第116話 匂い立つ黒髪の美女こと、嗤われてしまった美女

文字数 1,083文字

 昨日久し振りに事務の派遣バイトが有り、出勤には少し早いので新宿の街をブラブラしていた時の事である。
 午後からの出勤だったので、恐らく昼ちょっと過ぎだったように思う。
 サラリーマンもOLさんも皆昼休みである。

 私はその時と或る横断歩道を渡ろうとして、信号待ちをしていた。
 すると私の隣りに居た信号待ちの女性が、片手を櫛代わりにして髪を梳き始めたのである。
 それはそれは美しい黒髪だった。
 さらさらで匂い立つような艶の有る髪で、隣りで信号を待つ私の処迄その芳しい香りが届いて来る。
 ちらと一瞥すれば、マスク越しにも美しい女性である事は疑いようが無い。
 20代と思しき美女である。  
 昼休み中のOLさんであろうか。
 彼女の彼は何と運の良い男だろう。

 と、突然黒髪の美女が声を上げた。
「あっ、ちょっと、ヤバい、ヤバいよこれ」

 すると黒髪の美女のそのまた隣りで信号待ちをしていた、同僚と思しき女性が即応した。
「どした?」

 髪が手に絡み付いてしまったらしく、涙混じりの声を上げる黒髪の美女。
「ちょっと、これ、髪の毛が指輪に絡まっちゃったの~。ヤダっ、余計に絡まっちゃう」

 同僚と思しき女性の曰く。
「分かった。ちょっと、じっとしてて!」

 そう言って絡まった髪の毛を解いてやろうとする同僚の女性であったが、やがて信号が青に変わってもそれを解く事は出来なかった。
 まぁ、命に拘わる問題でも無いし、私が拘われる問題でも無い。
 我関せず焉、と、私は横断歩道を渡ったのだが、黒髪の美女達はそれ処では無い様子。
 信号を渡り切り少し歩いた処で振り返ってみたが、黒髪の美女達は未だに横断歩道の向こう側に滞まっていた。
 渡った信号はもう既に青から赤に変わり、一度青信号を遣り過ごしていると言うのに、未だに絡まった髪と格闘している黒髪の美女達。

 そんなに時間を懸けるくらいなら、絡まった髪の毛を解きながら横断歩道を渡れば良いのに、と、その様子を想像した刹那面白過ぎて頬が揺んでしまった私。
 直後不謹慎な自身に自省を促したのだが、とは言え美女やイケメンの失態は、やはり愉快な事この上無いのである。
 但しその愉快な気持ちは、異性より同性の方がより感じているだろう事を、その際痛切に思い知った私であった。
 何故なら黒髪の美女が助けを求めた直後、同僚の女性の口許が一瞬緩むのを、偶然にも見てしまったからである。

 と、ここで一つ。
 女性が女性に何かを頼んで微笑みを返してくれた時に、それが親愛の笑みか、或いはざまぁと嗤っているのか判断に困った場合は、ほぼ後者と思うべきだ、と、恐惶謹言させて戴く。
 かしこ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み