これは、国家が背後にいるとしか、思えない…国家が背後になければ、できないことだ…つまりは、状況証拠の積み重ねだ…」
古賀会長が力説する…
「…だったら、古賀会長は、一体、どうしたかったんですか?…」
「…どうしたいって、なにを?…」
「…山田会を、です…」
が、
その答えは、
「…別に、どうするもなにもないよ…」
と、言うものだった…
私は、唖然とした…
「…オレは、オレの人生を生き切った…今さら、山田会でも、なんでもない…会社員が、定年まで、会社に勤めて、会社人生を生き切ったのと、同じだ…ただ、オレが死んだことにしたのは、五郎に追放されるように、山田会を去るのは、避けたかったからだ…要するに、見栄だよ…」
古賀会長は、力を込めて、言った…
「…ヤクザ界の秀吉と呼ばれたのに、その終わり方は、カッコ悪いだろう…」
そう言って、笑った…
が、
私は、ふと、疑問を感じた…
なにかが、おかしい…
なんとなく、軽いというか、言動が、芝居がかっているのだ…
たしかに、カラダは大きく、いかつく、迫力がある…
年齢も、90歳近くの老人にもかかわらず、全然、老いを感じさせない…
つまり、伝説のヤクザと言ってもよい、
…ヤクザ界の秀吉…
と、言われた男にふさわしいのだが、どこか、違う…
胡散臭いというか…
なにかが、おかしい…
そう感じたときだった…
さっき、この古賀会長が、やって来たときと同じく、いきなり、部屋の襖(ふすま)が、開いた…
私たち4人全員、驚いて、その方向を見た…
そこには、見知らぬ男たちが立っていた…
「…警視庁公安部外事第二課の者だ…」
先頭の男は、それだけ言った…
その男の背後には、屈強な男たちが、何人もいた…
ちょうど、この大場敦子のマンションにいたときに、あの葉山を含めた男たちが、乗り込んできたときと、いっしょだ…
あのとき、葉山は、
「…内閣情報調査室…」
と、名乗った…
だが、今、突然、現れた、この男は、
「…警視庁公安部外事第二課の者だ…」
と、自分の身分を名乗った…
これは、一体、なにが、どう違うんだろう?
私は、あまりの予想外の展開に唖然としながらも、一方では、冷静だった…
冷静に、物事を俯瞰(ふかん)していたというか…
が、
私の疑問は、すぐに氷解した…
名乗った男自身が、
「…警視庁公安部外事第二課が、どういうものかは、わかるでしょう…」
と、言ってから、
「…公安部外事第二課は、主に、中華人民共和国、朝鮮民主主義人民共和国の工作活動、戦略物資の不正輸出を捜査対象とする…」
と、説明した…
「…工作活動?…」
私は、絶句した…
同時に、乗り込んできた男の中に、またも、あの葉山がいたことに、気付いた…
葉山の姿があったのだ…
葉山は、私に顔を背けるように、立っていた…
前回、同様、仕事だから、仕方なく、やって来た…
同行したといった感じだった…
「…竹下クミを、除いた全員、身柄を拘束する…」
と、宣言するや、他の男たちが、古賀会長を始め、全員の身柄を拘束した…
まさに電光石火…
神業(かみわざ)だった…
私は、驚いたし、言葉もなかった…
ただ、ただ、目を丸くして、事態を見守っていた…
驚きで、言葉も出なかった…
誰もが、同じだが、あまりにも、想定外の事態に陥ると、どうしていいか、わからない…
過去に経験がないからだ…
文字通り、カラダが固まる…
マニュアルではないが、過去の経験があれば、どうすれば、良いか、わかる…
どう対処すれば、いいか、わかる…
それが、ないから、困る(笑)…
そういうことだ…
そのときだった…
「…オレは、山田会の古賀だ!…」
と、突如、古賀会長が、暴れ出した…
180㎝は、優に超える巨体の持ち主が、暴れ出したのだ…
「…てめえら、ただじゃ、おかねえぞ…」
と、大声で、怒鳴りながら、暴れ出す。
しかしながら、古賀会長の周囲を取り囲んだ男たちの方が、背が高く、屈強だった…
しかも、若い…
突然、暴れ出した古賀会長のカラダを、無理やり、押さえつけた…
「…静かにしろ! さもないと、満州に送り返すぞ!…」
古賀会長を押さえつけた男が、いきなり言った…
…満州?…
どうして、そんな言葉を?…
私は、思ったが、その言葉は、効果てきめんだった…
