桜の木の下には死体が埋まっている。
そんなくだらない都市伝説を、今時信じている人間なんているだろうか。第一、そんな話が生まれた根拠もよく分からない。桜が桜色をしているから? 人の血を吸い上げて薄いピンク色に染まるから? 馬鹿馬鹿しい。そんなことがあるなら土葬の国の墓地に咲く草花は皆ピンク色をしているはずだ。
そもそもこの都市伝説の出所を知っているわけでもないし、全然違うホラー映画だとか小説だとかドラマだとかの元ネタがあったとしたら、こんなことを考えている僕こそが一番馬鹿馬鹿しい。全くもって、馬鹿馬鹿しい。馬鹿馬鹿しいことこの上ない。そしてこの寒空の下、桜の木の下で震えている人間なんて更に馬鹿馬鹿しい。つまりは僕だ。
ほう、と白い息を吐く。昨日の晴天で雪はすっかり溶けていたが、それでも日が暮れかけた二月の公園はそれなりに寒かった。風がない日で良かった。郊外の寂れたこの公園に人が来ないから、誰かに見られたくないから、そして何よりこの桜の木の下じゃないと会えないから、二月の十四日にこの公園に僕を呼び出すなんて。
ベタすぎるし、馬鹿馬鹿しいにも程がある。
「待たせてごめんね」
手持ち無沙汰になってスマホをいじり始めていた僕に声をかけてきたのはもちろん彼女だ。
「遅い」
「約束の二時間も前から、ここで待っていたのは誰?」
「僕だけど。だから?」
「待たせたのは申し訳ないけど、仕方がないって言ってるの。この時間じゃないと私はここに来られないんだから、この時間に合わせて来てくれればいいのに」
「年に一度しか会えないんだから早く来たくもなるよ」
ふふ、と彼女が笑った。半透明の彼女の向こうに、咲くにはまだ早すぎる桜の木が見えた。
「バレンタインなのにチョコも渡せなくってごめんね」
「君が逢魔時に出てくるタイプの幽霊でよかった、丑三つ時だったらこんな公園に来ないよ、流石に。チョコもないし」
「逢魔時は関係ないけど、」
そこで彼女は口をつぐんだ。
何を言わんとしているかは分かっていた。彼女の体は透けてはいたが、首には赤黒い縄の跡が残されているのがくっきりと見えた。
数年前のこの日のこの時間、この木にロープを吊るした彼女は何を考えていたんだろう。学校で僕にチョコレートを渡して。僕は普通に受け取って。明るい軽口を言い合って、また明日。手を振って別れたはずだった。当たり前のような幸せが、ずっと続いていくと思っていたんだ。
君が命を絶った理由を、君に問いただそうとは思わない。
少なくともそれは僕のせいではない、と死んだ後の彼女は言った。それだけでよかった。詮索するつもりはなかった。年に一度、二月十四日の黄昏時。その逢瀬だけにすがって今の僕は生きていた。それ以外は、何もなかった。年に一回しか会えない彼女は時を止めた。僕の時は変わらず流れていく。つまり僕だけが、この空っぽの心を引きずって生きている。馬鹿馬鹿しい。
彼女が年に一度ここに訪れるのは、僕が彼女にどうしようもなく執着しているからかもしれなかった。
「死人と生きてる人の繋がりなんてさ」
馬鹿馬鹿しいよねと君は言った。
それは生前、そして今の君の口癖。
「死んだら全部おしまいなのにね」
黄昏時が終わって日が沈めば、君も消える。
「私がここに来なくなったら、貴方は貴方の人生を生きることができる?」
年に一度だけ会える僕と君。
二月の織姫と彦星だ。
「自殺したくせに、こんな、こんな、地縛霊なんかになってごめんね」
君が幽霊だろうが地縛霊だろうが、ほかの何か、化物だったとしても。
「僕は君がいないと生きられないから」
君は僕の天使だったし、今でもそうだった。
作:千石京二