第46話 ウ○コ座りの女子こと、強め赤い髪色の女子
文字数 1,955文字
先日の事私は意識改革を余儀なくされた。
何についてかと言うと、女性の髪色即ちヘアカラーについてである。
その日迄黒髪に勝るものはナシ。
欧米人でもあるまいし金髪等以ての外だし、大和撫子が赤やパープルに髪を染める事等有り得ない、と。
しかーし、である。
何とも魅惑的な色に染められた髪の女性を見掛けるに及び、もう今後は黒髪が一番ではないのかも、と、思うに到ったのだ。
それはもう老若男女を問わず、日本人の美的感覚と言うか、日本人の嗜好と言うか、それ等を満足させて余り有る髪色なのである。
言葉にすればそれは淡く甘い髪色であり、匂い立つような、或る意味艶かしい、何とも言えない配色で構成されているのだ。
彩と彩とが微妙に絡み合い、その女性を上品で且つエレガントに演出する。
若年女性の間で言う処の「盛れてる」、と、言うか、「倍増し」、と、でも言うか。
とにかくあの髪色は、日本の美容技術の粋と言っても過言ではないと思う。
ググった結果その髪色は、「ラベンダーアッシュ」、もしくは「ホワイトラベンダーアッシュ」、と、言うものに充るらしい。
シルバーにパープルならぬラベンダーの色が巧みに重ねられていて、決して下品ではなく、愛らしく、また慎ましくもある。
誰が配色を考えたのだろうか。
あの髪色を考えた人に、何かの賞を贈って戴きたいと思う程である。
思うにあの髪色なら20代でなくともどんな世代にでも通用すると思うのだが、ここ1ヶ月の間に私が見掛けた3人程のその髪色の女性は、やはり、と、言うか、当然、と、言うか、皆20代だった。
恐らくもう少し上の世代の女性なら仮に良いなぁと思っても、ブラウン系ならまだしもその色はさすがにねぇ、と、躊躇するだろう事は想像に難くない。
確かに30代を越えると、髪色はブラウン系もしくは黒と相場が決まっている。
それこそ森会長のような大日本帝国憲法と修身で育った世代に従うなら、日本女性が髪を染める等以ての外、と、なるのかも知れない。
しかしあの髪色を見たら許すも許さないもない、と、純粋に美しいとしか言いようがないのである。
それこそ世界に誇れる髪色だ。
とは言えあぁした複雑に過ぎる色の配合は、プロでないと仕上げられないのかも知れないし、単色での単純な染髪に比べコストも掛かるのかも知れない。
しかし「ラベンダーアッシュ」、と、言う髪色は金を懸けるだけの価値はある。
何故なら私の見掛けたその髪色の女性達はマスク越しで顔こそ見えないものの、皆が皆お洒落でエレガントでスタイルも良かったからだ。
否、「ラベンダーアッシュ」の髪色が、彼女達をそう魅せているのかもしれない。
彼女達の欠点と言えば、皆が皆カップルだったと言う事くらいか。
まぁ、考えてみれば、男が放っとく訳ないのであるが。
と、髪色についてベタ褒めしたのだが、女性が髪を染めたからと言って、それだけで総て良いと言うものではない、と、言う事を、昨日はとことん思い知らされる事になった。
昨日新宿のドラッグストアに寄った時の事であるが、棚を物色する私の脚元で髪を強めに赤く染めその上赤いジャージを着た女子が、ウ○コ座りして商品を物色していたのである。
しかしそれだけではない。
何とウ○コ座りしたまま横っ走りするのだ。
その横っ走りする全身真っ赤な彼女を見ていると、それはもう蟹にしか見えないのだ。
尤も茹で上がる前の活きた蟹は赤くはないのだが、否、そんな事はどうでも良い。
そんな事を言いたかったのではないのだ。
髪色が違うだけでこうも生態が違うのか。
或るいは私が前述した髪色の女性達とはこうも違うのか、と、言う事が言いたかったのだ。
しかもそのドラッグストアは新宿の目立つ場所に在って、総硝子張りの店なのである。
私がレジで会計を済ませた時は流石に横っ走りこそしてはいなかったが、良く見るとその強めに赤い髪色をした女子はヘッドフォンをしていて、何かしら身体でリズムを取っていた。
私はその様子を横目で見遣りながら、嘆息を一つ吐き無言でその店を後にした。
取り立てて言う程の事では無いが、ドラッグストアでのその女子が「ラベンダーアッシュ」ではなく、何故「強めの赤い色」を選んだのかは自明である。
してみると私が美しいと思ったのは、「ラベンダーアッシュ」と言う髪色そのものではなく、「ラベンダーアッシュ」の髪色を選んだ女性に対してなのだろうか。
うーん。
しかしこれから社会への女性進出を推進して行く日本である。
髪色は女性の意思で自由に選べれるよう、また我々男共がその事に対して理解を深めなければならない事を、ここで恐惶謹言させて戴く。
