第55話 頼りになる妹こと、同時に頼りになる嫁

文字数 2,455文字

 今日の事である。
 愈々ネタが枯渇し番外編を書くか、或いは休むしかないか、と、私は半分書くのを諦めていたのだが何とも僥倖に恵まれた。
 と或る新宿の街角。
 雑居ビルの柱に凭れて項垂れる男性と、その彼と向き合う赤いコートを着た女性を発見。
 マスク越しで表情は分からないが、別れ話でもしているのだろうか。
 何れにしても二人で込み入った話をしている事は明らか。
 まぁ、良く見る光景ではある。

 拘った処で得るものは少ないような気がしたので、私はその場をやり過ごして熱帯魚屋さんに行こうと地下街へ。
 10分くらいだろうか熱帯魚屋さんで買物を済ませて地上へ上がろうとした時、私はコーヒーショップの中に見覚えの有る赤いコートを着た女性を発見した。
 そうなのである。
 先程街角で見掛けた込み入った話の女性だ。
 マスク越しではあったが、あの赤いコートは特徴が有ったので覚えていた。
 と、何とその女性が、今度は乳児を抱いた男と談笑しているではないか。
 私が、「ゲッ、マジで」、と、思った事は言う迄もない。
 別の男と別れ話をしておいて、実は子持ちの男とも付き合っていたとは。
 或いは彼女の子供か?
 何れにしても二股とは酷い話ではないか。
 何たる事。
 これは如何なる事か確かめねばなるまい。
 丁度喉も乾いていた事だし、と、コーヒーショップに飛び込んだ。
 見れば赤いコートを脱いだ彼女が、やはり自身の子なのか男性から乳児を受け取っていた。
 私は声の届く空席に着いて、スマホを弄りながらも聴き耳を立てた。

 乳児を抱き上げた赤いコートの彼女の曰く。
「まぁ、その手の嘘はバレちゃうからさ」
 旦那と思しき男性の曰く。
「じゃ結局お義兄さんは嘘吐かないで、本当の事言うんだ。
 でも、謝ったとしてお義姉さん納得する?」
 素っ気無く答える赤いコートの彼女。
「納得しないだろうね。
 でもここでお義姉さんに嘘ってバレたらさ、それこそ収拾つかなくなっちゃうよ。
 女は男の吐いた嘘なんて直ぐに見破るから。
 でもさぁ、策は立てたの。
 それに何だかんだでこの子抱いた私に言われたら、一先ず休戦するしかなくなるしさぁ」

 話が長くなるのでそれ以降の二人の話を、以下に要約して補足する。

 先程私が別れ話をしていたのかと思っていた赤いコートの彼女の相手は、実は実兄だったらしい。
 彼女が相談されていたのは、実兄が嫁と結婚する際に二股を掛けていたのだが、その事を知らずに結婚した嫁が昨日その事を知って激怒。
 結果喧嘩した後に兄嫁の方が家を出て、昨日から新宿の大手電鉄系ホテルに泊まっているのだそうだ。
 そこでそんな事は無かった、と、妹に嘘を吐いて貰い、兄は一緒に嫁を迎えに行って貰おうとしていたとの事。
 が、妹で赤いコートの彼女はそれを拒否。
 代わりに兄と彼女の実家の母の調子が悪く、緊急検査した結果が今日出るので、一緒に実家迄来て欲しいと兄と二人で兄嫁を迎えに行く作戦に変更。
 但し検査結果が実は出ていて全く無事らしいのだが、兄嫁には結果を未だ知らない事にしておいて、兄と赤いコートの彼女で実家に連れて行こうとしているらしい。

 と、そこ迄聴いた私は、彼女達の実家に付いて行く訳にも行かず、修羅場を見れる訳でもなく、「なぁ〜んだ。不倫してた訳じゃねえのかよ」、と、トレーごと空いたコーヒーカップを持って立ち上がろうとした、その時である。
 赤いコートの彼女の次の言葉を聴いた私は、再び席にへたり込み身震いを禁じ得なかった。
 身体中が痺れると同時に、「怖っ」、とも、思ったのである。

 赤いコートの彼女の曰く。
「で、実家でお義姉さんと二人きりになった時にさぁ、こう言うつもり。
『兄貴が黙ってたの私のせいかも。私あの時兄貴に言ったの。好きな人の為に嘘吐くなら私は何も言わないけど、自分に嘘吐くのだけは絶対駄目だって。だからどうせ嘘吐くなら、本当に好きな人と結婚しなよって。で、こんななっちゃったの』って、どうよ、これ」
 聴いていた旦那の曰く。
「凄ぇ、痺れたよ俺。
 お前そんな事言ったんだぁ?」
 眼を丸くする旦那に対し、素っ気ない彼女。
「馬鹿、そんな事言う訳無いじゃん。
 嘘も方便なの。
 女に嘘吐く時はこう言う嘘の吐き方するの。
 それよりさワイシャツ2枚買って来て。
 形状記憶のやつね。
 アイロン掛けなくていいやつ。
 こないださぁ、『ワイシャツにアイロンくらいかけてやってね』って、お義母さんに言われたんだからね私。
 分かった形状記憶だよ。
 で、兄貴とお義姉さんタクシーに押し込んだら電話するから。
 その後駐車場で合流。
 はい1万円分。
 お釣りは好きにしていいから。
 分かった」
 そう言ってバッグから商品券を取り出して来た赤いコートの彼女。
 直後旦那の曰く。
「えっ、いいの。
 嬉しいけど、でもどしたのこの商品券?」
 問われて眼光鋭く赤いコートの彼女の曰く。
「政府が2回目の給付金くれないからさぁ、さっき私が兄貴から貰って来たのよ、給付金」
 再び眼を丸くする旦那。 
「え〜、お義兄さんから金取った訳ぇ。
 で、幾ら?」
 乳児を一旦旦那に戻し赤いコートを羽織った彼女は、再び乳児を受け取ると椅子を蹴った。
 直後赤いコートの彼女の曰く。
「だから去年の政府の給付金と同じ額だって。
 ゴチャゴチャ言ってないで行くよ」、と。

 私が座ったままで暫く硬直していた事は、言う迄も有るまい。
 赤いコートの彼女に一言だけ言わせて貰う。
 唯々、「素晴らしい!」、と。
 お兄さんに取っても旦那に取っても、何と頼りになる女性なのか。
 凄い参謀が居たものである。
 彼女のお兄さんも旦那も幸せ者だ。
 二人の男が羨ましい。
 しかし今日の事で一つ分かった事がある。
 やはり給付金は彼女のように貰うものであって、彼女の兄のように払うものではない、と、言う事。

 このコロナ禍を乗り切る為、皆様方にはくれぐれも以上の事をお忘れなきよう。
 また男共は日頃の自身の行いにくれぐれも注意するよう、私から恐惶謹言させて戴く。
 かしこ。
 
 
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