すぐに、古賀会長は、黙り込んだ…
まるで、魔法にかかったように、簡単に黙り込んだ…
それから、
「…嫌だ…嫌だ…満州には、帰りたくねえ…ご、御免だ…あ、あそこは、地獄だ…女が無理やり犯される姿は、もう見たくねえ!…」
と、言って、突然、泣き出した…
まるで、子供が、泣くように、突然、泣き出した…
私は、呆気に取られた…
こんな場面に接するのは、初めてだ…
一体、この古賀会長は、どうしたんだろう?…
まるで、子供だ…
大きくなった子供だ…
姿形は、90歳でも、堂々とした巨体の持ち主だが、中身は、まるで、3歳や5歳の子供だ…
私が、悩んでいると、
「…ボケてるのさ…」
と、誰かが言った…
私は、その声の主を見た…
葉山だった…
「…ボケて、死んだことにした、古賀の爺さんを、この場に連れてくるなんて、随分、ひでえ真似をしやがる…」
吐き捨てるように言った…
「…どういう意味ですか?…」
私は、葉山に聞いた…
なにしろ、他でもない、葉山だ…
私のバイトするコンビニの店長だった男だ…
だから、私は、聞きやすかった…
「…この古賀の爺さんが、ボケてるのは、ヤクザ界でも、噂に上っていて、知ってるヤツは、知っていた…だから、葬儀でも、故人の闘病で、やつれ果て、別人のような姿に変わった顔を見せるのは、忍びないと、棺桶の中の顔を見せなかった…だから、そのときから、実は、生きているんじゃないかって、噂がずっと、ヤクザ界でも、あったんだ…」
…そんなことが?…
私は、驚いた…
「…だから、今、竹下さんが、見たように、まともなときもあれば、3歳や5歳の子供に戻ってしまうときもある…とてもじゃないが、人前に出せる状態じゃない…」
「…」
「…そして、古賀の爺さんが、わけがわからなくなって、暴れ出したときに、言う言葉が、満州だ…古賀の爺さんが、子供の頃、辛酸を舐め尽くした地だ…それを聞くと、古賀の爺さんは、ビビって、なにもできなくなる…よっぽど、辛い体験だったんだろう…」
「…」
「…そんな古賀の爺さんを、あの女将さんが、無理やり…」
葉山が嘆く…
「…どうして、女将さんは、無理やり、古賀会長を連れてきたんですか?…」
「…中国コネクション…」
葉山が言った…
「…あの女将さんは、古賀の爺さんの中国コネクションを受け継いでる…だが、小者…ただの中華屋の女将だ…たいしたことができるわけじゃない…だから、大場小太郎と、その娘を招いて、自分の陣営に引きずり込もうとしたんだ…大場小太郎は、議員を辞めたが、影響力は、ゼロじゃない…中国関連で、疑われて、議員を辞めたんなら、いっそ、それを逆手にとって、本物の中国のスパイにならないかと誘ったんだ…それには、どうしても、古賀会長が、実は生きている姿を見せる必要があった…」
「…」
「…ついでに言えば、竹下さんを、ここへ連れてきたのも、そのためだ…」
「…どういう意味ですか?…」
「…ボケた古賀の爺さんだが、いつも、ボケてるわけじゃない…正常なときもある…その正常なときに、死んだことになってる自分が、姿を現すのは、マズいと判断するだろう…そのために、竹下さんが、必要だったんだ…」
「…私が、必要?…」
「…自分の娘に会いたくないかと、言えば、嫌でも、顔を出す…竹下さんを、利用したのさ…」
「…そんなことが…」
私は、言った…
「…オレたち、内調(内閣情報調査室)だけじゃなく、公安の外事第二課も、古賀の爺さんが、生きていることは、掴んでいた…ただ、それが、姿を現すとは…言葉は悪いが、古賀の爺さんは、博物館に飾ってある…過去の遺物さ…」
「…」
「…それにしても、竹下さんが、古賀さんが生きてるって、断言したときは、ビックリした…どうして、わかったんだ? …竹下さんが、稲葉五郎や、亡くなった高雄組組長に初めて会ったときは、すでに、古賀会長は亡くなっていたとされていた…それをまるで、生きてるように言って…陰で聞いているオレたちの方が、驚いた…」
私は、葉山の言葉に、自分が、間違っていたことに、気付いた…
私が、稲葉五郎や高雄組組長に会ったときは、すでに、古賀会長は亡くなっていた…
しかし、生きていると、私が、勝手に誤解したのだ…
まさか、それが、功を奏すとは?
