第52話 前につんのめる女子こと、ミドル丈の厚底ブーツの女子
文字数 1,632文字
近頃街で「ミドル丈の厚底ブーツ」なるハーフブーツを良く見掛ける。
10代後半〜20代前半と思しき女子が好んで履いているようだ。
と、言っても、男女の服装の区別が徐々に取り払われつつ有る昨今の事、同世代の男子も同じようなブーツを良く履いている。
思うに男子でも歩き難いだろう。
それを女子が履いて歩くとなると、相当な負担が脚に掛かるであろう事は想像に難くない。
確かに見た感じお洒落だと思うし、比較的ちっちゃめな女子が好んでそのブーツを履いている事からも、「自身を美しく且つ背を高く見せたい」、と、言う、2つの欲望を同時に満たすのに役立っているように推察する。
しかし気になるのは、その「ミドル丈の厚底ブーツ」を履いている女子達は清朝の後宮達が履いていた、「花盆底靴(かぼんぞこぐつ)」なる靴を知っているだろうか、と、言う事。
もし知らないのであれば、是非共その靴の事を知っておくべきだと思うのである。
何となれば妃嬪と呼ばれる清朝皇帝の妻達がそれを履いて歩く時は、必ず介添えの女官を伴っていたからである。
デザインは違うが構造は良く似ていて、その花盆底靴を履いていた清朝後宮の妃嬪達も、きっと、「自身を美しく且つ背を高く見せたい」、と、言う、2つの欲望を同時に満たす為にそれを履いていた事と思う。
但しそれを履いていたのは飽く迄も介添えの女官を伴える高位の妃嬪だけであり、動かなければならない身分の低い女官達はベタ靴を履いていた。
無論現代の「ミドル丈の厚底ブーツ」の方が、「花盆底靴」に比べ遥かに歩き易く造られている事だろう。
してみると清朝時代のように付き添う女官は必要無いのかも知れない。
とは言えそれは飽く迄も普通に歩いていたらの話であって、「ミドル丈の厚底ブーツ」が走る用途に向くとはとても思えない。
従って無理に走るとどうなるかは自明だ。
先日新宿西口の沿道を向こうから走って来る女子が居て、何ともぎこちない走り方をしており私は彼女を、「危なっかしい走り方をする娘だなぁ」、と、思って見ていたのである。
と、直後私からつい2〜3メートル程先の処で、その彼女が前につんのめるようにして転けてしまったのだ。
バッグの口が開いていたようで、私の足元には彼女の化粧道具と思しきリップグロスや刷毛が転がって来た。
直ぐに拾って駆け寄ろうとした矢先の事、近くに居た男性から女性から都合4〜5もの人が、既に彼女を起こしてあげていたのである。
幸い大した怪我は無さそうだった。
私も拾った物を彼女に届けた。
と、ふと見ると、礼を言う彼女の膝には大きな絆創膏が貼られているではないか。
無論その絆創膏はストッキングの下に貼られていたので、少なくとも過去に一度は転けている事になる。
それにやはり、と、言うか、君もか、と、言うか、彼女の履いていた靴は、「ミドル丈の厚底ブーツ」だったのである。
しかもそんな靴を履いているのに、彼女は私よりも背が低いのだ。
彼女も例に漏れずちっちゃめの女子である。
私は、「そりゃ、転けるわなぁ」、と、胸中で思うと同時に、一言だけ言ってあげたい事があった。
「無理に背を高くみせなくたって、ちっちゃめ女子は最強ですよ。
さっきも何人もが助けに来たでしょ」、と。
しかし言うのは止めた。
何故なら彼女を見ていて、ふと、清朝の妃嬪達を思い出したからだ。
ちっちゃめの女子が自身の事を、「美しく且つ背を高く見せたい」、と、思うのは、洋の東西を問わずまた悠久の時を経ても、変わらぬ切実な女性の願いなのである。
私如きが口を出せる事ではない。
とは言え幾ら介添えを必要とせずとも、ゆっくりと優雅に歩く事で「花盆底靴」の美しさを際立たせていたように、「ミドル丈の厚底ブーツ」を履いた時も、ゆっくりと優雅に歩くべきではないのだろうか。
少なくとも走る為のものでは無い、と、世の
