第133話

文字数 4,639文字

 松尾聡(さとし)…

 松尾会会長…

 病院を退院してからの、松尾会会長の動きは、素早かった…

 まさに、電光石火と言ってもいい動きだった…

 すぐに、日本中、あちこちの松尾会の友好団体に、顔を出し、自身の健在ぶりを、示した…

 要するに、顔見せだ…

 あちこちの、松尾会と友好関係にある、暴力団に、顔を見せ、それを、実話系のヤクザ雑誌に撮らせる…

 そうすることで、自身の健在ぶりを示した…

 …嫌なヤツが出てきた…

 ネットでは、早速、そんな話が載っていた…

 松尾聡(さとし)は、松尾会会長ではあるが、すでに、実質引退状態だった…

 それまで、滅多に、表に出ることはなかった…

 それが、世間に出まくっている…

 一体、どういう風の吹き回しか?

 誰もが、思う…

 誰もが、考える…

 稲葉五郎もその一人だった…

 「…あのオジキは、どうして、今頃になって、ノコノコ世間に顔を出すんだ?…」

 と、激怒したとまでは、言わないが、不満を漏らしたと、実話系の雑誌に書かれていた…

 しかし、松尾聡(さとし)本人は、例え、そんな話が、本人の耳に届こうが、どこ吹く風…

 稲葉五郎の神経を逆なでするが如く、あちこちの友好団体に顔を出しまくった…

 最初のうちは、

 「…あの爺さん…なんで、今頃、ノコノコ出てきたんだ? …この前、代替わりした、山田会の初代会長の古賀さんと五分五分の盃を交わした親分だというのは、わかってるけど、その古賀の親分も鬼籍に入った…なんで、今さら…」

 と、いう声が、ヤクザ界でも大半だったが、松尾会長が、積極的に、あちこちの友好団体に、顔を出しまくることにより、そんな声も下火になった…

 要するに、既成事実を作ったのだ…

 誰もが、最初は、なんで? とか、おかしいだろ? と、声を上げることも、何度も繰り返すことで、それが、おかしくなくなるというか…

 最初の頃は、半ば引退同然だった、松尾会長が、あちこちの友好団体を訪問することに、懐疑的だった、ヤクザ界の声も、いつのまにか、立ち消えになった…

 それどころか、いつのまにか、山田会の分裂騒動が、週刊誌のネタに上がっていた…

 きっかけは、当たり前だが、高雄組組長の自殺…

 経済ヤクザである、高雄組組長が、自殺したことで、同じ立場である、山田会内部の経済ヤクザである組が、一致して、山田会を抜けるのでは?

 という情報が、業界を行き交った…

 武闘派の稲葉五郎が、山田会の会長に納まった今、経済ヤクザの組たちは、やりづらくなるというか…

 肩身が狭くなる…

 だから、一致団結して、山田会を抜けて、他団体といっしょになるか? 

 独立して、自分たちだけで、あらたに組織を立ち上げるか?

 そんな真偽不明の情報が、飛び交った…

 そして、それは、いつのまにか、あの松尾聡(さとし)に行き着いた…

 つまりは、あの引退同然だった、松尾聡(さとし)が、現役復帰したのも、同然に、精力的に、あっちの組、こっちの組と顔を出しているのは、山田会の経済ヤクザから頼まれて、自分たちの引受先というか…

 いっしょになって、やってゆく同士を探しているという噂が広まった…

 さらに、その噂には、尾ひれがつき、松尾会長は、先代の古賀会長から、生前、

「…五郎が、組を継いだら、山田会の経済ヤクザは、居場所がなくなるから、兄弟、なんとか、面倒をみてやってくれ…頼む…」

と、頼まれたとか?

頼まれなかったとか?

