第113話

文字数 4,931文字

 「…ここは?…」

 思わず、言葉が口を突いて出た…

 考える間もなく、つい、口にした…

 「…そう…竹下さんと、以前、来た…」

 大場が言った…

 …そうだ…

 …以前…っていうか、大場と初めて、あのベンツGクラスという大きなジープに乗って、やって来たのが、この場所だった…

 …そして、私は、この後、大場に連れられて、あの女優の渡辺えりに似た、町中華の女将さんのいる店に行ったのだ…

 私は、それを思い出した…

 「…さあ、降りましょう…」

 大場は言って、シートベルトを外した…

 私も大場にならって、シートベルトを外した…

 そして、私は、ちょっぴり、安心したというか…

 心強くなった…

 私が無意識に、頼った、あの稲葉五郎の事務所が近くにある…

 この場所から、

 「…稲葉さん…助けて…」

 と、大声で、叫んでも、稲葉五郎がやって来るわけはないが、なんとなく心強くなった…

 自分でも、安心した…

 なんてったって、あの稲葉五郎が近くにいるのだ…

 これで、怖いものなしと言えば、おおげさだが、だいぶ精神的に落ち着いた…

 が、

 私のその予想を、あっけなく、大場が打ち砕いた…

 「…竹下さん…もしかして、稲葉のオジサンの事務所が、近くにあったのを見て、安心した?…」

 大場が、ちょっと、からかうように、私を見て、言った…

 が、

 からかいながらも、大場の顔は、緊張したままだった…

 「…竹下さん…稲葉のオジサンに、お嬢…お嬢って、持ち上げられて、いい気になっていたものね…」

 …いい気になっていた?…

 …ウソォ?…

 …私は、いい気になってなんか、いないぞ…

 私は、大場を見た…

 思わず、大場を睨みつけた…

 「…いい気になんて、なってない…」

 私は、反論した…

 「…いい気になってない?…」

 大場が私を見て言った…

 私の目を見て、言った…

 「…私は、私…竹下クミは、竹下クミ…稲葉さんが、お嬢…お嬢と、私を持ち上げても、なんの関係もない…私は、古賀会長の血筋を引いてなんかいない…」

 私は、断言する…

 私は、大場を睨みつけた…

 大場もまた、私から目をそらさず、睨んだ…

 互いに、睨み合った…

 5秒…

 10秒…

 そのままだった…

 どうする?

 このまま、睨み続けるか?

 考えたときだった…

 あろうことか、私より、先に、大場が目をそらした…

 「…議論しても、しょうがない…」

 ポツリと言った…

 「…ただ、私には、そう見えただけ…」

 それだけ言うと、大場は、クルマから降りた…

 私も大場に続いて、クルマから、降りた…

 「…どこへ、行くの?…」

 私が聞いても、大場は、なにも言わなかった…

 が、

 意地悪をしている感じでもない…

 ただ、緊張して、余裕がない様子だった…

 極度に緊張して、余裕がないというか…

 自分のやることに、没頭している様子だった…

 …逃げるか?…

 一瞬、そんな考えが、脳裏をかすめた…

 私は、当たり前だが、大場に人質を取られているとか、そんなことはない…

 だから、ここで、ダッシュで、この場から逃げ出しても、構わない…

 仮に、大場が、追っかけてきても、私は、大場を払いのけて、逃げる自信がある…

 なぜなら、大場は、私と同じ身長で、同じ体格…

 とても、大場が私を抑えつける力があるとは、思えない…

 が、

 しなかった…

 逃げなかった…

 ここで、逃げても仕方がない気持ちがあった…

 逃げることはできたが、それをしても、繰り返すだけだと思った…

 やはり、大場は、次にも、なにか、別の方法で、私に仕掛けてくる…

 その確信があった…

 いや、

 大場だけではない…

 あの高雄…高雄悠(ゆう)も、そうだ…

 今は、逮捕されてるから、私の前に、現れることはできないが、釈放されれば、再び、私になにか、仕掛けてくる…

 なにを仕掛けてくるのかは、わからない…

 だが、接触してくるのは、間違いない…

 だから、逃げなかった…

 逃げても仕方がないと、腹をくくった…

 そして、その結果、どうなるか?

