第137話

文字数 4,891文字

 …あの女将さんが敵?…

 …稲葉五郎と敵対しているかもしれない…

 考えられない話だった…

 だが、冷静に、事態というか、状況を考えれば、その可能性が高い…

 稲葉五郎と敵対している可能性が高い…

 そもそも、女将さんは、亡くなった古賀会長の陣営…

 稲葉五郎と、古賀会長のどちらかを選べと言えば、古賀会長を選ぶに決まっているからだ…

 私の頭の中を、さまざまな思いが駆け巡る…

 どれも、これまで、考えてもいなかったことばかりだ…

 実は、私を高雄悠(ゆう)と、結婚させたかったとか?

 あの女優の渡辺えりに似た町中華の女将さんが、実は、稲葉五郎と敵対していたかもしれない…

 なんて話は、完全に想定外…

 思ってもみないことばかりだった…

 だから、私の頭の中は、完全に、混乱した…

 混乱して、なにも、考えられなくなった…

 これまで、ぼんやりと、考えていたことが、すべて、否定された感じだった…

 それほど、ショックが大きかった…

 「…なにを、考えているの?…」

 突然、ハンドルを握る、大場が、聞いてきた…

 私は、一瞬、悩んだが、

 「…なんか…最近になって、色々予想外のことが多くて…」

 曖昧に返答した…

 言い終わった後、私は、あまりにも、曖昧な返答をしたことを、後悔したというか…

 「…抽象的過ぎて、わかんない…もっと、具体的に言って…」

 とか、言い返されそうだと、思った…

 しかし、大場は、意外にも、

 「…それは、わかる…」

 と、言って、大きく、私に同意した…

 「…竹下さんの立場ならば、それもわかる…」

 と、まるで、自分自身に言い聞かせるように、言う…

 「…誰もが、そう…同じ…相手の立場に立てば、見えてくるものがある…」

 と、意味深に言う…

 私は、驚いて、大場を見た…

 大場が言う意味はわかるが、どういうつもりで、そう言ったかまでは、わからない…

 私が、関わったこと、すべてに言っているのだろうか?