そんな噂まで、流れた…

あまりの、真偽不明な噂の出まくりに、山田会の幹部会議でも、話題になり、

「…会長…松尾のオジキをなんとか、せにゃあなりませんよ…」

という声が、続出したが、

「…構うな…ほおっておけ…」

と、一言、稲葉五郎が、吐き捨てた…

本当は、誰よりも、稲葉五郎が、一番頭に来ていたが、それでは、松尾聡(さとし)の術中にはまる…

まさに、そんな心境だった…

稲葉五郎は、実は、松尾聡(さとし)の、心中を察していたといえば、大げさだが、なんとなく、動きは見えていた…

それは、中国の駐日大使の交代だ…

それが、松尾聡(さとし)の動きの背景にある…

それは、読めた…

おそらくは、駐日大使が、交代したことで、松尾会が、杉崎実業の、中国への製品の不正輸出したことに、横やりを入れ、自分も儲けを得ようとして、中国政府の怒りを買ったが、それが、帳消しになったか、なにか、したのであろうことは、読めた…

おそらくは、駐日大使が離日前に、松尾聡(さとし)が、金を積んだか、なにかして、話をつけたというのが、真相だろう…

要するに、なかったことにしたのだ…


その証拠に、堂々と、松尾会長は、世間に顔を出して、その健在ぶりを世間にアピールした…
 
松尾会と、中国政府との事実上の手打ちだった…

中国政府としても、大使が交代する前に、話をつけたかったというか…

いつまでも、この話題を引っ張りたくなかったに違いない…

だから、松尾聡(さとし)の提案は、渡りに船だったのだろう…

それが、無事、済まされたことで、松尾聡(さとし)は、堂々と、社会復帰できた…

それをヤクザ界にアピールする上での、あちこちの友好団体への顔見せだった…

が、

疑問が残る…

なぜ、松尾聡(さとし)が、中国政府と、そんなやりとりができたかという疑問だ…

松尾聡(さとし)は、日本を代表する大物ヤクザのひとり…

たしかに、ヤクザ界では、その名を知らないものは、誰もいないと言われる有名人だ…

だが、ヤクザはヤクザ…

所詮はヤクザに過ぎない…

一介のヤクザに過ぎない松尾聡(さとし)が、どんなに、その世界で、大物であろうと、中国政府にパイプを持つことは、容易ではない…

中国政府にパイプを持つ者と、いえば、普通は、大物政治家や、大物財界人だ…

大物政治家?

松尾聡(さとし)と、大場代議士は、同じ病院に入院していた…

ということは?

ということは、もしかして、大場代議士が、中国政府に、松尾聡(さとし)の一件を、話をつけたのか?

私は、思った…

が、

確証はない…

しかし、

しかし、だ…

ほかに誰がいるのか?

あるいは、いるかもしれないが、当たり前だが、私は、知らなかった…

当たり前だ…

私は、一般人…

ただの女子大生に過ぎない…

杉崎実業を別にして、就活に、全敗した、惨めな女子大生に過ぎない…

ただ、それらの出来事も、すべて、私になんの関係もなかった…

あくまで、実話系の雑誌をバイトするコンビニの休憩時間で、バックルームで、読んだり、ネットで検索して、調べただけだったからだ…

私とは、直接、何の関係もなかった…

ただ、その直後、あの大場が、なんの前触れもなく、ふらっと、私のバイトするコンビニにいきなり、やって来たときは、驚いた…

いや、

驚いたという、簡単な言葉では、言い表せない…

びっくりした…

肝を潰したといっていい…

だって、そうだろう?

大場は…大場敦子は、自分の父親を刺した、高雄悠(ゆう)から、連絡があって、身を隠したというか…

逃走中の高雄悠(ゆう)から、連絡があって、どこかに、悠(ゆう)の身柄を隠すべく、動いたと思っていた…

それが、何事もなく、私の前に姿を現した…

これは、一体、どういうことだ?

私は、考える…

それとも、

それとも、

大場代議士が、高雄悠(ゆう)に刺されたのは、お芝居?

本当は、刺してない?

