ヤドナシ

文字数 862文字

『担当さん』

ヤドナシ


意地張らないで素直に追いかければよかった……赤尾は席についた瞬間後悔した。今しがた、彼女と別れた。2人でプラネタリウムを見に行こうと、列に並んでいる途中で。


「私がいけないの……」隣にいた彼女から、ドラマで聞くような台詞がポツリと出る。ギョッとして振り向くと、肩を震わせながら彼女は目元に手を当てていた。これはヤバい。

動揺している間に、彼女は二言三言、言葉を紡ぎ、ちょうど周囲の視線が集まってきたところで「ごめんなさい」と言い残して消えていった。

油断していた。まさかこんなところで仕掛けるとは……来るとしたら、デートの終わりか別れ際だと思っていたのに……「えっ、どうするの?」「追いかけないの?」という周りの視線をガン無視し、「やれやれ」と余裕の表情でゲートをくぐる。


いや、たぶん余裕のある表情じゃなかったな。恥ずかしさで顔が熱い。


カップルだらけの空間に一人、隣が空いたシートへ座る。「あの人、さっきまで彼女と並んでいた人だよね」「彼女さん泣いてたけど……」「何があったんだろう」会場が暗くなるまで、響きやすい空間に残酷な囁きがこだまする。拾いたくなくても自然と耳が拾ってしまう。

「鬼かよ……」

このままカップルたちの視線を浴び続けるなんて自殺行為だ。早くみんなの視線が虚構の星へと移ってくれることを願う。地獄のような時間を過ごし、ドームから出てくる頃には、もうヘトヘトになっていた。動いてないのに体が重い。

ドームの外で、さっき別れたばかりの彼女がヒラヒラと手を振っている。

「どうだった?」

最悪の気分だよ、担当さん。筆が進まない自分を連れ出してくれた彼女に悪態をつく。

「さすがに酷くないですか?」

「でも、今すぐ書きたくてたまらないでしょう?」


ええ、今なら公衆の面前で振られた主人公の気持ちが痛いほど分かりますよ。「人が良すぎる」ってボツにされたあの描写、帰ったらすぐ書き直してやる。

「その前に、30分耐えたご褒美」

渡されたクレープを受け取ると、赤尾は一気に半分くらい頬張って、恨めがましい視線を彼女に向けた。
2021/04/08 10:54

yomogi

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