なにかになっていた

文字数 499文字

 静かな音楽に集中することで
 わたしはもてあました動悸を鎮めながら
 身近な小部屋でうずくまる哀しみを無視していた
 わたしは人の死を哀しいとは思えず
 死後に流れる音楽によって無理矢理に哀しんでいた
 こころを持たない存在をわたしは人間と呼びたくはない
 こころを持つとはわたしの定義によれば哀しみと痛みに居場所を与える能力があるということだ
 その定義によればいまのわたしは人間ではなかった
 わたしは動物に敬意を抱いているのでその怠惰な冷酷を動物と呼びたくはなかった
 単なる人でなしという形容が似つかわしかった
 残虐な所行を為した犯罪者に対してぶつけられる「人間ではない」「悪魔だ」といった言辞にわたしはたびたび違和感を覚えてきた
 そんな所行を敢えて為すのが人間だろうと
 蔑むような人間観によって意味もなく苛立っていた
 にも関わらずわたしはわたしに対して人でなしという言葉をぶつけている
 わたしはわたしの蔑んだ人間観によって
 わたしが人間であることをいまこそ自身に証するべきではないのか
 身近な小部屋でうずくまる哀しみを無視しながら
 静かな音楽に集中することで
 わたしは人の死を哀しまないなにかになっていた
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