 知りたくなった…

 きっと、今、逃げても、何度でも仕掛けてくる…

 ならば、一体なんで、そんなに仕掛けてくるのか、知りたくなった…

 当たり前のことだ…

 私に謎がある…

 これは、私にも、わかる…

 だが、その謎がなんなのかは、わからない…

 それが、今、大場の言われるままに、どこかへ行けば、わかるかもしれない…

 承知!

 とっさに、その言葉が脳裏に浮かんだ…

 承知!

 私は、なにもかも、承知で、大場の言う通りにする…

 大場の言いなりになって、やる…

 その結果、私になにがあるか、わかればいい…

 そう、腹をくくった…

 私は、黙って大場の後を歩きながら、そんなことを考えていた…

 一方、大場は、というと、無言で、歩いていた…

 黙って、後ろを歩く、私を振り返りもしなかった…

 ただ、背後を歩く、私から見ても、大場の足取りは、重かった…

 明らかに、軽くなかった…

 なんというか、無理やり、自分の足を動かしているというと、大げさだが、仕方なく、やっている感が、ありありだった…

 …一体、大場は、私をどこへ、連れてゆくのだろう?…

 私は、思った…

 思いながら、つい、あの稲葉一家の看板を見た…

 今すぐ、稲葉五郎が、私を助けにやって来ることは、ありえないが、見てしまった…

 稲葉五郎にすがったといってもいい…

 やはり、私は気が小さい…

 弱っちい…

 今さらながら、思った…

 つい、誰かを頼ってしまう…

 これは、子供の頃から、同じだった…

 変わらなかった…

 そんなことを思いながら、私は、大場の後をついて、歩いた…

 トボトボと歩いた…

 そして、気付いた…

 大場の歩く道は、以前、私も歩いた道だと…

 つまりは、この道は、以前、歩いたことがある…

 それを思い出した…

 そして、着いた先は?

 なんと、あの町中華の店だった…

 これは、驚いた…

 あの女優の渡辺えりに似た女将さんのいる店だった…

 ただし、店は、閉まっていた…

 閉店の札が、かかっていた…

 しかし、大場は、それに構わず、ドアを開けた…

 意外にも、ドアにカギは、かかってなかった…

 ガラガラと音を立てて、扉が開いた…

 私もまた無言で、大場に続いて、店の中に入った…

 店の中には、当然だが、ひとのいる雰囲気はなかった…

 店も暗く、電灯がついてなかった…

 が、外から入る光で、薄暗いが、中は見えた…

 すると、中に、ポツンと、ひとがいるのが、わかった…

 ひとりきりで、テーブルで、誰かが、座っていたのだ…

 私は、それが、この店の女将だと、すぐにわかった…

 あの女優の渡辺えりに似た女将さんだと、わかった…

 女将さんは、大場と私を見ることもなく、

 「…来たんだ…」

 と、呟いた…

 ひどく、物憂げと言うか、投げやりな口調だった…

 大場もまた、女将さんに声をかけることは、なかった…

 「…そこらへんに、適当に座りな…なんか、飲み物を持ってくる…」

 女将さんは、そう言って、席を立った…

 私は、驚いた…

 まさか、大場が、私をこの店に連れてくるとは、思わなかった…

 いや、

 そうではない…

 大場が連れてきた先が、この町中華の店とは、思わなかったのだ…

 …一体全体、なぜ?…

 …どうして、大場は、私をこの店に連れてきた?…

 私は、考える。

 しかし、考えながら、もう一方で、

 …それは、すぐに、答えが出る!…

 と、気付いた…

 答えを出すために、大場が、私を連れてきた…

 そうとも、言える…

 そして、ふいに、気付いた…

 大場が、私を邪魔と言った意味を、だ…

 私が邪魔といった意味を、だ…

 当たり前だが、大場にとって、大切なのは、父親である、大場小太郎の次期総理就任…

 今、大場小太郎は、以前は、影が薄かったのが、ウソのように、国会で、存在感を発している…

 それは、ちょうど、芸能人が、売れる前と、売れた後の違いのようなもの…

 文字通り、天と地の差だ…

 このままでは、誰の目にも、次の総理間違いなしだ…

 だが、そんな中で、なぜか、私が邪魔な存在らしい…

 一体なぜ?

 なぜ、私が、邪魔な存在なのか?