「ミドル丈の厚底ブーツ」を履く女性達に恐惶謹言させて戴く。
かしこ。
10代後半〜20代前半と思しき女子が好んで履いているようだ。
と、言っても、男女の服装の区別が徐々に取り払われつつ有る昨今の事、同世代の男子も同じようなブーツを良く履いている。
思うに男子でも歩き難いだろう。
それを女子が履いて歩くとなると、相当な負担が脚に掛かるであろう事は想像に難くない。
確かに見た感じお洒落だと思うし、比較的ちっちゃめな女子が好んでそのブーツを履いている事からも、「自身を美しく且つ背を高く見せたい」、と、言う、2つの欲望を同時に満たすのに役立っているように推察する。
しかし気になるのは、その「ミドル丈の厚底ブーツ」を履いている女子達は清朝の後宮達が履いていた、「花盆底靴(かぼんぞこぐつ)」なる靴を知っているだろうか、と、言う事。
もし知らないのであれば、是非共その靴の事を知っておくべきだと思うのである。
何となれば妃嬪と呼ばれる清朝皇帝の妻達がそれを履いて歩く時は、必ず介添えの女官を伴っていたからである。
デザインは違うが構造は良く似ていて、その花盆底靴を履いていた清朝後宮の妃嬪達も、きっと、「自身を美しく且つ背を高く見せたい」、と、言う、2つの欲望を同時に満たす為にそれを履いていた事と思う。
但しそれを履いていたのは飽く迄も介添えの女官を伴える高位の妃嬪だけであり、動かなければならない身分の低い女官達はベタ靴を履いていた。
無論現代の「ミドル丈の厚底ブーツ」の方が、「花盆底靴」に比べ遥かに歩き易く造られている事だろう。
してみると清朝時代のように付き添う女官は必要無いのかも知れない。
とは言えそれは飽く迄も普通に歩いていたらの話であって、「ミドル丈の厚底ブーツ」が走る用途に向くとはとても思えない。
従って無理に走るとどうなるかは自明だ。
先日新宿西口の沿道を向こうから走って来る女子が居て、何ともぎこちない走り方をしており私は彼女を、「危なっかしい走り方をする娘だなぁ」、と、思って見ていたのである。
と、直後私からつい2〜3メートル程先の処で、その彼女が前につんのめるようにして転けてしまったのだ。
バッグの口が開いていたようで、私の足元には彼女の化粧道具と思しきリップグロスや刷毛が転がって来た。
直ぐに拾って駆け寄ろうとした矢先の事、近くに居た男性から女性から都合4〜5もの人が、既に彼女を起こしてあげていたのである。
幸い大した怪我は無さそうだった。
私も拾った物を彼女に届けた。
と、ふと見ると、礼を言う彼女の膝には大きな絆創膏が貼られているではないか。
無論その絆創膏はストッキングの下に貼られていたので、少なくとも過去に一度は転けている事になる。
それにやはり、と、言うか、君もか、と、言うか、彼女の履いていた靴は、「ミドル丈の厚底ブーツ」だったのである。
しかもそんな靴を履いているのに、彼女は私よりも背が低いのだ。
彼女も例に漏れずちっちゃめの女子である。
私は、「そりゃ、転けるわなぁ」、と、胸中で思うと同時に、一言だけ言ってあげたい事があった。
「無理に背を高くみせなくたって、ちっちゃめ女子は最強ですよ。
さっきも何人もが助けに来たでしょ」、と。
しかし言うのは止めた。
何故なら彼女を見ていて、ふと、清朝の妃嬪達を思い出したからだ。
ちっちゃめの女子が自身の事を、「美しく且つ背を高く見せたい」、と、思うのは、洋の東西を問わずまた悠久の時を経ても、変わらぬ切実な女性の願いなのである。
私如きが口を出せる事ではない。
とは言え幾ら介添えを必要とせずとも、ゆっくりと優雅に歩く事で「花盆底靴」の美しさを際立たせていたように、「ミドル丈の厚底ブーツ」を履いた時も、ゆっくりと優雅に歩くべきではないのだろうか。
少なくとも走る為のものでは無い、と、世の
「ミドル丈の厚底ブーツ」を履く女性達に恐惶謹言させて戴く。
かしこ。