あまりにも、色々なことがあり過ぎて、自分自身が、パニクっているというか…
混乱していた…
今さらながら、思った…
同時に、気付いた…
今日、この料亭にやって来たときに、女将さんを始め、従業員が、緊張していた理由を、だ…
アレは、死んだはずの古賀会長が、訪れたこともあるだろうが、葉山たち、公安の人間が、事前に訪れて、この部屋に隠しマイクや、隠しカメラを設置したからに、違いない…
そうでなければ、この部屋にいないにもかかわらず、部屋の中の様子が、手に取るように、わかるはずはないからだ…
おそらく、別室で、この部屋の様子をカメラで映った画面で、見ていたのだろう…
私は、思った…
「…どんな理由があるにしろ、死んだことになってる人間は、表に出しちゃ、いけねえよ…」
葉山の言葉だった…
そして、いつのまにか、部屋には、私と葉山しか、いなくなっていた…
私は、あらためて、思った…
ネットで、その顔は、知っていた…
だが、
会うのは、初めて…
初めてだった…
すでに90歳ぐらいの年齢なのに、プロレスラーのような、ガッチリとした体躯…
しかも、老いは、感じさせない…
まるで、ヤクザ映画ではないが、今でも、先頭を走って、敵対する、組事務所に殴り込みをかけることができるような感じだった…
ある意味、年齢を感じさせない…
私が、そんなことを、考えながら、古賀会長を見ていると、
「…いつまでも、立っているのは、疲れる…」
と、言って、すぐに、私たちの近くの席に座った…
「…この歳だ…生きているだけで、めっけもんだ…」
そう言いながら、笑った…
しかし、その言葉と裏腹に、老いは感じさせなかった…
「…お嬢さんも、そう、ジロジロ、オレを見ないでくれ…恥ずかしい…」
そう言いながら、照れた…
なんだか、出てきたときと、キャラが変わったというか…
ヤクザらしい風貌と、まるで、似合わない言動だった…
「…オレは、女が好きだが、女は抱けない…だから、見るだけだ…」
古賀会長が、笑いながら、言う…
「…だが、それもまた楽しい…若くて、キレイな女を見ると、まるで、高価な美術品を鑑賞しているような気分になる…お嬢さんは、失礼ながら、美人ではないが、愛くるしい…きっと、男からも、女からも、好かれているだろう…それが、いい…それが、お嬢さんの武器になる…」
「…武器?…」
「…そう…武器だ…老若男女、誰からも好かれる…つまり、なにか、あったら、誰かが助けてくれる…味方になってくれる…それが、武器だ…生きてゆくのに、一番大事な武器だ…お嬢さんは、それを備えている…」
古賀会長が、実に、楽しそうに言った…
「…オレの血を分けた子供が、存在するのを知って、驚いたが、お嬢さんを一目見て、安心した…」
「…どうして、安心したんですか?…」
「…きっと、楽に生きれる…」
「…楽に?…」
「…さっきも、言ったように、周囲の人間に好かれる人間は、なにが、あっても、周囲の人間が、助けてくれる…力になってくれる…生きるのに、これほど、楽なことはない…」
古賀会長が実感を込めて、言う…
「…この歳だ…一目、自分の血を分けた子供というのを、見ておきたくてね…顔を出すことに、決めたんだ…」
「…」
「…ホントなら、このえりこがやっている店で、お客さんとして、呼び出して、それを、近くで、オレも客として、見ていれば、よかったんだが…どうしても、もっと正式に会いたくてね…」
女将さんを見て、言った…
私は、それで、この女将さんが、えりこという名前であることを知った…
「…死んだ人間が、生きているのは、おかしいんだが…」
と、自分でも、苦笑した…
「…どうして、死んだことにしたんですか?…」
私は、直球で聞いた…
