第25話
文字数 5,834文字
「…要するに、カッコをつけたいだけなのもしれません…」
高雄の父が告白する。
「…本当は、女にモテたいのに、女に興味がないようなフリをする…男なら、誰でもある経験です…」
「…」
「…実は、この歳になっても、それは変わりません…ただ、以前よりは、カッコをつけなくなっただけです…」
私は、高雄の父の告白に、どう言っていいか、わからないので、
「…」
と、黙った…
「…でも、やはりカッコをつけるのを、止めることはできません…実は、今、私にチャンスが巡ってきています…」
「…チャンスが?…」
「…要するに、昇進のチャンスですね…」
私は、高雄の父の言葉に、考え込んだ…
たしか、高雄の父親は、日本で二番目に大きな山田会の跡目争い=後継者争いの真っただ中…
高雄の父は、次期の山田会の会長の有力候補…
そして、そのライバルは、たしか稲葉一家と、聞いた覚えがある…
つまり、高雄の父のいう昇進のチャンスとは、山田会の次期会長になれるか、どうかのことだろう…
おそらく、それを言ってるのだろう…
私は思った…
私は、それゆえ、つい、
「…高雄さんのお父様のライバルって、どんな方ですか?…」
と、聞いてしまった…
やはり、日本で、二番目に大きなヤクザ組織の後継者争いというと、なんとなく気になったからだ…
私の言葉に、高雄の父は、キョトンとした表情になった…
「…ライバル?…」
「…だって、今、高雄さんのお父様は、昇進のチャンスがあるとおっしゃったでしょ? …だったら、誰かと、競うはずです…」
私は、自信を持って、断言した…
私の言葉に、高雄の父は、しばし、考え込んだ…
「…たしかに、お嬢さんの言う通りです…」
と、ポツンと呟いた。
「…でも、ライバルという言葉は、思いつかなかった…」
「…どうしてですか?…」
「…いえ、個人的な考えですが、どうしても、ライバルというと、スポーツ選手を想像してしまうんです…例えば、野球選手とか…」
たしかに、高雄の父親の言うことは、わかる…
ライバルというと、勉強よりも、スポーツの例が多い…
大相撲で、言えば、白鵬と稀勢の里だろう…
はっきり言って、白鵬と稀勢の里では、同じ横綱でも、実績がまるで、違う…
稀勢の里は、白鵬の足元にも、及ばない…
ただし、稀勢の里と白鵬の対戦だけに見ると、また違ってくる…
要するに、実力は、白鵬が文句なく上だが、こと対戦相手が稀勢の里となると、実力が伯仲する…
というか、単純に白鵬が、稀勢の里が苦手なのだろう…
私は、そんなことを考えた。
そんなことを、考えてると、
「…いい男ですよ…」
と、高雄の父が続けた。
「…いい男?…誰がですか?」
と、私。
「…誰って、私のライバルですよ…」
と、高雄の父が楽しそうに言った…
「…私とは、タイプが違うが、いい男であることは、間違いないです…」
「…間違いない?…」
「…ハイ…間違いないです…っていうか、私ぐらいの年齢で、自分でいうのもなんですが、昇進レースを繰り広げるのは、狙ったポストがデカいです…デカいポストを狙う人間は、当然、人格的にも優れています…下の人間からも慕われてます…だから、当然、いい男で間違いはないです…」
高雄の父が楽しそうに言う。
私は、それを見て、
「…高雄さんのお父様って、変わってますね…」
と、遠慮なく言った。
この言葉は、高雄の父にとって、意外だったようだ…
「…変わってる? …どこが変わってるんですか?…」
「…だって、そうでしょ? 自分のライバルを褒めるなんて…」
「…褒める? …違います…」
「…違う?…」
「…客観的に、相手を評価しているだけです…」
高雄の父が言う。
「…自分のライバルを足蹴にするバカは、どこの世界でも、成功はできませんよ…はばかりながら、この私のライバルと言われた男です…いい男でなければ、なりません…」
私は高雄の父の言葉に、強烈な自負を感じた…
文字通り、強烈な自負…自信を感じた…
ただ、単純に、自分のライバルを褒めているのではない…
冷静に相手の実力を見極めているのだろう…
もっとも、それができなければ、山田会の次期会長候補になれるはずもない…
日本で、二番目の大きなヤクザ組織のトップになるかもしれないのだ…
当たり前だが、能力は抜きん出ている…
会社であれ、ヤクザであれ、トップに上り詰めるほどの人間は、持って生まれた才能が秀でている…
他人がない能力を持って生まれている…