 ふと、思った…

 思えば、この大場とは、最初、杉崎実業の内定式で、会ってから、ずっと会っている…

 唯一の人間と言うか…

 いや、

 それを言えば、あの高雄悠(ゆう)も同じ…

 同じだ…

 悠(ゆう)もまた、あの杉崎実業の内定式で会って以来、たびたび会ってきた…

 いや、

 高雄悠(ゆう)こそが、私にとって、王子様だった…

 仮に、私が、シンデレラとすれば、シンデレラ=私を選んだ、王子様だった…

 と、思った…

 だが、

 違った…

 悠(ゆう)は、最初から、王子様でも、なんでもなかった…

 高雄組組長の息子だが、血が繋がってない…

 その高雄組組長もまた、山田会の実力者だが、稲葉五郎には、叶わない…

 だが、高雄組は、金を持っている…

 経済ヤクザだからだ…

 だから、悠(ゆう)は、王子様といっても、中途半端な王子様というのが、正直なところかもしれない…

 いや、

 そうではない…

 悠(ゆう)が、もし、最初から、私を稲葉五郎の娘だと知っていたとして、私を狙っていたとしたら、それは、私が、王子様…

 そして、悠(ゆう)が、シンデレラとなる…

 つまり、立場が逆となる…

 いわゆる、逆玉…

 身分の低い男が、身分の高い女を狙っているのと、同じ…

 ありえないことだが、これが、真実だ…

 つまりは、最初、あの駅のプラットフォームで、私に、この内定を辞退しないでくれと、言ったときに、本当は、別の意味で、私を狙っていたことになる…

 あのとき、高雄悠(ゆう)は、杉崎実業の内定を出した5人の中には、

 「…ボクを食おうとしているもの…」

 ぶっちゃけ、杉崎実業に入社して、ボクに近づき、結婚して、ボクの家の財産を乗っ取ろうとするもの…

 と、

 ボクが結婚することで、ボクが、有利になるというか…

 たしか、まあ、そんなふうなことを言っていた(笑)…

 ただ、5人の中で、それが、誰だか、わからない…

 だから、誰が敵で、誰が味方だか、わからない…

 しかも、5人の女は、皆、似たような顔に、似たような身長…

 はっきり言えば、姉妹のように似ている…

 だが、この5人の中には、自分が、結婚すれば、有利なのもいるし、真逆に、自分の財産を狙う危ない敵もいる…

 そういう話だった…

 しかし、それは、ウソだった…

 今さらながら、気付いた…

 いや、あのときの高雄悠(ゆう)の話がウソなのではない…

 あのとき、すでに、あの時点で、高雄悠(ゆう)は、最初から、敵は、誰で、味方は、誰とわかっていたということだ…

 敵は、この大場敦子…

 そして、

 味方は、私、竹下クミ…

 つまりは、あのときの悠(ゆう)の話は、ほのめかし…

 すべてをわかった上でのほのめかしだった…

 あるいは、匂わしだった…

 本当は、あの時点で、自分の敵は、大場敦子で、自分が、狙った味方は、本当は、この私、竹下クミと、わかっていたということだ…

 わからないのは、この私、竹下クミだけ…

 遠回しに、告白されたようなものだ…

 本当は、ボクは、アナタと結婚したいと、コクられたようなものだ…

 だが、だ…

 もし、そうなら、どうなる?

 この大場の狙いが、最初から、すべて、悠(ゆう)に読まれていたなら、どうなる?

 つまりは、最初から、悠(ゆう)の目的、行動、すべてが、大場に読まれていたなら、どうなる?

 当然、その動きを阻止しようということになる…

 大場敦子の父、大場小太郎代議士は、高雄組の資産を狙っているし、そのために、悠(ゆう)と、敦子が、結婚することが、必要と思っている…

 一方、悠(ゆう)は、稲葉五郎の娘である、私と、結婚したいと思っていると、する…

 父親である、高雄組組長が、それを望んでいるからだ…

 だから、それに気付いた大場父娘は、悠(ゆう)の行動を阻止しようと思うに決まっている…

 強引にでも、娘の敦子と悠(ゆう)を結婚させようと、父親の大場代議士は、思うに違いない…

 と、普通は、考える…

 いや、

 誰もが、そう考えるに、決まっている…

 が、

 こと、ここに至って、葉山が言った新たな要因が明らかになった…

 ずばり、この大場敦子が、父親の大場代議士と、血が繋がってない事実だ…

 大場は母親の連れ子…

 そして、それが、本当ならば、話が変わってくる…

 つまりは、自分が、ヤクザの息子である、悠(ゆう)との結婚を父親が望んでいることを、どう思うかということだ…

 普通は、いくら、物心つかない子供の頃から、付き合いがある、親戚同然の人間といえども、いざ、結婚となると、話は変わる…

 なにしろ、結婚だ…

 誰もが、自分の人生にとって、一番重要なことのひとつだ…

 これは、学校や会社を選ぶ比ではない…

 会社は、転職しても、×がつかないが、結婚は離婚すれば、戸籍に×がつく…

 それほどの違いだ(笑)…

 その重要な結婚を、父親の言いなりで、決める…

 大場敦子は、政治家の娘だから、それも理解できるが、結婚相手が、ヤクザの息子で、それを命じた、父親とは、実は、血が繋がってないといえば、どうだ?

 だったら、血が繋がっていれば、ヤクザの息子と、実の娘を結婚させるかと、いうことになる…

 ずばり、そういうことだ…

 それが、一番の問題だ…

 そして、普通は、血が繋がっていれば、そんなことは、させないということになる…

 私が、そんなことを、考えた…

 考え続けた…

 私が、無言で、真剣な表情で、考え続けていると、

 「…どうしたの? 竹下さん…そんな難しい顔をして?…」

 と、ハンドルを握る大場が聞いてきた…

 私は、ちょっと、悩んだが、

 「…大場って、お父さんと、仲がいいの?…」

 と、それとなく聞いた…

 探りを入れたというか…

 私の質問に、一瞬、ほんの一瞬だが、大場の顔が明らかに引きつったというか…

 明らかに顔をしかめた…

 しばし、沈黙した…

 それから、覚悟を決めたように、

 「…難しい質問ね…」

 と、口を開いた…

 「…難しい質問?…」

 エッ?

 そんなに難しい質問なのか?