この眼前の古賀会長が、思ったよりも、親しみやすいというか…話しやすいキャラだったからだ…
「…簡単だよ…」
古賀会長が、ニコニコして言った…
「…簡単?…」
「…今では、オレより、五郎の方が、力がある…このままでは、山田会は、五郎に乗っ取られる…それなら、オレが死んだことにして、消えればいい…」
「…でも、それなら、ヤクザを辞めれば…」
「…引退か…それはできない…」
「…どうして、できないんですか?…」
「…見栄だな…」
「…見栄?…」
「…ヤクザ界の秀吉と言われ、ヤクザ界の伝説のように、持ち上げられた男が、実は、子分に寝首を掻かれる…そんな結末は御免だ…」
古賀会長が、笑う…
「…会社でもなんでも、昔は、実力社長だった男が、今では、ただの老害で、実は、ただのお飾りの会長に過ぎず、力もなにもなかったと、解任されて、世間にバレるのと、同じだ…」
「…」
「…オレも、遅かれ、早かれ、そんな運命を辿った…」
「…でも、稲葉さんは、そんな人間じゃ…」
「…五郎はな…」
「…どういう意味ですか?…」
「…五郎は、一人じゃない…アイツは、操り人形とまでは、言わないが、自分ひとりの力じゃ、抗えない…山田会を獲れと、言われれば、従わざるを得ないよ…」
「…誰が、稲葉さんに、命じるんですか?…」
「…おそらく国家だろう…」
「…国家?…」
「…五郎は、公安のスパイだ…間違いはない…」
古賀会長が、断言した…
「…証拠はあるんですか?…」
「…証拠はない…だが、五郎のこれまでの経歴が、ウソ偽りで、あるにもかかわらず、住民票も、戸籍も、ある…運転免許証も正規だ…これは、国家が背後にいるとしか、思えない…国家が背後になければ、できないことだ…つまりは、状況証拠の積み重ねだ…」
古賀会長が力説する…
「…だったら、古賀会長は、一体、どうしたかったんですか?…」
「…どうしたいって、なにを?…」
「…山田会を、です…」
が、
その答えは、
「…別に、どうするもなにもないよ…」
と、言うものだった…
私は、唖然とした…
「…オレは、オレの人生を生き切った…今さら、山田会でも、なんでもない…会社員が、定年まで、会社に勤めて、会社人生を生き切ったのと、同じだ…ただ、オレが死んだことにしたのは、五郎に追放されるように、山田会を去るのは、避けたかったからだ…要するに、見栄だよ…」
古賀会長は、力を込めて、言った…
「…ヤクザ界の秀吉と呼ばれたのに、その終わり方は、カッコ悪いだろう…」
そう言って、笑った…
が、
私は、ふと、疑問を感じた…
なにかが、おかしい…
なんとなく、軽いというか、言動が、芝居がかっているのだ…
たしかに、カラダは大きく、いかつく、迫力がある…
年齢も、90歳近くの老人にもかかわらず、全然、老いを感じさせない…
つまり、伝説のヤクザと言ってもよい、
…ヤクザ界の秀吉…
と、言われた男にふさわしいのだが、どこか、違う…
胡散臭いというか…
なにかが、おかしい…
そう感じたときだった…
さっき、この古賀会長が、やって来たときと同じく、いきなり、部屋の襖(ふすま)が、開いた…
私たち4人全員、驚いて、その方向を見た…
そこには、見知らぬ男たちが立っていた…
「…警視庁公安部外事第二課の者だ…」
先頭の男は、それだけ言った…
その男の背後には、屈強な男たちが、何人もいた…
ちょうど、この大場敦子のマンションにいたときに、あの葉山を含めた男たちが、乗り込んできたときと、いっしょだ…
あのとき、葉山は、
「…内閣情報調査室…」
と、名乗った…
だが、今、突然、現れた、この男は、
「…警視庁公安部外事第二課の者だ…」
と、自分の身分を名乗った…
これは、一体、なにが、どう違うんだろう?