これは、あの戸田も言っていた…

あの稲葉五郎の若い衆である、戸田も言っていた…

大場代議士の容態が掴めない…

具体的な容態が掴めないと、嘆いていた…

こんなにも、あっさりと、私の前に現れたことで、当たり前だが、お芝居の可能性が高まった…

私は、思った…

だから、私は、

「…お久しぶり…元気?…」

と、大場が、私に気安く話しかけても、

「…ええ…元気…」

と、曖昧に、言葉を濁した…

大場の狙いが、わからなかった…

大場が今、なにを狙ってここにやって来たのか、わからなかった…

だから、用心した…

大場敦子に対して、用心した…

大場の狙いがわからなかったからだ…

皆目、見当もつかなかったからだ…

「…大場さん…高雄…高雄悠(ゆう)さんは?…」

私は、直球で、聞いた…

曖昧に、言葉を濁して聞こうか、考えたが、そんな面倒臭いことは、したくなかった…
 
「…ああ…アレね…」

大場が、軽く言った…

「…逃げたわ…」

「…逃げた?…」

「…こっちの目論見に、気付いたみたい…」

「…目論見…どういうこと?…」

私は、言った…

意味がわからなかった…

だって、高雄悠(ゆう)は、大場代議士を刺して、逃亡中ではなかったのか?

いや、

もしかしたら、それは、ウソなのか?

あるいは、

傷がかすり傷程度で、たいしたことのない軽傷だが、わざと大げさに騒いだのか?

色々、考えた…

「…パパが、悠(ゆう)に、襲われるのまでは、読めたというか…予想できた…ああ、見えて、悠(ゆう)は、熱いというか…自分の父親が、コケにされたというか…罠にはめられた事実に、激怒して、なにか、仕掛けてくることまでは、読めた…でも、まさか、パパを刺すとは、思わなかった…」

大場が、あっけらかんとした口調で、語った…

私は、驚いた…

文字通り、目が点になった…

自分の父親が刺されたことを、こんなにも他人行儀と言うか、他人事のように、言うとは、思わなかったのだ…

「…大場…アナタは一体?…」

私は、唖然として、聞いた…

自分の父親が刺されたのに、あくまで、他人事…

しかも、その父親を刺した犯人である、高雄悠(ゆう)が、逃亡したことも、他人事…

これは、一体、どういうことだ?

私は、考える…

私が唖然としていると、いつのまにか、葉山が近くにやって来ていた…

すると、思いがけず、大場が、

「…お仕事…ご苦労様…」

と、葉山に声をかけた…

が、

葉山は、大場には、なにも、言わず、ペコリと、頭を下げて、その場から去った…

いや、

去りかけた…

去りかけて、踵を返して、舞い戻り、

「…今は、仕事中ですから、仕事が終わってから、お願いします…」

と、言って、再び、この場から去った…

その背中に、

「…使える男ね…余計なことを言わないのが、いい…」

わざと、葉山に聞こえるように、大場が言った…

…どういうことだ?…

私は、思った…

やはり、大場と葉山は知り合い?

面識がある…

が、

今のやり取りでは、まるで、上司と部下…

決して、深い関係ではない…

それは、わかった…

「…今日、お仕事は?…」

大場が、私に聞いた…

「…あと、3時間、ちょっとかな…」

私は、答える…

「…なら、外で、クルマの中で、待ってる…」

軽く、言って、コンビニを出た…

私には、なにが、なんだか、わからなかった…

一体、どうして、大場は、私の元へ、やって来たんだ?

さっぱり、意味がわからなかった…

しかも、いっしょにいるはずの、逃亡中の、高雄悠(ゆう)は、大場から、逃げ出したと言った…

これは、一体、どういうことなんだ?

なんで、高雄悠(ゆう)は、大場から、逃げ出したんだ?

さっぱり、わからない…

悩んでいる私の耳元で、

「…大場のお嬢さんが、姿を現したとなると、いよいよ…終盤だな…」

と、誰かが、囁いた…

いや、

誰かではない…

振り返る前に、その声の主は、わかっていた…

店長の葉山だった…

葉山は、当たり前だが、大場と面識はない…

いや、

あるはずがない…

いや、

例え、面識があったとしても、大場敦子が、あの大場代議士の娘であることを、葉山が知ってるはずがない…

だが、

今の葉山の言動から、察するに、明らかに、葉山は、大場敦子の素性に気付いている…

これは、一体、どういうことだ?

私は、思った…

私は、考えた…

              
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