第22話 悩めるポッチャリ女子達こと、食べないと言う選択肢はない女子達
文字数 3,015文字
私が競馬依存症真最中だった頃、肉体的或いは精神的なストレスを感じた後に、競馬をしたいと言う衝動に駆られる事がしばしばだった。
殊に精神的ストレスを感じた後、そう言った衝動に駆られる事が多かったのである。
その事をカウンセラーに訊ねてみると、やはり依存症発症の原因は、ストレス等の心的要因が多いに関連していると言う事。
それは競馬依存症だけでなく、他の依存症にも言える事らしい
アルコール依存症に薬物依存症、或いは買い物依存症に拒食症や過食症等である。
してみると各々の依存症が発症しない日に限って言うと、総ての依存症患者がその日はストレスを感じていなかったと言う事になる。
つまりストレスを感じなければ依存症は発症しないのかと思い、その事を再びカウンセラーに訊ねると、それは一概にそうとも言えずそんなに簡単なものでは無い、と、一蹴された。
それぞれの依存症によって関連するストレスも違うし、ストレスを感じなければ絶対に依存症を発症しないとも言えないらしい。
また脳の病気である依存症は、現在の医療技術で完治する事は不可能なのだそう。
何故なら脳をリセットする医療技術が無いのと、その個々の依存症にだけ効く処方薬が開発されていないからだ。
そんな薬が開発されるのは随分と先の話になると言う事だった。
とは言え射幸心を呼び覚ます対象を他の何かに移す事で、現在発症中の依存症を抑える事は可能なのだそうだ。
そこで私が自身の治療方法として考え出したのが、競馬から宝くじや株式投資へと、射幸心を呼び覚ます対象を移行させる事であった。
それに関しては上手く行っている。
その二つの行為の為毎月計画的に資金を配分し、競馬に賭けれる余裕の有る金銭を一切無くす事に因り、競馬をしたくても出来ないようにしてしまうのだ。
宝くじはロトやスクラッチ等その日に結果の出る賭博性の高いものは避け、月に一回だけ購入額を計画的に制限し購入。
発表や払い戻しが後日になるので、当たらないからと腹が立っても、その日に買い増しが出来ないのである。
同様に高額ではなくても千円〜1万円位当選したとしても、競馬の場合と違いその日に当選金を受け取れないので、勢いに乗り買い増しする事が出来ない。
また株式投資でも仮に利益が上がっても、当日に現金を受け取れないところが良いのだ。
それに配当の有る株を持てば毎年1回か2回は配当金を受け取れるし、仮に少々下がっても上がる迄持ち続ければ良いのである。
何より馬券を買って一瞬で賭け金を失うよりはずっといい。
それ故私の場合競馬依存症治療の一環として、宝くじ購入と株式投資をしていると言う一面がある。
では拒食症や過食症の場合はどうか。
ダイエットを志した人がストレスを感じた場合に起こる顕著な症状らしい。
例えば拒食症の人の元来の射幸心の対象は「痩せたい」であり、対してストレスとなる恐怖心は「食べれば太る」、と、なり、食べなくなってしまう。
ところが拒食症になり痩せ過ぎると、射幸心の対象が「普通の体形に戻りたい」に移行し、ストレスとなる恐怖心も「食べなければ痩せギスのままだ」、となってしまう。
その為射幸心と恐怖心がせめぎ合い、拒食症から過食症へ、次いで過食症から拒食症へ、と、拒食症から過食症への無限ループを繰り返す事も稀ではないのだそう。
リバウンド等はそうした心理的葛藤が大いに影響しているらしい。
またそこから脱するには、「食べる」と言う行為への興味を他に逸らせる必要がある。
例えばそれが「絵画」や「映画」、或るいは「読書」等に興味を逸らせれば最良の結果と言う事になるのだが、それは残念ながらそう簡単には行かないのだそうだ。
何故なら脳が依存する主体であるアルコールや薬物或るいは拒食に過食ギャンブルと前述の芸術とでは、ドーパミン放出の点に於いて決定的に違いがあるからだ。
つまり快楽や興奮を欲する依存症の主体と、癒やし或いは充足を齎す芸術とは対極に有るも
ので、互いに相殺対象にはならないらしい。
では過食症や拒食症に苦しむ人はどうすれば良いのか、それは単純に「食べる」、と、言う行為について全く関心を持たないのが一番で、私の宝くじや株式投資と同様、射幸心を呼び覚ます対象を他に求めれば良いと言う事になる。
とは言え競馬依存症と違う点は、食べると言う行為の代替行為が他には無いと言う点。
そこでよりカロリーの低い物や、ノンカロリーの物を摂取する、と、言う事になる。
しかし先日スーパーに買い出しに行って、それが相当に難しい事だと悟ったのである。
私の良く行くスーパーは入口奥の角、1番目立つコーナーにスイーツが配置されている。
何処のスーパーでも同じようなものであろうが、先日そのコーナー付近でポッチャリ女子2人組を見掛けた。