 考える…

 もう少しで、答えが出る…

 それが、わかっていても、やはり、もどかしかった…

 一秒でも、早く、答えを知りたかった…

 私と、大場は、テーブル越しに、向かい合わせで、座った…

 その方が、大場が、私を監視できると、思ったに違いない…

 大場と、私は、お互いに、見つめ合った…

 薄暗いが、大場が、緊張している様子は、手に取るようにわかった…

 いや、

 緊張だけではない…

 明らかに、恐怖している様子が、手に取るように、わかった…

 「…ホントは、こんなことしたくなかった…」

 いきなり、ボソッと、小さな声で、言った…

 私は、黙って、それを聞いていた…

 口を挟まなかった…

 それよりも、一体、大場が、なにを言い出すのか、興味津々だった…

 すべての謎が解ける…

 そんな期待に胸が膨らんだ…

 が、

 その期待を、女将さんが、打ち破った…

 「…そんなこと、言っちゃ、ダメだよ…」

 飲み物を手にした女将さんが、戻ってきて、言った…

 「…それを言えば、アタシもさ…」

 女将さんも、落ち込んだ表情で言った…

 「…いいコじゃないか? このお嬢ちゃん…性格もまっすぐで…ホント、いいコ…」

 なぜか、女将さんが、私を褒め出した…

 「…アタシもあっちゃんを、子供の頃から、知っている…だから、あっちゃんが、こんなことをするのは、気が進まないのは、よくわかる…」

 落ち込んだ声で、女将さんが、言う…

 「…すべては、運命さ…そう考えれば、諦めがつく…」

 女将さんが、そんなふうに、大場を励ました…

 私には、一体全体、なんのことだか、さっぱりわからなかった…

 …運命って、一体?…

 私を、この町中華の店に連れてくるのが、運命って?

 一体、全体、どういう意味?

 私は、考え込んだ…

 これって、まるで、最後の晩餐っていうか?

 キリストの最後の晩餐の光景に近い…

 なぜか、ふと、思った…

 今、女将さんが、持ってきた飲み物を飲んで、これから、私が、処刑されるような…

 まるで、これから、死刑囚が、処刑される寸前に、最後の食事を取るような…

 そんな感じだった…

 まさに、そんな感じだった…

 でも、

 どうして、

 そんな感じになるの?

 さっぱり、わからなかった…

 一体、私が、なにをしたって言うんだ?

 私が、大場になにか、悪いことをしたっていうのか?

 それなら、わかる…

 でも、私は、大場になにもしていない…

 だが、まるで、これから、私を処刑するような…

 そんな緊張感がある…

 そんな息苦しさがある…

 神様…

 私は、祈った…

 稲葉さん…

 ふいに、稲葉五郎の名前が浮かんだ…

 稲葉五郎ならば、この状況を救ってくれる…

 私を、この場から、救い出してくれる…

 そう思った…

 そう信じた…

 しかし、稲葉五郎の事務所は、近いが、この場所から、大声で、叫べば、届く距離でもない…

 私は、絶望に打ちひしがれた…

 いや、

 そもそも、今、現在、事務所に、稲葉五郎がいるか、どうかも、わからない…

 そんなことに、気付いた…

 そう考えると、文字通り、絶望した…

 と、そのときだった…

 店のドアが、いきなり、ガラッと開いた…

 私と大場、そして、女将さんの三人が、ドアを見た…

 そこには、大きなカラダが、あった…

 薄暗いが、すぐにゴツイ顔がわかった…

 ごつい顔が見えた…

 稲葉五郎だった…

 私が、祈った稲葉五郎の姿があった…

 夢?

 まるで、夢のようだ…

 もっとも、頼りになる男が、やって来てくれた…

 私は、カラダの中から、不意に、涙が溢れそうになった…

 「…どうした? オバサン…不意に、オレを呼び出して? しかも、電気を付けず…」

 稲葉五郎が、戸惑いながらも、うす暗い中、恐る恐る、私たちの方にやって来た…

 それから、私と大場が、この店にいるのを、知って、驚いた…

 「…あっちゃん…それに、お嬢…どうして、ここに?…」

 稲葉五郎が、戸惑う…

 そこへ、女将さんが、声をかけた…

 「…五郎、今すぐ、引退しな…ヤクザを辞めるんだ…」

 ありえない言葉を、稲葉五郎に言った…

                
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