殊に「ラベンダーアッシュ」に関して言えば、それはもう尚更の事である。
かしこ。
何についてかと言うと、女性の髪色即ちヘアカラーについてである。
その日迄黒髪に勝るものはナシ。
欧米人でもあるまいし金髪等以ての外だし、大和撫子が赤やパープルに髪を染める事等有り得ない、と。
しかーし、である。
何とも魅惑的な色に染められた髪の女性を見掛けるに及び、もう今後は黒髪が一番ではないのかも、と、思うに到ったのだ。
それはもう老若男女を問わず、日本人の美的感覚と言うか、日本人の嗜好と言うか、それ等を満足させて余り有る髪色なのである。
言葉にすればそれは淡く甘い髪色であり、匂い立つような、或る意味艶かしい、何とも言えない配色で構成されているのだ。
彩と彩とが微妙に絡み合い、その女性を上品で且つエレガントに演出する。
若年女性の間で言う処の「盛れてる」、と、言うか、「倍増し」、と、でも言うか。
とにかくあの髪色は、日本の美容技術の粋と言っても過言ではないと思う。
ググった結果その髪色は、「ラベンダーアッシュ」、もしくは「ホワイトラベンダーアッシュ」、と、言うものに充るらしい。
シルバーにパープルならぬラベンダーの色が巧みに重ねられていて、決して下品ではなく、愛らしく、また慎ましくもある。
誰が配色を考えたのだろうか。
あの髪色を考えた人に、何かの賞を贈って戴きたいと思う程である。
思うにあの髪色なら20代でなくともどんな世代にでも通用すると思うのだが、ここ1ヶ月の間に私が見掛けた3人程のその髪色の女性は、やはり、と、言うか、当然、と、言うか、皆20代だった。
恐らくもう少し上の世代の女性なら仮に良いなぁと思っても、ブラウン系ならまだしもその色はさすがにねぇ、と、躊躇するだろう事は想像に難くない。
確かに30代を越えると、髪色はブラウン系もしくは黒と相場が決まっている。
それこそ森会長のような大日本帝国憲法と修身で育った世代に従うなら、日本女性が髪を染める等以ての外、と、なるのかも知れない。
しかしあの髪色を見たら許すも許さないもない、と、純粋に美しいとしか言いようがないのである。
それこそ世界に誇れる髪色だ。
とは言えあぁした複雑に過ぎる色の配合は、プロでないと仕上げられないのかも知れないし、単色での単純な染髪に比べコストも掛かるのかも知れない。
しかし「ラベンダーアッシュ」、と、言う髪色は金を懸けるだけの価値はある。
何故なら私の見掛けたその髪色の女性達はマスク越しで顔こそ見えないものの、皆が皆お洒落でエレガントでスタイルも良かったからだ。
否、「ラベンダーアッシュ」の髪色が、彼女達をそう魅せているのかもしれない。
彼女達の欠点と言えば、皆が皆カップルだったと言う事くらいか。
まぁ、考えてみれば、男が放っとく訳ないのであるが。
と、髪色についてベタ褒めしたのだが、女性が髪を染めたからと言って、それだけで総て良いと言うものではない、と、言う事を、昨日はとことん思い知らされる事になった。
昨日新宿のドラッグストアに寄った時の事であるが、棚を物色する私の脚元で髪を強めに赤く染めその上赤いジャージを着た女子が、ウ○コ座りして商品を物色していたのである。
しかしそれだけではない。
何とウ○コ座りしたまま横っ走りするのだ。
その横っ走りする全身真っ赤な彼女を見ていると、それはもう蟹にしか見えないのだ。
尤も茹で上がる前の活きた蟹は赤くはないのだが、否、そんな事はどうでも良い。
そんな事を言いたかったのではないのだ。
髪色が違うだけでこうも生態が違うのか。
或るいは私が前述した髪色の女性達とはこうも違うのか、と、言う事が言いたかったのだ。
しかもそのドラッグストアは新宿の目立つ場所に在って、総硝子張りの店なのである。
私がレジで会計を済ませた時は流石に横っ走りこそしてはいなかったが、良く見るとその強めに赤い髪色をした女子はヘッドフォンをしていて、何かしら身体でリズムを取っていた。
私はその様子を横目で見遣りながら、嘆息を一つ吐き無言でその店を後にした。
取り立てて言う程の事では無いが、ドラッグストアでのその女子が「ラベンダーアッシュ」ではなく、何故「強めの赤い色」を選んだのかは自明である。
してみると私が美しいと思ったのは、「ラベンダーアッシュ」と言う髪色そのものではなく、「ラベンダーアッシュ」の髪色を選んだ女性に対してなのだろうか。
うーん。
しかしこれから社会への女性進出を推進して行く日本である。
髪色は女性の意思で自由に選べれるよう、また我々男共がその事に対して理解を深めなければならない事を、ここで恐惶謹言させて戴く。
殊に「ラベンダーアッシュ」に関して言えば、それはもう尚更の事である。
かしこ。