どこの世界でも、能力が抜きん出ていなければ、トップにはなれない…
当たり前のことだ…
「…いい男です…実に、いい男です…」
高雄の父親が繰り返した。
「…私が、彼と争うのは、運命かもしれない…」
「…運命?…」
私は、思わず、声を荒げた。
運命なんて、そんな大げさな言葉が出るとは、思わなかったからだ…
私の言葉に、高雄の父が、
「…お嬢さん…そんなに声を荒げないでください…自分でも、運命なんて、言葉を使って、恥ずかしいんです…」
と、照れたように、言った…
「…はばかりながら、この高雄、自分で言うのもなんですが、スマートな男で、売ってます…なにか、芝居じみた言葉を話すと、自分でも恥ずかしいんです…」
高雄の父が、身の置き所がないように、言った。
事実、高雄の父は、はた目にも、照れていた…
テレが出ていた…
「…ですが、彼と争うのは、運命と思ったことに、ウソはありません…」
断言する。
「…彼も、おそらく、そう思っているんじゃないかな…」
「…そう、思ってる?…」
「…もう何十年も前からの、古い付き合いです…だから、なにか、あの男と争うと、言うと…」
と、それ以上は、高雄の父は、話さなかった…
私に話す話ではないと、思ったのかもしれない…
そして、気付いた…
一体、高雄の父は、どうして、私を待っていたのか?
そんな当たり前のことに、気付いた…
なにか、私を待っていた理由があるはずだ…
なにしろ、4時間は、私を待っていたのだ…
このキャデラックで、待っていたのだ…
普通、誰もが、そんなことをするはずがない…
いかに、息子の恋人でも、するはずがない…
いや、するはずがないとは言わないが、する人間は、稀だろう…
息子?
そう言えば、さっきから話しているが、息子の悠の話題は、まだ出ていない…
当たり前だが、高雄の父は、息子のために、私に会いに来たはずだ…
それが、まだ話題にしていないと言うのは?
私は、考えた。
と、そこまで、考えたとき、
「…今日は、お嬢さんを引き止めて、私のつまらない話に付き合わせて、申し訳なかった…」
と、突然、言った。
「…今日は、私もお嬢さんと、お話して、楽しかった…勉強になりました…」
と、言って、車中で、私に頭を下げた…
と、当時に、高雄の父が、私に用事がなくなったことに、気付いた…
用事は済んだのだ…
「…辺りは、暗い…気を付けて、お帰り下さい…」
そう言って、高雄の父は、キャデラックから、わざわざ降りて、反対側の、私の席のドアを開けた…
私は、驚いたが、キャデラックから、降りるしかなかった…
高雄の父が、わざわざ、私のいる席のドアを開けてくれているのだ…
例え、高雄の父が、有力ヤクザでなくても、降りるしかなかった…
自分の父親と同世代の人間が、わざわざ、クルマのドアを開けて、降りてくれと言っているのだ…
降りるしかないだろう…
私は、
「…スイマセン…」
と、頭を下げて、キャデラックから降りた…
「…お嬢さん…お気を付けて、下さい…」
高雄の父は言った。
「…ハイ…大丈夫です…バイトの帰りは、いつも、この時間ですから…」
私は、高雄の父に、頭を下げて言った…
「…いえ、それもそうですが…」
高雄の父が、言いづらそうに、言った…
「…お嬢さんの身が心配です…」
「…私の身?…」
思いがけない高雄の父の言葉だった…
私は、思わず、高雄の父の顔を見た…
凝視した…
すると、高雄の父は、とっさに、私の視線をはずして、
「…一般論です…深い意味はありません…」
と、告げた。
私は、その言葉に疑問を持ったが、さりとて、高雄の父を問い詰めることはできない…
私は、
「…今日は、ありがとうございました…」
と、だけ言って、頭を下げ、高雄の父の元を去った…
キャデラックの後部座席に、再び乗り込んだ、高雄の父は、
「…出してくれ…」
と、運転する男性に言った…
当然のことながら、高雄の父は、後部座席で、座ったまま…
私が、コンビニのバイトを終えるまで、このキャデラックの後部座席に座ったまま、運転手の男性と二人だけで、ジッと待っていたのだろう…
「…では、お嬢さん…お気を付けて…」
車中から、私に軽く頭を下げると、運転手の男性が、わざわざ、運転席から降りて、私が降りた、クルマのドアを閉めた…
まるで、会社の社長とか、皇族のような扱いだ…
私は、思った。
そして、それは、おそらく高雄の父の意思とは、関係ないのでは?