 かえって、そんなふうに返された方が、動揺したというか…

 驚いた…

 「…そんな質問をしたってことは、私が、父親と血が繋がってない母の連れ子だと、誰かに聞いた?…」

 私は、大場の直球の質問に、黙って、首をコクンと縦に振って頷いた…

 そして、今さらながら、気付いた…

 この大場敦子は、あっちゃん、あっちゃんと、稲葉五郎や、あの渡辺えりに似た町中華の女将さんに、親しみを込めて、そう呼ばれていた…

 しかし、

 しかし、だ…

 父親の大場小太郎代議士といっしょに、私の前に、現れたことは、一度もない…

 あの高雄悠(ゆう)ですら、一度だけだが、私の前に、亡くなった高雄組組長といっしょに現れた…

 だが、この大場敦子は、ただの一度も、父親の大場小太郎といっしょに、現れたことはない…

 私が会うのは、いつも、大場敦子か、大場小太郎のどちらか…

 どちらか、一人だ…

 つまり、普通に考えて、仲の良いはずはない…

 仲が良ければ、いっしょに現れるに決まっているからだ…

 私が、そんなことを考えていると、

 「…差別はない…普段は…」

 とっさに、大場が口を開いた…

 「…差別?…」

 「…そう…パパと血が繋がった、私の妹や弟との差別…たとえば、食事のメニューが違ったり、妹や弟が、名門の私立中学や高校に入っているのに、私だけ公立とか…そんな差別は一切ない…」

 「…だったら、別に…」

 私が、遠慮がちに言うと、

 「…それは、母が名家出身だから、母に遠慮しているっていうか、できないだけ…母の家系も政治一家で、総理や、大臣を輩出している…だから、いかに、私が連れ子でも、無下にはできないというか…まあ、パパも母の家柄目当てに結婚したこともあるし…」

 大場が言葉を選びながら、言う…

 「…でも、とっさのときというか…」

 「…とっさのとき?…」

 「…ほら、たとえば、火事とか地震とか、そんなのが、起こったとき…真っ先に、誰を助け出すとか、優先順位があるでしょ? そういうときは、やっぱり、妹や弟が先…まあ、血が繋がってないから、仕方がないといえば、仕方がないんだけど、ショックっていやあ、ショック…なまじ、普段は平等に扱われてるから、肝心のときに、そういう態度を取られると、凹むというか、ああ、やっぱりって、なる…」

 …うまいことを言う…

 私は思った…

 たしかに、この大場の言う通り、なまじ普段は、差別はなく、平等でいるのに、肝心のときに、差別されるのは、かえって、イタいというか…

 凹む…

 つまりは、肝心のときに、その人間の本心がわかるというヤツだ…

 私のような若い娘なら、もっとも、ありがちなのは、妊娠だろう…

 付き合った男との間で、おなかの中に、子供ができる…

 が、

 それをきっかけに、女から逃げ出す男も少なからずいる…

 それは、ずばり遊びだからだ…

 結婚は、別…

 この女とはしない…

 そういうことだ…

 だから、逃げ出す…

 それと同じで、この大場も、肝心のときに、父である、大場小太郎が、自分を除け者と言うか、扱いが雑というか、優先順位を低くされた経験があるのだろう…

 私は、思った…

 「…そこが、イタい…」

 と、突然、ケラケラと、大場が笑った…

 笑いながらも、どこか、悲しそうだった…

 当たり前だ…

 自分がハブられているのだ…

 愉快なはずはない…

 「…でも、竹下…やっぱり、アンタ、鈍いわ…」

 と、いきなり、私を再び、呼び捨てにした…

 「…鈍い? …どうして?…」

 「…このクルマよ…クルマ?…」

 「…クルマ?…」

 「…このアルト・ワークス…パパのお気に入り…普段は、絶対、家族の誰にも触らせもしない…もちろん、私なんて、論外…さっき、それを言ったでしょ?…」

 …たしかに、言った…

 「…つまりは、そんな大事にしているクルマを、私が今、乗っている事実…はっきり言って、復讐よ…」

 「…復讐?…」

 「…パパがいない間に勝手に乗ってる…小さなことだけど、これも、復讐…」

 大場が笑う…

 「…きっと、生きていれば、激怒するに決まっている…」

 大場が、突然、言った…

               
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み