「やあ、どうも」
小奇麗な調度品で飾られた部屋で、白衣の男はソファに腰掛けた少女に対していった。
「……どうも」
「硬くならないで。気分はどうだい? このお菓子は好きにしてくれ」
「……」
「大丈夫? ああそう、じゃあ始めよう」
男が菓子の入った皿を差し出しても、少女は黙って目を逸らしたままだった。男は皿をテーブルに放り出し、少女の反対側に腰掛ける。
「……あの」
「なんだい?早くとこ済ませよう」
「……もう話す事なんて何もないのですが」
「そうは言うけどね、これは僕が新しい事を聞くより、君が自分で話して聞くことが重要なんだ。だからほら、早く」
男がぞんざいに顎で示す。少女は暫く目を瞑り、それから国労の順法闘争のような鈍い足取りで話し始めた。
「……初めてあの子たちと会ったのは、高校一年の夏でした」
「補修で学校にいた時に、たまたま隣だったんだよね」
「……始め見た時は、髪型も服装も派手で、とても仲良く出来るとは思いませんでした。でも話しているうちに仲良くなって、それから一緒にいることが増えました」
「……あの子たちが、私の唯一の友達になりました」
「臆病だった私には他のグループに参加する勇気もなかったから、あの子たちが声を掛けてくれたのは天からの救いでした。孤立すれば、私は誰からも軽んじられる玩具にされてしまうから」
「実際中学の時はそんな目に遭ったようだね。で、それから君はどうした」
「……一人にならないよう、私もあの子たちと同じような格好をして、同じような振る舞いをするようにしました。落ち着いた服は止めて、腕輪やイヤリングを買って」
「自分を偽るようにしたわけだ。そして?」
「上手くいっていた気がしたけど、ホントは最初から目を付けられただけだった。私の扱いは同等からどんどん下がって、ついには……」
押し黙る少女。男は紅茶をすすりながら黙って視線を送り続ける。根負けしたのは少女だった。
「……まだ軽いいじり位であれば私は耐えられた。話し掛けてくれた感謝を逃げ道にして、あの子たちの正体から目を逸らすことは。でも、それで終わるほど人間の欲は甘くない」
「そうだ、欲が人間の原動力である限り」
「……すぐにあの子たちへの感謝は吹き飛んだ。私は逃げ道をなくして絶望の中に頭を押し付けられていると思い知ったの。そういえば、思い知った時は本当に頭を押さえつけられていたわ。トイレの床で」
「……ふむ」
「私が此処から抜け出すには、浮き上がるには、彼女たちをどうにかするしかない。相談できる人なしだと、思い立つのはそう遅くなかったわ」
「それで……君は彼らの腕を断った」
「ええ……」
少女はこの部屋に来て初めて笑った。男の目が鉛色の感情を帯びるのも構わずに笑った。男は諦めて、顔だけは笑うことにした。
「初めてだった。自分で何かをするのは」
「ヘビーな経験だ。誰でもやる事じゃない」
「でもありふれているわ。私の受けた仕打ちと同じぐらい、世界中に」
「これでやっと私は上を見上げることが出来た。私は絶望のそこから浮き上がれたのよ」
「で……浮き上がった感想はどうだい?」
「そうねえ……思ったより普通かも」
少女の皮肉めいた笑いの目が、自分の体を見回した。手は折れて、足はあらぬ方向に曲がったり千切れたりした体である。治療はされていないが、彼女に痛がる様子は無い。男の方もまるで気にかける様子は無かった。
「ねえ、先生。私がやったのは、そんなに悪いことだったかしら」
「……」
少女が半分無くなった下顎で呟く。今度は男が黙った。
「彼女たちは私から少しずつ負債を負って、私はそれを一気に返して貰った。そして私は天への負債を、同じく一気に返してやったのよ。貸し借りゼロ、これじゃ駄目なの?」
「確か……ニーチェだな、僕も読んだよ。でもそれは人間の話だ。我々への負債にはまた別の返し方がある」
「じゃあ私は、お金をドブに捨てたとおんなじね。損した」
「……そんなふうに考えている間は、まだまだ返し足りないだろうね」
ぐっぐっと少女が笑うたびに、剥き出しになった肉から少しずつ血を流す。男は立ち上がると、少女を残してその場を後にする。一人残された少女が退屈そうに一人ごちた
「神様も、案外大したことないのね」