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文字数 701文字

「プレイ!」
 彼はそうつぶやくと、バットを握り直した。

 もはや中年だとされる30代の彼だが、少年のような空想癖がまだ幾分残っていたのだろう。
 空想上のピッチャーがグラブとボールを高々と掲げると、勢いよく投げ込んでくる。それに合わせて左足でステップを踏み、バットを振り抜く。
 まるで手応えがない。

(速い……)
 裕丈は顔をしかめて、ため息交じりに感心した。思ったよりスピードのあるまっすぐのボールが来たせいで、すっかり振り遅れてしまった。
 もちろん、あくまで、そういう想像だった。
 高く掲げたバットのヘッドからグリップを眺めやってから、再び構えに入る。
 目を凝らし二球目を待ち受けているまさにその時だった。
 少し先で年老いた男のしわがれた声がした。
「うおーい、やめてくれー」

 裕丈は構えたバットを下ろすと、声の聞こえた方角へ目を走らせる。
(三塁側?)
 辺り一面が薄暗闇で、屋根のかかったベンチ内はなおのこと公園の明かりが届かず、むしろ逆光になっておりほとんど見えない。
「やめてくれー、たのむー、うおーい」
 それに被さるようにコンクリートを擦って歩く音と、ヘラヘラと下卑た笑い声が複数した。

 裕丈はバットを腰の高さに構えた。視界にとらわれず耳を頼りに、その方へ足を向けて歩み寄ろうとした。
 ネクストバッターズサークルまで近づいたときに、老人の言葉にならない嘆き声と共にベンチが火を噴いた。裕丈は、思わずのけぞる。

 赤い炎が照らし出したのは、数人の影とベンチの半分を覆う大きさに組まれた段ボールハウスだった。
 それが焼ける匂いに混じって、鼻につくすえた臭み、鳥の鳴き声のような異常に甲高い笑い声に彼は戦慄した。
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