第79話

文字数 4,412文字

 「…どうなんですか?…」

 再び、松尾聡が言った…

 繰り返した…

 私は、ビビった…

 率直に言って、眼前の松尾会会長が、脅しているのは、私ではない…

 高雄組組長だ…

 が、

 いかんせん、私が、一番ビビった…

 無理もないというか?

 高雄組組長は、ヤクザ…

 高名なヤクザだ…

 いかに、相手が、大物組長でも、ビビるわけがない…

 それでは、ヤクザは務まらない…

 大場代議士もそれは、同じ…

 なにしろ、次期総理総裁候補にも、名前が挙がる、政界のサラブレッドだ…

 サラブレッドだから、生まれはお坊ちゃんだが、次期総理総裁候補にも名前が挙がるくらいだから、当然、経験を積んでいる…

それなりの荒波をくぐって来たというか、さまざまな人間と出会って、きたに決まっている…

 歳も、私の父親と同じぐらいの世代…

 海千山千とまでは、言わないが、さまざまな人を見てきたに違いない…

 だから、ビビらない…

 松尾聡が吼えても、ビビらない…

 そんなことで、ビビっては、次期総理総裁候補とは、呼ばれない…

 だが、

 この竹下クミは、違う…

 ビビる…

 ビビる…

 ビビるのだ!

 私は、恐怖で、今にも、泣き出しそうだった…

 「…どうなんですか?…」

 三度(みたび)、松尾会会長が、吼えた…

 私の恐怖は、頂点に達した…

 今すぐ、この場で、泣き出す寸前だった…

 「…会長…」

 穏やかに、高雄組組長が言った…

 「…これ以上、お嬢を脅さないで、下さい…」

 高雄組組長が、言う。

 「…お嬢の顔を、見て下さい…すでに、ベソをかいてます…」

 高雄組組長が、指摘する…

 その指摘に、あらためて、松尾会長が、私を見た…

 そして、詫びた…

 「…これは、申し訳ない…つい、年甲斐もなく、熱くなって、しまったようだ…」

 私は、一生懸命に、自分の感情を抑えようとした…

 しかしながら、涙が、頬を伝うのが、わかった…

 怖かった…

 どうしようもなく、怖かったのだ…

 「…会長、やり過ぎです…」

 大場代議士も声を上げた…

 その言葉に、松尾会長も、バツが悪くなったのか、

 「…申し訳ない…」

 と、即座に、頭を下げた。

 「…まさか、泣かれるとは、思わなかったから…」

 心の底から、困ったような顔になった…

 そこへ、高雄組組長が、

 「…さきほどの件ですが…」

 と、切り出した…

 「…このお嬢に、悠(ゆう)を使って、誘惑させようとした事実はありません…」

 「…ない?…」

 「…ハイ…」

 「…天地神明に誓ってないとないと言えるんですか?…」

 「…言えます…」

 高雄組組長が、即答する。

 その言葉に、松尾会会長は、

 「…」

 と、黙った…

 沈黙した…

 十秒…

 二十秒…

 沈黙した…

 それから、

 「…それは、高雄さんの考え…悠(ゆう)くんは、違うかもしれないね…」

 と、穏やかに言った…

 今度は、高雄組組長が、

 「…」

 と、沈黙する番だった…

 「…血が繋がっていようが、いまいが、親子でも、兄弟でも、同じように、考える人間は、ほとんど、いません…それは、血が繋がった親子や兄弟でも、顔の形や身長などの外観が、まるで、違うのと、同じです…現実に、今の天皇陛下と秋篠宮は兄弟にもかかわらず、似ているところがありません…」

 「…」

 「…つまり、外観でもそれほど違うのです…まして、中身は、いわずもがなでしょう…」

 「…」

 「…高雄さん…」

 「…ハイ…」

 「…アナタがなにを考え、どう動こうが、他人は、アナタの操り人形ではありません…誰もが、それぞれの思惑の中で、動いてます…自分が、動かすことができるのは、究極とのところ、自分だけです…」

 「…自分だけ?…」

 「…その通りです…そして、思い通りに動かせる自分でも、その結果は、全然違うということもあります…」

 「…」

 「…私をヤクザ界の黒田如水と、いうひとがいます…では、黒田如水の生きた戦国時代で例えれば、どうでしょう? おそらく毛利輝元が、その最たる例でしょう…」

 「…」

 「…彼は、御存じのように、西軍の総大将でした…が、大坂城に籠り、動かなかった…実質、徳川家康と一線も交えなかった…これは、毛利一族が、家康の側近と、密約を交わして、動かなければ、領地を保証すると、約束したからです…しかし、結果は、どうでしょう? …家康は、約束を反故にしました…十か国を支配する毛利輝元が、わずか、二か国に、減らされました…当時、仮に、戦(いくさ)に負けても、半分の五か国は、保証されると、考えていたと言われます…というか、当時は、それが、普通だったのです…負けても、半分は保証される時代でした…しかし、目算が狂いました…」

 「…」

 「…そして、毛利輝元の教訓は、誰にも、同じようなことが起こる可能性があるということです…」

 「…それは、どういう?…」

 「…誰もが、なにかをするときに、シュミレーションをします…自分が、こう動けば、相手が、こう動き、その結果、こうなるという予測を立てます…でも、それが、正しいかどうかは、後になってみないと、誰にもわからない…」

