第105話 常に、「うんそうだよね」、と、返すマダムこと、強かなマダム

文字数 1,127文字

 昨日の事流石に緊急事態宣言下初日とあって、私の自宅周辺にも人が歩いていない。
 このエッセイを書くに際しては、人が居ないと話にならないのだ。
 スーパーに買い出しに行きがてらざっと周辺を当ってはみたが、人出が少なく中々思うような人達に巡り合えそうに無い。
 新宿迄出ても日曜だわ緊急事態宣言だわで、
百貨店もアミューズメント施設も休み。
 恐らく同じような気がする。
 夜を待って広場飲みしている連中を観に行くと言う手もあるだろうが、そもそもこの緊急事態宣言下に集まって飲んでいる連中など笑える対象にはならない。
 昼過ぎになったのでドラマか映画でも観てみるか、と、諦めて自宅へ戻る事を決意。

 と、自宅へ帰るに際し長い下りの坂道が在るのだが、調度私の前には70代~80代と思しきマダムと、40代~50代と思しき女性の2人組が歩いていた。  
 娘さんと思しき女性の方が母親と思しきマダムの腕を抱え、ゆっくりとマダムの歩調に合わせて歩いていたのである。
 後ろ姿しか見えないが恐らく親子だろう。
 結構車の通る坂道で、しかもガードレールの内側はかなり道幅が狭い。 
 そこへゆっくりと歩く2人組が前に居るとなると本来なら追い越すのだが、全くネタの取れない私である。
 会話の聴こえる距離で、私の存在が気にならない間隔を保って歩いた。
 
 ところがその2人の会話の内容がまるっきり月並みなもので、しかも娘さんの問いに対してマダムは何を言っても、「うん、そうだよね」
、と、返すばかり。

 娘さんが隣りの家の息子がどうの、と、言うと、「うん、そうだよね」。
 隣りの家の飼い犬がどうした、と、言うと、「うん、そうだよね」。
 或いは今日の晩ご飯のメニューは刺身にしようか、と、言うと、「うん、そうだよね」。

 2人の後ろを歩いていて私は何度マダムの、「うん、そうだよね」、を、聴いた事か。
 とは言え急ぐ旅ではない。
 坂道が尽きる迄2人の後ろを歩いた私。
 と、坂道か尽きる寸前で、娘さんと思しき女性がマダムに訊いたのである、

「ところで年金からの貯金を増やしたらどう?
 まん延防止とか緊急事態宣言とかで、今はお母さんも出歩かないし、全然お小遣いも使ってないでしょ。
 お小遣いを減らせば?」

 すると一瞬立ち止まったマダムが、今度だけは、「それは駄目よ! 絶対に駄目」、と、力強く言った。
 私が、「ゲッ、マジで」、と、思った事は言う迄も無い。

 と、ここで一つ。
 常に、「うん、そうだよね」、と、返すマダムの居る皆様方には、何も聴いていないと思っていても彼女はしっかりと聴いているのだ、と、恐惶謹言させて戴く。
 自分の思い通りになると高を括っていても、マダムは皆様方よりもずっと強かなのである。
 かしこ。
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