2人共丁度良いポッチャリ具合で、ポッチャリファンの私としては注視を禁じ得ない存在である。
マスク越しではあるが、可愛いと思える2人であった。
ひょっとすると姉妹なのかも知れない。
ショートカットのポッチャリさんと、セミロングのポッチャリさんで、俗に言う「デブ」では断じてない。
つまり体型等気にする必要がないのである。
我々ポッチャリファンに取っては、痩せて貰っては困るのだ。
然るに彼女達は今の体型に満足していないようで、スイーツを購入するかどうかで相当な時間を要していたのである。
二人共恐らくは菜々緒のような、スタイル抜群と言われる体型に成りたいのだろう。
ポッチャリファンとしてはそう言った体型を細くする行為は是非共止めて貰いたいのだが、しかし私のそんな不安は杞憂だと判明した。
その時買い忘れた物が有る事を思い出した私は入口奥スイーツコーナーに隣接の、バターやチーズが配置されているコーナーに戻った。
先程可愛いなぁ、と、思って見ていたあのポッチャリ二人組が、何と飽きもせずに未だスイーツを物色しているではないか。
ちなみにその時の私はと言うと、そのスーパーの中をほぼ一周し、買い物が済んだのでレジに並ぼうとしていたのだが、バターやチーズを買い忘れた事を思い出したので、そこ迄戻ったのである。
それなのに未だスイーツを物色する2人。
以下に2人の会話の要所を抜き出してみた。
「やっぱチョコにしようよ」と、ショートカットの方のポッチャリ女子。
「だってカロリーがさぁ」、と、セミロングの方のポッチャリ女子。
すると何かを閃いたように問い掛ける、ショートカットのポッチャリ女子。
「でもやっぱイチゴとチョコ1個ずつ買って、半分こにするぅ?」
と、その時、更に何かを閃いたのか確信めいた声音で応じるセミロングのポッチャリ女子。
「でもさぁ、イチゴとチョコ2つずつ買うって選択肢もあるよねぇ」
直後マスク越しにも顔を見合わせ、声を揃える二人。
「やっぱそうしよっ!」
結局両方2個ずつ計4個のスイーツを買って行った彼女達。
その際私が胸中で、「結局そっちかーい!」
、と、叫んだ事は言う迄ももない。
恐らく彼女達2人のポッチャリ女子には、食べないと言う選択肢はない。
とは言えポッチャリファンの私に取っては、喜ぶべき吉事である。
そのままの体型で居てくれるのだから。
うーん。
それでもやはり競馬依存症同様拒食症或いは過食症等の原因となるダイエットは、困難を極める事間違い無しである。
殊に精神的ストレスを感じた後、そう言った衝動に駆られる事が多かったのである。
その事をカウンセラーに訊ねてみると、やはり依存症発症の原因は、ストレス等の心的要因が多いに関連していると言う事。
それは競馬依存症だけでなく、他の依存症にも言える事らしい
アルコール依存症に薬物依存症、或いは買い物依存症に拒食症や過食症等である。
してみると各々の依存症が発症しない日に限って言うと、総ての依存症患者がその日はストレスを感じていなかったと言う事になる。
つまりストレスを感じなければ依存症は発症しないのかと思い、その事を再びカウンセラーに訊ねると、それは一概にそうとも言えずそんなに簡単なものでは無い、と、一蹴された。
それぞれの依存症によって関連するストレスも違うし、ストレスを感じなければ絶対に依存症を発症しないとも言えないらしい。
また脳の病気である依存症は、現在の医療技術で完治する事は不可能なのだそう。
何故なら脳をリセットする医療技術が無いのと、その個々の依存症にだけ効く処方薬が開発されていないからだ。
そんな薬が開発されるのは随分と先の話になると言う事だった。
とは言え射幸心を呼び覚ます対象を他の何かに移す事で、現在発症中の依存症を抑える事は可能なのだそうだ。
そこで私が自身の治療方法として考え出したのが、競馬から宝くじや株式投資へと、射幸心を呼び覚ます対象を移行させる事であった。
それに関しては上手く行っている。
その二つの行為の為毎月計画的に資金を配分し、競馬に賭けれる余裕の有る金銭を一切無くす事に因り、競馬をしたくても出来ないようにしてしまうのだ。
宝くじはロトやスクラッチ等その日に結果の出る賭博性の高いものは避け、月に一回だけ購入額を計画的に制限し購入。
発表や払い戻しが後日になるので、当たらないからと腹が立っても、その日に買い増しが出来ないのである。
同様に高額ではなくても千円〜1万円位当選したとしても、競馬の場合と違いその日に当選金を受け取れないので、勢いに乗り買い増しする事が出来ない。
また株式投資でも仮に利益が上がっても、当日に現金を受け取れないところが良いのだ。
それに配当の有る株を持てば毎年1回か2回は配当金を受け取れるし、仮に少々下がっても上がる迄持ち続ければ良いのである。