と、直感した…
会社でもなんでも、ある程度の地位にいる人間には、演出が必要だ…
はっきり言って、能力や地位は、外見ではわからない…
仮に、大会社のトップでも、普通に街を歩いていても、大半は誰も気付かないだろう…
誰もが、おやっと振り返って見るような、オーラを持っている人間は、普通はいない…
トップ芸能人ならば、それがあるのだろうが、大会社の社長といえども、会社の経営能力とは、まったく違うものだからだ…
だから、演出が必要になる…
今回の例で言えば、高雄の父が、自分で、ドアを閉めればいいものを、わざわざ運転手が、外に出て、ドアを閉める…
そうすることで、クルマの後部座席に乗る人間が、大物であることを、周囲に悟らせるというか…
逆に言えば、誰もが演出がないと、大物感が出ないと言える…
しかし、これは、周囲の耳目を引く、美男美女でもない限りは、仕方のないことなのかもしれない…
ルックスが優れていれば、周囲の耳目を引く=目立つが、普通は、そんな人間は、少ないからだ…
私は、コンビニで、バイトをして、多くのお客様を見ているが、同性の女で言えば、美人と、周囲が思わず、目を引く美女は、大体三千人に一人ぐらい…
ただし、その三千人は、例えば、二十五歳以下限定…
歳を取れば、どうしても、ルックスは、衰えるからだ…
若くて、キレイ…
これが、原則だ…
だから、当然、絶対数が少ない…
当たり前のことだ…
40歳でも、美人はいるが、同じような顔立ちの20歳の美人には、勝てない…
仮に40歳の美人が、20歳に戻れば、その20歳の美人と、肩を並べる、甲乙つけがたい美人かもしれないが、40歳になれば、若さが衰える…
その結果、20歳の美人に勝てない…
これも、当たり前のことだ…
と、ここまで、考えて、ふと、高雄を思った…
今さっき別れた、高雄の父ではない…
息子の悠(ゆう)の方だ…
どうして、高雄悠のことを思ったのか?
理由は、簡単だ…
高雄悠は、ハッと周囲の人目を惹く美男子だからだ…
変な話、高雄の父親は、キャデラックの運転手に、後部座席のドアを閉めさせることで、威厳を持たすと言うか、周囲に重要人物と思わせるが、息子の悠には、それが、必要ない…
悠は、誰もが、ハッと振り返るほどの美男子だからだ…
それを思った時、
ふと、
…会いたい!…
と、思った…
高雄悠に会いたい…
たった今、別れた父親の方ではなく、息子の悠に会いたい…
衝動的に思った…
そして、気付いた…
私が、杉崎実業の内定を辞退しない理由…
やはり、それは、高雄が関係する…
高雄は、私たち五人の杉崎実業の内定者の中の一人と結婚すると、断言した…
これは、運命なのだと…
つまり、運命婚…
運命によって、決められた結婚だと…
私は、内心、バカバカしいと思いながらも、それを拒否することができなかった…
理由は、高雄が、あまりにも、魅力的だからだ…
それに、杉崎実業に内定した私以外の四人の女…
その素性を知るにつけ、余計に自分には、チャンスがないと思い知った…
あの林を例に取れば、わかるように、とんでもない、お金持ち…
しかも、林以外の他の三人も同様に、お金持ちらしい…
正直、私に勝ち目があるとは、思えない…
この平凡な竹下クミに、勝ち目があるとは、どうしても思えない…
しかし、
しかし、だ…
この平凡な竹下クミも、五人の内定者の一人…
おそらく、なにかの間違いで、選ばれたに決まっているが、選ばれた以上、チャンスはある…
この竹下クミにも、高雄と結婚できるチャンスはある!
