第72話 軽いジョークに大爆笑する彼女こと、「恋する乙女ビーム」の彼女
文字数 2,122文字
今日の事私は端から番外編を書くつもりで、昼過ぎに新宿のコーヒーショップへ直行した。
もう笑えるネタは拾え無いだろう、と、ここ二日間続いた僥倖も必然では無く偶然だと受け止め、諦念を抱いたと言うよりはむしろ達観の末そう心に決めた今日の私。
そのコーヒーショップで先日のアラスカに於ける米中対談を経ての、今後日本の目指すべき外交上のポジションについて、とか、そこそこ難しい笑えない話を書いていたのである。
と、そこへカップルが入って来て私の隣席に着いた。
暫くしてそのカップルの男性が、軽いジョークと共に彼女にプレゼントを渡したのである。
すると向かい側に座る彼女が大爆笑。
ところがほんの軽いジョークなのに、何故彼女が大爆笑したのかその理由が判明するに到り、今日このエピソードを書く事になった。
先ずは始めにその事を断っておく。
では以下に、何でそこまで笑えるの?
と、思った彼等の遣り取りを会話を交えて要約する。
ペーパーバッグを片手に彼氏の曰く。
「実はこの靴買った時にさぁ、店員さんに彼女さんのサイズ37くらいですかねって言われた訳、で、否々、俺の彼女ビッグフットじゃないんで、23.5ですって言ったの」
直後マスク越しにも大爆笑していると分かる彼女が、手を叩きながら応じた。
「えぇ、そんな事言ったのーっ」、と。
彼女にウケたお蔭で興が乗って来たのか、彼氏は身を乗り出して言った。
「お蔭で店員さんに笑われちったよ。
こちらヨーロッパサイズになりますだって。
はい、プレゼント」
彼氏の差し出したペーパーバッグを受け取って、マスクの上の双眸を輝かせた彼女の曰く。
「なぁーんだ、そっかぁ。
でも、キュンです。ありがとう」
直後彼女の瞳からは、「恋する乙女ビーム」が確かに出ていたのである。
ここで先ずは靴のサイズの詳細を解説する。
英米はインチ、その他欧州と日本はCmで靴のサイズを表記するが、日本は靴そのものを計測するのに対し、欧州では靴を制作する際の靴型を計測してサイズを決める。
つまり彼女の日本サイズである23.5は、欧州のサイズでは37に当たる。
総じてカップルの彼は欧州製の靴を彼女に渡す際に、買い物時のエピソードを交えてさり気無く渡した訳で、その話自体「ネタ」としては大した捻りも無い軽いジョークに過ぎない。
然るに大爆笑とは?
それは総て彼女の瞳から発せられる、「恋する乙女ビーム」が証明してくれていた。
つまり彼女は大好きな彼がさり気なく軽いジョークを交えてプレゼントを渡してくれた、その彼の「心遣い」へのお返しとして大爆笑して見せたのであり、彼女の大爆笑は「ネタ」への称賛の帰結では無い。
その上マスク越しにも彼女の瞳を見る限り、彼にぞっこんなのは確実。
何より彼はイケメンである。
してみるとこの場合「ネタ」そのものは何でも良いのであって、彼女は彼が笑わそうとした時点で何でも笑うのである。
幸せが大爆笑に繋がるのだ。
と、こんな他人の幸せな話を、私がわざわざ書いたのには訳がある。
彼等の遣り取りを見るに付け、二つの事を思い出したからだ。
先ずは一つ目。
昨日の日テレの深夜番組、「ノギザカスキッツ」である。
昨夜初めて観たのだ。
芸人の「さらば青春の光」、と、「乃木坂46」によるバラエティ番組なのだが、私は全然笑えなかったのである。
芸人の「さらば青春の光」は凄く頑張っていたのだが、学芸会宜しく演技力もお笑いのセンスも無い「乃木坂46」では、空回りするのは自明。
が、今日のカップルを見ていて分かった。
私は乃木坂46のファンではないから面白くなかったのである。
しかしファンに取っては、「乃木坂46」が笑わそうとしている姿を見るのが楽しいのであって、「ネタ」の完成度や質等はどうでも良いのだ。
逆に「乃木坂46」の学芸会をこそ見たいのではないだろうか。
で、番組成立となる。
次にニつ目。
数十年前私が一人の女性を巡って、彼女の眼前でライバルと「物ボケ対決」をした時の事。
ライバルが先行だったのだが、着けていたネクタイを外し、頭にそのまま被せて「鉢巻」、と、言った。
直後完全に勝利を確信した私は口元を歪めながら余裕の溜息を一つ吐いた。
次いで一本の紙巻き煙草の先を片方の鼻の穴に突っ込み、フィルターの方を口で銜えながら、右手でグワシ(楳図かずお先生作『まことちゃん』の鼻を垂れながらの決めポーズ)を決めてみせた私。
辺りは大爆笑の渦に包まれた。
当然彼女も大爆笑かと思いきや、「そう言うの止めて」、と、泣き顔で怒られたのである。
ネクタイを鉢巻にした彼の時には嘲笑と取れる笑みであっても、確かに微笑んで見せた彼女だったのに、何故?