何より馬券を買って一瞬で賭け金を失うよりはずっといい。
それ故私の場合競馬依存症治療の一環として、宝くじ購入と株式投資をしていると言う一面がある。
では拒食症や過食症の場合はどうか。
ダイエットを志した人がストレスを感じた場合に起こる顕著な症状らしい。
例えば拒食症の人の元来の射幸心の対象は「痩せたい」であり、対してストレスとなる恐怖心は「食べれば太る」、と、なり、食べなくなってしまう。
ところが拒食症になり痩せ過ぎると、射幸心の対象が「普通の体形に戻りたい」に移行し、ストレスとなる恐怖心も「食べなければ痩せギスのままだ」、となってしまう。
その為射幸心と恐怖心がせめぎ合い、拒食症から過食症へ、次いで過食症から拒食症へ、と、拒食症から過食症への無限ループを繰り返す事も稀ではないのだそう。
リバウンド等はそうした心理的葛藤が大いに影響しているらしい。
またそこから脱するには、「食べる」と言う行為への興味を他に逸らせる必要がある。
例えばそれが「絵画」や「映画」、或るいは「読書」等に興味を逸らせれば最良の結果と言う事になるのだが、それは残念ながらそう簡単には行かないのだそうだ。
何故なら脳が依存する主体であるアルコールや薬物或るいは拒食に過食ギャンブルと前述の芸術とでは、ドーパミン放出の点に於いて決定的に違いがあるからだ。
つまり快楽や興奮を欲する依存症の主体と、癒やし或いは充足を齎す芸術とは対極に有るも
ので、互いに相殺対象にはならないらしい。
では過食症や拒食症に苦しむ人はどうすれば良いのか、それは単純に「食べる」、と、言う行為について全く関心を持たないのが一番で、私の宝くじや株式投資と同様、射幸心を呼び覚ます対象を他に求めれば良いと言う事になる。
とは言え競馬依存症と違う点は、食べると言う行為の代替行為が他には無いと言う点。
そこでよりカロリーの低い物や、ノンカロリーの物を摂取する、と、言う事になる。
しかし先日スーパーに買い出しに行って、それが相当に難しい事だと悟ったのである。
私の良く行くスーパーは入口奥の角、1番目立つコーナーにスイーツが配置されている。
何処のスーパーでも同じようなものであろうが、先日そのコーナー付近でポッチャリ女子2人組を見掛けた。
2人共丁度良いポッチャリ具合で、ポッチャリファンの私としては注視を禁じ得ない存在である。
マスク越しではあるが、可愛いと思える2人であった。
ひょっとすると姉妹なのかも知れない。
ショートカットのポッチャリさんと、セミロングのポッチャリさんで、俗に言う「デブ」では断じてない。
つまり体型等気にする必要がないのである。
我々ポッチャリファンに取っては、痩せて貰っては困るのだ。
然るに彼女達は今の体型に満足していないようで、スイーツを購入するかどうかで相当な時間を要していたのである。
二人共恐らくは菜々緒のような、スタイル抜群と言われる体型に成りたいのだろう。
ポッチャリファンとしてはそう言った体型を細くする行為は是非共止めて貰いたいのだが、しかし私のそんな不安は杞憂だと判明した。
その時買い忘れた物が有る事を思い出した私は入口奥スイーツコーナーに隣接の、バターやチーズが配置されているコーナーに戻った。
先程可愛いなぁ、と、思って見ていたあのポッチャリ二人組が、何と飽きもせずに未だスイーツを物色しているではないか。
ちなみにその時の私はと言うと、そのスーパーの中をほぼ一周し、買い物が済んだのでレジに並ぼうとしていたのだが、バターやチーズを買い忘れた事を思い出したので、そこ迄戻ったのである。
それなのに未だスイーツを物色する2人。
以下に2人の会話の要所を抜き出してみた。
「やっぱチョコにしようよ」と、ショートカットの方のポッチャリ女子。
「だってカロリーがさぁ」、と、セミロングの方のポッチャリ女子。
すると何かを閃いたように問い掛ける、ショートカットのポッチャリ女子。
「でもやっぱイチゴとチョコ1個ずつ買って、半分こにするぅ?」
と、その時、更に何かを閃いたのか確信めいた声音で応じるセミロングのポッチャリ女子。
「でもさぁ、イチゴとチョコ2つずつ買うって選択肢もあるよねぇ」
直後マスク越しにも顔を見合わせ、声を揃える二人。
「やっぱそうしよっ!」
結局両方2個ずつ計4個のスイーツを買って行った彼女達。
その際私が胸中で、「結局そっちかーい!」
、と、叫んだ事は言う迄ももない。
恐らく彼女達2人のポッチャリ女子には、食べないと言う選択肢はない。
とは言えポッチャリファンの私に取っては、喜ぶべき吉事である。
そのままの体型で居てくれるのだから。
うーん。
それでもやはり競馬依存症同様拒食症或いは過食症等の原因となるダイエットは、困難を極める事間違い無しである。