私は、今さらながら、その事実に気付いた…
気付いたのだ…
おそらくは、宝くじを買って、一億円当たるような確率しかないかもしれないが、チャンスはある…
そう思った…
そう、思うことで、あらためて、杉崎実業の内定を辞退することを、やめようと、思った…
内定を辞退すれば、高雄との結婚の可能性は消滅するからだ…
運命婚…
一億円の宝くじに当たる確率しか、ないかもしれないが、私は高雄との結婚を夢見た…
高雄との結婚に掛けてみることにした…
高雄の父が告白する。
「…本当は、女にモテたいのに、女に興味がないようなフリをする…男なら、誰でもある経験です…」
「…」
「…実は、この歳になっても、それは変わりません…ただ、以前よりは、カッコをつけなくなっただけです…」
私は、高雄の父の告白に、どう言っていいか、わからないので、
「…」
と、黙った…
「…でも、やはりカッコをつけるのを、止めることはできません…実は、今、私にチャンスが巡ってきています…」
「…チャンスが?…」
「…要するに、昇進のチャンスですね…」
私は、高雄の父の言葉に、考え込んだ…
たしか、高雄の父親は、日本で二番目に大きな山田会の跡目争い=後継者争いの真っただ中…
高雄の父は、次期の山田会の会長の有力候補…
そして、そのライバルは、たしか稲葉一家と、聞いた覚えがある…
つまり、高雄の父のいう昇進のチャンスとは、山田会の次期会長になれるか、どうかのことだろう…
おそらく、それを言ってるのだろう…
私は思った…
私は、それゆえ、つい、
「…高雄さんのお父様のライバルって、どんな方ですか?…」
と、聞いてしまった…
やはり、日本で、二番目に大きなヤクザ組織の後継者争いというと、なんとなく気になったからだ…
私の言葉に、高雄の父は、キョトンとした表情になった…
「…ライバル?…」
「…だって、今、高雄さんのお父様は、昇進のチャンスがあるとおっしゃったでしょ? …だったら、誰かと、競うはずです…」
私は、自信を持って、断言した…
私の言葉に、高雄の父は、しばし、考え込んだ…
「…たしかに、お嬢さんの言う通りです…」
と、ポツンと呟いた。
「…でも、ライバルという言葉は、思いつかなかった…」
「…どうしてですか?…」
「…いえ、個人的な考えですが、どうしても、ライバルというと、スポーツ選手を想像してしまうんです…例えば、野球選手とか…」
たしかに、高雄の父親の言うことは、わかる…
ライバルというと、勉強よりも、スポーツの例が多い…
大相撲で、言えば、白鵬と稀勢の里だろう…
はっきり言って、白鵬と稀勢の里では、同じ横綱でも、実績がまるで、違う…
稀勢の里は、白鵬の足元にも、及ばない…
ただし、稀勢の里と白鵬の対戦だけに見ると、また違ってくる…
要するに、実力は、白鵬が文句なく上だが、こと対戦相手が稀勢の里となると、実力が伯仲する…
というか、単純に白鵬が、稀勢の里が苦手なのだろう…
私は、そんなことを考えた。
そんなことを、考えてると、
「…いい男ですよ…」
と、高雄の父が続けた。
「…いい男?…誰がですか?」
と、私。
「…誰って、私のライバルですよ…」
と、高雄の父が楽しそうに言った…
「…私とは、タイプが違うが、いい男であることは、間違いないです…」
「…間違いない?…」
「…ハイ…間違いないです…っていうか、私ぐらいの年齢で、自分でいうのもなんですが、昇進レースを繰り広げるのは、狙ったポストがデカいです…デカいポストを狙う人間は、当然、人格的にも優れています…下の人間からも慕われてます…だから、当然、いい男で間違いはないです…」
高雄の父が楽しそうに言う。
私は、それを見て、
「…高雄さんのお父様って、変わってますね…」
と、遠慮なく言った。
この言葉は、高雄の父にとって、意外だったようだ…
「…変わってる? …どこが変わってるんですか?…」
「…だって、そうでしょ? 自分のライバルを褒めるなんて…」
「…褒める? …違います…」
「…違う?…」
「…客観的に、相手を評価しているだけです…」
高雄の父が言う。
「…自分のライバルを足蹴にするバカは、どこの世界でも、成功はできませんよ…はばかりながら、この私のライバルと言われた男です…いい男でなければ、なりません…」
私は高雄の父の言葉に、強烈な自負を感じた…
文字通り、強烈な自負…自信を感じた…
ただ、単純に、自分のライバルを褒めているのではない…
冷静に相手の実力を見極めているのだろう…
もっとも、それができなければ、山田会の次期会長候補になれるはずもない…
日本で、二番目の大きなヤクザ組織のトップになるかもしれないのだ…