と、私はまさかの大失態を演じたのだ。
その後何とか彼女と付き合う事になった私。
してみるとあの時の私は大爆笑を取る必要など無かったのだ。
或いはネクタイを鉢巻にしている方が良かったのかも知れない。
別に良かったのだ。
笑わせる事などどうでも。
と、ここで一つ。
時にはネクタイを鉢巻にしてスベる方が、大爆笑を取るよりも良き事の場合もある、と、恐惶謹言させて戴く。
かしこ。
もう笑えるネタは拾え無いだろう、と、ここ二日間続いた僥倖も必然では無く偶然だと受け止め、諦念を抱いたと言うよりはむしろ達観の末そう心に決めた今日の私。
そのコーヒーショップで先日のアラスカに於ける米中対談を経ての、今後日本の目指すべき外交上のポジションについて、とか、そこそこ難しい笑えない話を書いていたのである。
と、そこへカップルが入って来て私の隣席に着いた。
暫くしてそのカップルの男性が、軽いジョークと共に彼女にプレゼントを渡したのである。
すると向かい側に座る彼女が大爆笑。
ところがほんの軽いジョークなのに、何故彼女が大爆笑したのかその理由が判明するに到り、今日このエピソードを書く事になった。
先ずは始めにその事を断っておく。
では以下に、何でそこまで笑えるの?
と、思った彼等の遣り取りを会話を交えて要約する。
ペーパーバッグを片手に彼氏の曰く。
「実はこの靴買った時にさぁ、店員さんに彼女さんのサイズ37くらいですかねって言われた訳、で、否々、俺の彼女ビッグフットじゃないんで、23.5ですって言ったの」
直後マスク越しにも大爆笑していると分かる彼女が、手を叩きながら応じた。
「えぇ、そんな事言ったのーっ」、と。
彼女にウケたお蔭で興が乗って来たのか、彼氏は身を乗り出して言った。
「お蔭で店員さんに笑われちったよ。
こちらヨーロッパサイズになりますだって。
はい、プレゼント」
彼氏の差し出したペーパーバッグを受け取って、マスクの上の双眸を輝かせた彼女の曰く。
「なぁーんだ、そっかぁ。
でも、キュンです。ありがとう」
直後彼女の瞳からは、「恋する乙女ビーム」が確かに出ていたのである。
ここで先ずは靴のサイズの詳細を解説する。
英米はインチ、その他欧州と日本はCmで靴のサイズを表記するが、日本は靴そのものを計測するのに対し、欧州では靴を制作する際の靴型を計測してサイズを決める。
つまり彼女の日本サイズである23.5は、欧州のサイズでは37に当たる。
総じてカップルの彼は欧州製の靴を彼女に渡す際に、買い物時のエピソードを交えてさり気無く渡した訳で、その話自体「ネタ」としては大した捻りも無い軽いジョークに過ぎない。
然るに大爆笑とは?
それは総て彼女の瞳から発せられる、「恋する乙女ビーム」が証明してくれていた。
つまり彼女は大好きな彼がさり気なく軽いジョークを交えてプレゼントを渡してくれた、その彼の「心遣い」へのお返しとして大爆笑して見せたのであり、彼女の大爆笑は「ネタ」への称賛の帰結では無い。
その上マスク越しにも彼女の瞳を見る限り、彼にぞっこんなのは確実。
何より彼はイケメンである。
してみるとこの場合「ネタ」そのものは何でも良いのであって、彼女は彼が笑わそうとした時点で何でも笑うのである。
幸せが大爆笑に繋がるのだ。
と、こんな他人の幸せな話を、私がわざわざ書いたのには訳がある。
彼等の遣り取りを見るに付け、二つの事を思い出したからだ。
先ずは一つ目。
昨日の日テレの深夜番組、「ノギザカスキッツ」である。
昨夜初めて観たのだ。
芸人の「さらば青春の光」、と、「乃木坂46」によるバラエティ番組なのだが、私は全然笑えなかったのである。
芸人の「さらば青春の光」は凄く頑張っていたのだが、学芸会宜しく演技力もお笑いのセンスも無い「乃木坂46」では、空回りするのは自明。
が、今日のカップルを見ていて分かった。
私は乃木坂46のファンではないから面白くなかったのである。
しかしファンに取っては、「乃木坂46」が笑わそうとしている姿を見るのが楽しいのであって、「ネタ」の完成度や質等はどうでも良いのだ。
逆に「乃木坂46」の学芸会をこそ見たいのではないだろうか。
で、番組成立となる。
次にニつ目。
数十年前私が一人の女性を巡って、彼女の眼前でライバルと「物ボケ対決」をした時の事。
ライバルが先行だったのだが、着けていたネクタイを外し、頭にそのまま被せて「鉢巻」、と、言った。
直後完全に勝利を確信した私は口元を歪めながら余裕の溜息を一つ吐いた。
次いで一本の紙巻き煙草の先を片方の鼻の穴に突っ込み、フィルターの方を口で銜えながら、右手でグワシ(楳図かずお先生作『まことちゃん』の鼻を垂れながらの決めポーズ)を決めてみせた私。
辺りは大爆笑の渦に包まれた。
当然彼女も大爆笑かと思いきや、「そう言うの止めて」、と、泣き顔で怒られたのである。
ネクタイを鉢巻にした彼の時には嘲笑と取れる笑みであっても、確かに微笑んで見せた彼女だったのに、何故?
と、私はまさかの大失態を演じたのだ。
その後何とか彼女と付き合う事になった私。
してみるとあの時の私は大爆笑を取る必要など無かったのだ。
或いはネクタイを鉢巻にしている方が良かったのかも知れない。
別に良かったのだ。
笑わせる事などどうでも。
と、ここで一つ。
時にはネクタイを鉢巻にしてスベる方が、大爆笑を取るよりも良き事の場合もある、と、恐惶謹言させて戴く。
かしこ。