三題噺のお部屋
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とん、とん、と一段ずつ階段を上る。その度に古びた板張りの床が軋む。私もこの家も、もうだいぶ歳を取ってしまった。この家に暮らし始めてからどのくらいの月日が流れただろう。ほんの少し思考を巡らせる。何十年も経っている。優しく暖かな思い出が心の中を通り過ぎていって、それより少ない量の悲しみも流れ落ちてゆくようだった。足腰がつらい。やはりもう歳なのだ。息子夫婦にも同居を勧められている。ずっと独り身で仕事人間だったあの子がようやく嫁を取るなどと言うから初めは嘘ではないかなどと疑ってしまったが、あの子が連れてきた女性は物腰が柔らかな印象で、年老いた姑との同居についても前向きに考えてくれているようだった。
むしろ、男の人と結婚したならばそのお義母さんとはもう家族なのだから一緒に暮らすのは当然とまで言った優しい人だ。うちの息子には勿体無いと思うほどだ。優しいお嫁さんだ。もう結婚について母親があれこれ言うような年齢の息子ではないから、息子たちがやりたいようにやってくれれば良いとは言ったのだが、それでも私がより暮らしやすいような暮らし方を考えていると息子は言った。確かに老女の独り住まいにこの家は広すぎる。あの子も優しくなったものだ。ああ見えて若い時はやんちゃをしていたのに、四十を越えて丸くなったか。優しい息子になったのか。優しい息子だから、優しいお嫁さんと出会えたのか。
優しい人。
———貴女は優しい人ですね。
それは息子の言葉ではない。
家の階段を上がるだけで息が切れるほどに私は年老いてしまったが、写真の中の貴方は何十年も変わらぬままだ。私は二階にある襖を開けて、文机の前に置いてある座布団までようやく辿り着く。足取りは既に疲れている。写真立ての中で貴方が微笑している。息子がまだ幼い頃、病に冒された夫は死んだ。この二階の窓辺に小さな文机を置いて、ちびた鉛筆で毎日欠かさず日記をつけていたまめな人だった。
息子夫婦と同居することになったなら、貴方が建ててくれたこの家で暮らすことは出来なくなるのだろうか? それは嫌だった。けれど、家がなくなっただけで貴方が怒るような人ではないとは分かっていた。
貴方は優しい人だったから。
貴方の為に花を買った。仏壇は一階にあり、いつもはそこで線香を立てるのだ。けれど、今日は貴方の誕生日だから。貴方はここで日記を書くのが好きだったから。
文机の上に、花束を。
作:千石京二
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