当たり前だが、能力は抜きん出ている…
会社であれ、ヤクザであれ、トップに上り詰めるほどの人間は、持って生まれた才能が秀でている…
他人がない能力を持って生まれている…
どこの世界でも、能力が抜きん出ていなければ、トップにはなれない…
当たり前のことだ…
「…いい男です…実に、いい男です…」
高雄の父親が繰り返した。
「…私が、彼と争うのは、運命かもしれない…」
「…運命?…」
私は、思わず、声を荒げた。
運命なんて、そんな大げさな言葉が出るとは、思わなかったからだ…
私の言葉に、高雄の父が、
「…お嬢さん…そんなに声を荒げないでください…自分でも、運命なんて、言葉を使って、恥ずかしいんです…」
と、照れたように、言った…
「…はばかりながら、この高雄、自分で言うのもなんですが、スマートな男で、売ってます…なにか、芝居じみた言葉を話すと、自分でも恥ずかしいんです…」
高雄の父が、身の置き所がないように、言った。
事実、高雄の父は、はた目にも、照れていた…
テレが出ていた…
「…ですが、彼と争うのは、運命と思ったことに、ウソはありません…」
断言する。
「…彼も、おそらく、そう思っているんじゃないかな…」
「…そう、思ってる?…」
「…もう何十年も前からの、古い付き合いです…だから、なにか、あの男と争うと、言うと…」
と、それ以上は、高雄の父は、話さなかった…
私に話す話ではないと、思ったのかもしれない…
そして、気付いた…
一体、高雄の父は、どうして、私を待っていたのか?
そんな当たり前のことに、気付いた…
なにか、私を待っていた理由があるはずだ…
なにしろ、4時間は、私を待っていたのだ…
このキャデラックで、待っていたのだ…
普通、誰もが、そんなことをするはずがない…
いかに、息子の恋人でも、するはずがない…
いや、するはずがないとは言わないが、する人間は、稀だろう…
息子?
そう言えば、さっきから話しているが、息子の悠の話題は、まだ出ていない…
当たり前だが、高雄の父は、息子のために、私に会いに来たはずだ…
それが、まだ話題にしていないと言うのは?
私は、考えた。
と、そこまで、考えたとき、
「…今日は、お嬢さんを引き止めて、私のつまらない話に付き合わせて、申し訳なかった…」
と、突然、言った。
「…今日は、私もお嬢さんと、お話して、楽しかった…勉強になりました…」
と、言って、車中で、私に頭を下げた…
と、当時に、高雄の父が、私に用事がなくなったことに、気付いた…
用事は済んだのだ…
「…辺りは、暗い…気を付けて、お帰り下さい…」
そう言って、高雄の父は、キャデラックから、わざわざ降りて、反対側の、私の席のドアを開けた…
私は、驚いたが、キャデラックから、降りるしかなかった…
高雄の父が、わざわざ、私のいる席のドアを開けてくれているのだ…
例え、高雄の父が、有力ヤクザでなくても、降りるしかなかった…
自分の父親と同世代の人間が、わざわざ、クルマのドアを開けて、降りてくれと言っているのだ…
降りるしかないだろう…
私は、
「…スイマセン…」
と、頭を下げて、キャデラックから降りた…
「…お嬢さん…お気を付けて、下さい…」
高雄の父は言った。
「…ハイ…大丈夫です…バイトの帰りは、いつも、この時間ですから…」
私は、高雄の父に、頭を下げて言った…
「…いえ、それもそうですが…」
高雄の父が、言いづらそうに、言った…
「…お嬢さんの身が心配です…」
「…私の身?…」
思いがけない高雄の父の言葉だった…
私は、思わず、高雄の父の顔を見た…
凝視した…
すると、高雄の父は、とっさに、私の視線をはずして、
「…一般論です…深い意味はありません…」
と、告げた。
私は、その言葉に疑問を持ったが、さりとて、高雄の父を問い詰めることはできない…
私は、
「…今日は、ありがとうございました…」
と、だけ言って、頭を下げ、高雄の父の元を去った…
キャデラックの後部座席に、再び乗り込んだ、高雄の父は、
「…出してくれ…」
と、運転する男性に言った…
当然のことながら、高雄の父は、後部座席で、座ったまま…
私が、コンビニのバイトを終えるまで、このキャデラックの後部座席に座ったまま、運転手の男性と二人だけで、ジッと待っていたのだろう…
「…では、お嬢さん…お気を付けて…」
車中から、私に軽く頭を下げると、運転手の男性が、わざわざ、運転席から降りて、私が降りた、クルマのドアを閉めた…
まるで、会社の社長とか、皇族のような扱いだ…
私は、思った。
そして、それは、おそらく高雄の父の意思とは、関係ないのでは?
