第16話 紅いヒールを買った彼こと、今が一番いい時期の彼

文字数 2,671文字

 新年が明けて早々4日の事、私は今年の初弁当を買うべく新宿の百貨店へと向かった。
 コロナ自粛で何時もより人出は少なく、人混みを掻き分けると言う程では無かった。
 そのせいかその日は街ゆく人達の動きが、何時もより良く眼に入ったのを覚えている。
 新宿駅西口にユニクロが有るのだが、そこを少し過ぎた辺りで、女性が男性の肩に手を付いて、それを支えに片方の足で爪先立つようにしているのが見えた。
 カップルなのであろう女性の方が「ごめんね。本当ごめん」、と、頻りに謝っていたので、何事だろうとチラと見遣れば、女性のヒールが折れたのだろうか、男性の方が女性のヒールを直そうと必死に弄っていた。
 まあ、命に別状の有る事では無いし、私が干渉する事でも無い、と、通り過ぎたのだが、興味本位で二人の会話をつい背中で聴いてしまったのである。
 最後迄は聴き取れなかったが、以下のような会話だった。

「ちょっと新しいの買ってくる」、と、男性。
「いいよ、悪いから」、と、女性。
 それでも男性は女性のその言葉に全く応じる事なく、「取り敢えずそこの百貨店行ってくっから」、と、押し被せた。
 次いで申し訳なさそうな声で女性が、「でもそれならそこのユニクロでいいよ。私お金払うから何でも適当に買って来て」、と。
 またまた男性は女性のその言葉に全く応じる事なく、「馬鹿、そんなの履かせらんないよ。
 俺が買ってやっから・・・」
 
 と、それ以降は聴き取れなかったのだが、掻い摘んで言うと、女性がユニクロでいいと言っているのに、男性がユニクロでなく百貨店でより良い上等の新しいヒールを買ってくる、と、言う事なのだろう。
 と、私はその時胸中に吐き捨てた。

「何?『そんなの』だと。
 ユニクロ舐めてんじゃねえぞ!
 ヒートテック舐めんな!
 俺なんか全身ユニクロの日あんだぞ」、と。

 無論胸中でだが、ま、でも、その男性の言葉は、彼女が居たら私も言ってみたい台詞ではあるのだが。
 腹立たしさも収まり、やがて、「知ったこっちゃねえわ。まあ、勝手にやってろ」、と、何時もの百貨店に入ってから直ぐの事。
 男の影がゆっくりと歩く私を、走って追越して行くではないか。
 そう、あの、さっきのヒールを買って来ると彼女に言っていた男である。
 私はその時百貨店の奥の方に有る婦人靴売り場の、その中でも高そうなブランドのコーナーにその男が入って行くのを見た。
 羨ましいやら、腹立つやらで、私は地下の惣菜・弁当コーナーへと真直ぐに向かい、予算オーバーではあるが一番高いステーキ弁当を買ってやった。
 そして私は、「あの男いい格好しやがって、ざまあみろ」、と、高級弁当を手に家路へと就いたのだが、そこで見たくもないのに、運悪く先程のヒールを買っていた男が、丁度彼女に新しい靴を履かせているところに出会したのだ。
 最悪だ。
 幸せそうな奴等め。
 と、その時、しなくても良いのに悪い癖で、またまた興味本位から二人の容姿を確認した。
 マスク越しで顔こそ確認出来なかったが、二人共見た感じスタイルが良くて、余計に腹が立ったのである。
 それに彼女に買ってやっていたのは紅いヒールのようで、彼女が肩から掛けていた紅のシャネルのバッグに合わせたようだった。
 見れば女性が眼を潤ませているではないか。
 そして、「本当ありがとね」、と、女性。
 男性は、「別にいいよ」、と、返していた。
 以降の会話は聴く気にもなれなかったのでそのまま通り過ぎたのだが、それ等総てが印象的で、忘れようにも忘れれるものではない。
 そして私が二人を忘れていない事は、つい数日前完璧に証明された。
 あの時、「あの二人成るように成っちゃうんだろうな」、と、私が予測した通り、「成るように成っていた」のだ。
 あの日か、もしくはその前後かは定かではないが、僅か2週間の間に「成るように成っていた」のである。
 私が何時ものようにポイント割増デーの日曜の夜、惣菜・弁当コーナーで獲物を漁っている時であった。
 ふと前を見ると、惣菜・弁当コーナーに似つかわしく無いシャネルバッグが見えたのだ。
 それも紅いシャネルバッグが、だ。
 そして隣には男性が立っていて、隙間無くピタっと寄り添うように女性が腕を絡めていた。

 あの時の、あのカップルだ!

 と、咄嗟に思い出した私は、廻り込んで女性の靴を確認。
 あの時も今もマスク越しで顔こそ分からないが、それでもバッグもそうだし、ヒールも確かにあの時の紅いヒールだった。
 無論カップルは私の事を知らない。
 が、私は誰よりも二人の事を知っている!
 と、叫びたかったが、そうはいかない。
 結局遠目から眺める事になったのだが、如何にも仲睦まじい様子である。
 思うに日曜の夜に二人で弁当を買うのは、一緒に食べるからである。
 で、それは、どちらかの部屋、もしくは愛の巣、とかで、二人で食べるのだ。
 つまり「成るように成った」のである。
 その時の私は不思議と腹立たしい気持ちが消え、「おめでとう。ようこそ惣菜・弁当コーナーへ」、と、二人に対し胸中に快哉を叫んだ。
 やがてタイムセールの割引シールが貼られるのを待つ私を尻目に、カップルは一番高いステーキと鮑の詰め合せ弁当を2つ買って帰った。
 と、幸せそうな二人を見て感慨に耽る私の横で、二人の主婦らしきオバサンが弁当の多数入った買物籠を手に話しているのが耳に入った。
 
「あら、嫌だ。私一つお弁当買い忘れてる」
「誰か来てるの? 家の人以外に」
「違うわよ。旦那の分買うの忘れてたの」
「嫌だもう」
「忘れてたついでに一番安いのにするわ」
「そうねぇ、なら、私もそうしよう」

 と、二人で大爆笑しながら、本当に一番安い弁当を手に、二人してレジへと向かった。
 私はその時、ふと、さっきのカップルの男性を思い出した。
 そして胸中に呟いた。
「何年かしたら、君の分の弁当を買う事さえ忘れられてるんだよ、その紅いヒールの彼女に。そして君は何も告げられる事なく、一番安い弁当を食べさせらる羽目に陥るんだ」、と。
 そしてこの言葉を、『否、俺だけはそんな事ないよ。俺の彼女に限っては!』、と、そう思っている総ての男達に贈りたい。
 それと、「君は今が一番いい時期だから、何も見えてないんだよ」、とも。
 
 私がその日カップルとのニ度の出会いを記念して、彼等に初めて出会った日と同様、予算オーバーながらも一番高いステーキと鮑の詰め合せ弁当を買った事は言う迄もない。
 美味しかった。
 そしてまたその日は、1人身も悪く無いな、と、心の底から思える1日となった。

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