私は、あまりの予想外の展開に唖然としながらも、一方では、冷静だった…
冷静に、物事を俯瞰(ふかん)していたというか…
が、
私の疑問は、すぐに氷解した…
名乗った男自身が、
「…警視庁公安部外事第二課が、どういうものかは、わかるでしょう…」
と、言ってから、
「…公安部外事第二課は、主に、中華人民共和国、朝鮮民主主義人民共和国の工作活動、戦略物資の不正輸出を捜査対象とする…」
と、説明した…
「…工作活動?…」
私は、絶句した…
同時に、乗り込んできた男の中に、またも、あの葉山がいたことに、気付いた…
葉山の姿があったのだ…
葉山は、私に顔を背けるように、立っていた…
前回、同様、仕事だから、仕方なく、やって来た…
同行したといった感じだった…
「…竹下クミを、除いた全員、身柄を拘束する…」
と、宣言するや、他の男たちが、古賀会長を始め、全員の身柄を拘束した…
まさに電光石火…
神業(かみわざ)だった…
私は、驚いたし、言葉もなかった…
ただ、ただ、目を丸くして、事態を見守っていた…
驚きで、言葉も出なかった…
誰もが、同じだが、あまりにも、想定外の事態に陥ると、どうしていいか、わからない…
過去に経験がないからだ…
文字通り、カラダが固まる…
マニュアルではないが、過去の経験があれば、どうすれば、良いか、わかる…
どう対処すれば、いいか、わかる…
それが、ないから、困る(笑)…
そういうことだ…
そのときだった…
「…オレは、山田会の古賀だ!…」
と、突如、古賀会長が、暴れ出した…
180㎝は、優に超える巨体の持ち主が、暴れ出したのだ…
「…てめえら、ただじゃ、おかねえぞ…」
と、大声で、怒鳴りながら、暴れ出す。
しかしながら、古賀会長の周囲を取り囲んだ男たちの方が、背が高く、屈強だった…
しかも、若い…
突然、暴れ出した古賀会長のカラダを、無理やり、押さえつけた…
「…静かにしろ! さもないと、満州に送り返すぞ!…」
古賀会長を押さえつけた男が、いきなり言った…
…満州?…
どうして、そんな言葉を?…
私は、思ったが、その言葉は、効果てきめんだった…
すぐに、古賀会長は、黙り込んだ…
まるで、魔法にかかったように、簡単に黙り込んだ…
それから、
「…嫌だ…嫌だ…満州には、帰りたくねえ…ご、御免だ…あ、あそこは、地獄だ…女が無理やり犯される姿は、もう見たくねえ!…」
と、言って、突然、泣き出した…
まるで、子供が、泣くように、突然、泣き出した…
私は、呆気に取られた…
こんな場面に接するのは、初めてだ…
一体、この古賀会長は、どうしたんだろう?…
まるで、子供だ…
大きくなった子供だ…
姿形は、90歳でも、堂々とした巨体の持ち主だが、中身は、まるで、3歳や5歳の子供だ…
私が、悩んでいると、
「…ボケてるのさ…」
と、誰かが言った…
私は、その声の主を見た…
葉山だった…
「…ボケて、死んだことにした、古賀の爺さんを、この場に連れてくるなんて、随分、ひでえ真似をしやがる…」
吐き捨てるように言った…
「…どういう意味ですか?…」
私は、葉山に聞いた…
なにしろ、他でもない、葉山だ…
私のバイトするコンビニの店長だった男だ…
だから、私は、聞きやすかった…
「…この古賀の爺さんが、ボケてるのは、ヤクザ界でも、噂に上っていて、知ってるヤツは、知っていた…だから、葬儀でも、故人の闘病で、やつれ果て、別人のような姿に変わった顔を見せるのは、忍びないと、棺桶の中の顔を見せなかった…だから、そのときから、実は、生きているんじゃないかって、噂がずっと、ヤクザ界でも、あったんだ…」