と、直感した…
会社でもなんでも、ある程度の地位にいる人間には、演出が必要だ…
はっきり言って、能力や地位は、外見ではわからない…
仮に、大会社のトップでも、普通に街を歩いていても、大半は誰も気付かないだろう…
誰もが、おやっと振り返って見るような、オーラを持っている人間は、普通はいない…
トップ芸能人ならば、それがあるのだろうが、大会社の社長といえども、会社の経営能力とは、まったく違うものだからだ…
だから、演出が必要になる…
今回の例で言えば、高雄の父が、自分で、ドアを閉めればいいものを、わざわざ運転手が、外に出て、ドアを閉める…
そうすることで、クルマの後部座席に乗る人間が、大物であることを、周囲に悟らせるというか…
逆に言えば、誰もが演出がないと、大物感が出ないと言える…
しかし、これは、周囲の耳目を引く、美男美女でもない限りは、仕方のないことなのかもしれない…
ルックスが優れていれば、周囲の耳目を引く=目立つが、普通は、そんな人間は、少ないからだ…
私は、コンビニで、バイトをして、多くのお客様を見ているが、同性の女で言えば、美人と、周囲が思わず、目を引く美女は、大体三千人に一人ぐらい…
ただし、その三千人は、例えば、二十五歳以下限定…
歳を取れば、どうしても、ルックスは、衰えるからだ…
若くて、キレイ…
これが、原則だ…
だから、当然、絶対数が少ない…
当たり前のことだ…
40歳でも、美人はいるが、同じような顔立ちの20歳の美人には、勝てない…
仮に40歳の美人が、20歳に戻れば、その20歳の美人と、肩を並べる、甲乙つけがたい美人かもしれないが、40歳になれば、若さが衰える…
その結果、20歳の美人に勝てない…
これも、当たり前のことだ…
と、ここまで、考えて、ふと、高雄を思った…
今さっき別れた、高雄の父ではない…
息子の悠(ゆう)の方だ…
どうして、高雄悠のことを思ったのか?
理由は、簡単だ…
高雄悠は、ハッと周囲の人目を惹く美男子だからだ…
変な話、高雄の父親は、キャデラックの運転手に、後部座席のドアを閉めさせることで、威厳を持たすと言うか、周囲に重要人物と思わせるが、息子の悠には、それが、必要ない…
悠は、誰もが、ハッと振り返るほどの美男子だからだ…
それを思った時、
ふと、
…会いたい!…
と、思った…
高雄悠に会いたい…
たった今、別れた父親の方ではなく、息子の悠に会いたい…
衝動的に思った…
そして、気付いた…
私が、杉崎実業の内定を辞退しない理由…
やはり、それは、高雄が関係する…
高雄は、私たち五人の杉崎実業の内定者の中の一人と結婚すると、断言した…
これは、運命なのだと…
つまり、運命婚…
運命によって、決められた結婚だと…
私は、内心、バカバカしいと思いながらも、それを拒否することができなかった…
理由は、高雄が、あまりにも、魅力的だからだ…
それに、杉崎実業に内定した私以外の四人の女…
その素性を知るにつけ、余計に自分には、チャンスがないと思い知った…
あの林を例に取れば、わかるように、とんでもない、お金持ち…
しかも、林以外の他の三人も同様に、お金持ちらしい…
正直、私に勝ち目があるとは、思えない…
この平凡な竹下クミに、勝ち目があるとは、どうしても思えない…
しかし、
しかし、だ…
この平凡な竹下クミも、五人の内定者の一人…
おそらく、なにかの間違いで、選ばれたに決まっているが、選ばれた以上、チャンスはある…
この竹下クミにも、高雄と結婚できるチャンスはある!
私は、今さらながら、その事実に気付いた…
気付いたのだ…
おそらくは、宝くじを買って、一億円当たるような確率しかないかもしれないが、チャンスはある…
そう思った…
そう、思うことで、あらためて、杉崎実業の内定を辞退することを、やめようと、思った…
内定を辞退すれば、高雄との結婚の可能性は消滅するからだ…
運命婚…
一億円の宝くじに当たる確率しか、ないかもしれないが、私は高雄との結婚を夢見た…
高雄との結婚に掛けてみることにした…