 「…」

 「…手前みそになりますが、私が、ヤクザ界の黒田如水と呼ばれたのは、それまで、そのシュミレーションが正しかったからです…博打で言えば、勝つ確率が高かったに過ぎません…」

 「…」

 「…ですが、それは、過去…将来は、わかりません…」

 松尾会会長が、語る…

 私は、それを聞いて、案外、この松尾会長は、正直な人間だと思った…

 おそらく、この松尾会長の言うことは、事実…

 ウソはないに違いない…

 これまでは、権謀術数を弄(ろう)して、ヤクザ界で生き残ってきたのだろう…

 しかし、この先は、わからない…

 そう言いたいに違いない…

 そして、それは、いつの時代も同じ…

 現代も、百年前も、四百年前も、同じだ…

 「…高雄さん、大場さん…」

 「…ハイ…」

 二人が、同時に、声を発した…

 「…お二人が、なにを目当てに、このお嬢さんを、私に紹介したのかは、わかりません…ただ、それとは、別に、今日、この料亭に私を招いてくれたこと…そして、山田会と我が松尾会の抗争を、手打ちしてくれたことへの礼は、言わなければ、なりません…ありがとうございます…」

 松尾会長は、深々と頭を下げた…

 それに対応するように、高雄組組長も、大場代議士も、頭を下げた…

 そして、それを見て、私、竹下クミも、慌てて、頭を下げた…

 それに、気付いた松尾会長は、

 「…これは、お嬢さんまで、私に頭を下げて…」

 と、驚いた…

 「…これでは、私が、高雄さんや、稲葉さんだけでなく、亡くなった古賀会長にも、怒られてしまう…」

 と、言って、楽しそうに笑った…

 「…いえ、泉下の古賀会長も、きっと、喜んでいるはずです…」

 と、高雄組組長…

 「…ほー、それは、どうしてですか?…」

 「…松尾会長もまた、これで、お嬢の力強い味方になってくれると、思ったでしょう…」

 と、意味深な言葉を投げた…

 私は、それに対して、この松尾会長が、どう答えるのか、興味津々だった…

 一体、どう反応するのか・

 私は、ゴクンと、唾を飲み込んで、待った…

 しかし、

 松尾会長は、反応しなかった…

 あえて、反応しなかったのかもしれない…

 その言葉をスルーした…

 そして、言った…

 「…大場さん…」

 「…ハイ…なんでしょうか? 会長?…」

 「…稲葉さんに、詫びを入れなさい…自宅のガレージに、発砲されて、頭にきたのは、わかりますが、そもそもヤクザとはそういうものです…」

 「…」

 「…大場さんの気持ちはわかります…これまで通り、稲葉さんと、付き合えと言っているわけでは、ありません…ただ、詫びをいれれば、稲葉さんの面子は立ちます…面子さえ、立てば、稲葉さんも、これ以上は、なにもしないでしょう…ヤクザは面子に生きる人間です…だから、公の場で、面子を潰されれば、困ります…稲葉さんの行動は、ヤクザとして、当然のことです…」

 「…わかってます…」

 大場代議士が、答える。

 「…それなら、結構…」

 松尾会長が、機嫌よく答えた…

 「…さすがは、次期総理総裁候補…総理になったら、ぜひ、この料亭で、今度は、私に、お祝いをさせて下さい…」

 「…承知しました…」

 大場代議士が答える。

 私は、それを聞いて、ホッとするというか、安心した…

 少なくとも、険悪な雰囲気には、ならなかったからだ…

 私は、争いは嫌い…

 人の悪口も嫌い…

 他人と、競争することも、嫌いだ…

 と、書くと、まるで、聖人君子のようだが、そうではない…

 お花畑というと、語弊があるが、要するに、みんなが楽しく、笑っている…

 そんな世界というか、環境が好きなのだ…

 だから、ハッキリ言うと、競争社会が、嫌いだった…

 
 結局、その日は、その後、松尾会長と、高雄組組長と、大場代議士が、とりとめのない世間話をして、終わった…

 冗談で、一度、

 「…男ばかりだから、若いコンパニオンの女のコでもいれば、少しは、華があって、楽しいんですが…」

 と、松尾会長が言った…

 が、

 すぐに、

 「…会長…お嬢の前で、それは…」

 と、高雄組組長が、遠慮がちに言った…

 「…それは、気が付きませんでした…申し訳ない…」

 私は、すぐには、わからなかったが、少し考えると、それは、私に華がないと言っているのと、同じ…

 女としても魅力がないと言っているのと、同じだった…

 たしかに、私は、地味め…

 派手さがない…

 が、

 大場代議士は、なにも言わなかった…

 きっと、それは、娘のあっちゃんもまた、私と同じだからだろう…

 なにしろ、似ている…

 それもそのはず、ウソかホントか、私以外の4人は、私に似ているから、選ばれたからだ(笑)…

 私は、それを話半分で聞いていた…

 どうしても、信じられないからだ…

 そして、その日を境に、私の運命は、大げさにいえば、暗転した…

 と、いうのは、数日後、松尾会会長、松尾聡(さとし)が、銃撃され、負傷したニュースが、世間に流れたからだった…

                
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