…そんなことが?…
私は、驚いた…
「…だから、今、竹下さんが、見たように、まともなときもあれば、3歳や5歳の子供に戻ってしまうときもある…とてもじゃないが、人前に出せる状態じゃない…」
「…」
「…そして、古賀の爺さんが、わけがわからなくなって、暴れ出したときに、言う言葉が、満州だ…古賀の爺さんが、子供の頃、辛酸を舐め尽くした地だ…それを聞くと、古賀の爺さんは、ビビって、なにもできなくなる…よっぽど、辛い体験だったんだろう…」
「…」
「…そんな古賀の爺さんを、あの女将さんが、無理やり…」
葉山が嘆く…
「…どうして、女将さんは、無理やり、古賀会長を連れてきたんですか?…」
「…中国コネクション…」
葉山が言った…
「…あの女将さんは、古賀の爺さんの中国コネクションを受け継いでる…だが、小者…ただの中華屋の女将だ…たいしたことができるわけじゃない…だから、大場小太郎と、その娘を招いて、自分の陣営に引きずり込もうとしたんだ…大場小太郎は、議員を辞めたが、影響力は、ゼロじゃない…中国関連で、疑われて、議員を辞めたんなら、いっそ、それを逆手にとって、本物の中国のスパイにならないかと誘ったんだ…それには、どうしても、古賀会長が、実は生きている姿を見せる必要があった…」
「…」
「…ついでに言えば、竹下さんを、ここへ連れてきたのも、そのためだ…」
「…どういう意味ですか?…」
「…ボケた古賀の爺さんだが、いつも、ボケてるわけじゃない…正常なときもある…その正常なときに、死んだことになってる自分が、姿を現すのは、マズいと判断するだろう…そのために、竹下さんが、必要だったんだ…」
「…私が、必要?…」
「…自分の娘に会いたくないかと、言えば、嫌でも、顔を出す…竹下さんを、利用したのさ…」
「…そんなことが…」
私は、言った…
「…オレたち、内調(内閣情報調査室)だけじゃなく、公安の外事第二課も、古賀の爺さんが、生きていることは、掴んでいた…ただ、それが、姿を現すとは…言葉は悪いが、古賀の爺さんは、博物館に飾ってある…過去の遺物さ…」
「…」
「…それにしても、竹下さんが、古賀さんが生きてるって、断言したときは、ビックリした…どうして、わかったんだ? …竹下さんが、稲葉五郎や、亡くなった高雄組組長に初めて会ったときは、すでに、古賀会長は亡くなっていたとされていた…それをまるで、生きてるように言って…陰で聞いているオレたちの方が、驚いた…」
私は、葉山の言葉に、自分が、間違っていたことに、気付いた…
私が、稲葉五郎や高雄組組長に会ったときは、すでに、古賀会長は亡くなっていた…
しかし、生きていると、私が、勝手に誤解したのだ…
まさか、それが、功を奏すとは?
あまりにも、色々なことがあり過ぎて、自分自身が、パニクっているというか…
混乱していた…
今さらながら、思った…
同時に、気付いた…
今日、この料亭にやって来たときに、女将さんを始め、従業員が、緊張していた理由を、だ…
アレは、死んだはずの古賀会長が、訪れたこともあるだろうが、葉山たち、公安の人間が、事前に訪れて、この部屋に隠しマイクや、隠しカメラを設置したからに、違いない…
そうでなければ、この部屋にいないにもかかわらず、部屋の中の様子が、手に取るように、わかるはずはないからだ…
おそらく、別室で、この部屋の様子をカメラで映った画面で、見ていたのだろう…
私は、思った…
「…どんな理由があるにしろ、死んだことになってる人間は、表に出しちゃ、いけねえよ…」
葉山の言葉だった…
そして、いつのまにか、部屋には、私と葉山しか、いなくなっていた…