秋永真琴

文字数 2,329文字

「コードネームは何ですか」

2018/03/28 19:18

makoto_akinaga

耳に入ってきたその言葉が、私に向けられているとは思わなかったから、私はスマホの画面をシュッシュと指で撫で、文章を書き続けていた。


世の中にはこれで長篇小説を書いてしまうひともいる。フリック入力だといくらでも筆が進むのに、キーボードだとすぐに止まってしまうそうだ。私は旧型の人間なので、これはただの下書き。家に帰ったらパソコンで推敲する。

2018/03/28 19:20

makoto_akinaga

「あの、コードネームを教えてください」
2018/03/28 19:21

makoto_akinaga

「…………」
2018/03/28 19:21

makoto_akinaga

私は顔を上げ、隣の席のひとをおそるおそる見やった。


私と同じ歳ごろ――二十代半ばの男子だ。前髪を斜めに垂らし、アンダーリムの眼鏡をかけている。一秒で「やばい」と思わせるおかしなオーラは、出ていないけど。

2018/03/28 19:22

makoto_akinaga

「初めまして。ジョガッサ=エミュルジャビです」
2018/03/28 19:22

makoto_akinaga

「――あれですか、ハンドルネーム。ネットで知り合ったひとと初めて会うとか」
2018/03/28 19:23

makoto_akinaga

「三月二十八日、午後六時半から七時にかけて、札幌駅のこのコーヒーショップにいる、青いシャツを着た女性――指令に該当するのはあなたしかいません」
2018/03/28 19:23

makoto_akinaga

私は辺りを見回した。午後六時四十分、ほぼ満席の店内に青シャツの女は私しかいない。なるほど。


で?

2018/03/28 19:24

makoto_akinaga

「ひと違いです。ぜったいに」
2018/03/28 19:25

makoto_akinaga

「慎重なひとだ。さすがヂンゴロピャフ機構のエージェントです、新井沙織さん」
2018/03/28 19:25

makoto_akinaga

「なんで名前を!」
2018/03/28 19:25

makoto_akinaga

悲鳴のような声が出た。周囲のざわめきが一瞬止む。
2018/03/28 19:26

makoto_akinaga

「コードネームを教えてください。僕の素性を疑っているんですか。間違いなく、ジョガッサ=エミュルジャビです。だって、こんなイカれた話をしてくる男は他にいませんよ」
2018/03/28 19:26

makoto_akinaga

「自覚あんのか」
2018/03/28 19:26

makoto_akinaga

私はスマホをかばんに放りこんで席を立った。


飲み屋で知り合ったひとかもしれない。私が酔っぱらって覚えていないだけで。それなら普通に話しかけてくればいいのだ。ばかじゃないの。

待ち合わせしている友だちには、落ち着いてから、場所の変更を連絡するとして――


2018/03/28 19:29

makoto_akinaga

「沙織さん、どうしたの。お手洗いですか」
2018/03/28 19:29

makoto_akinaga

「早いなアコちゃん! 約束は七時だよね!」
2018/03/28 19:30

makoto_akinaga

いつの間にか、森島章子が私のそばにやって来ていた。ショートボブに丸眼鏡、カメラをたすき掛けにしている、いつもの格好だ。
2018/03/28 19:30

makoto_akinaga

「こちらの男性はお友だち?」
2018/03/28 19:30

makoto_akinaga

「ぜんぜん。まったく。ちっとも。行こう」
2018/03/28 19:30

makoto_akinaga

「待ってください、新井さん」
2018/03/28 19:31

makoto_akinaga

ジョガなんとかが血相を変えて立ち上がった。名前を呼ぶな。
2018/03/28 19:31

makoto_akinaga

「早く『つっかえ棒』を指定された結節点に設置しないと、札幌が次元流動体に呑み込まれて虚数空間化してしまいます。ヂンゴロピャフ機構もそれは本意でないはずだ」
2018/03/28 19:32

makoto_akinaga

「私は『つっかえ棒』に関してなんの権限もないので、いちど機構のほうに問い合わせていただけますか。もう営業時間は終わってるけど」
2018/03/28 19:32

makoto_akinaga

適当に応えて章子の手を引いたけど――

章子は動かなかった。おかしな男と、じっと睨み合っている。


あれ、この感じ。張りつめたきれいな横顔。まるで、世界のほんとうの形を見定めようとするような――


2018/03/28 19:33

makoto_akinaga

「失礼します」
2018/03/28 19:33

makoto_akinaga

章子はカメラを手早く構え――画面を見るのでなく、ファインダーに眼鏡ごと目を当てて撮るのがこの子の流儀だ――シャッターを数回切った。


私はあぜんとした。

いつもは風景や静物ばかり撮る章子が、人間を! 私だってまだ撮ってもらったことがないんだぞ、この野郎! 場違いな嫉妬がむくむくと胸の裡に沸きあがる。


しかし、ジョガ(略)の反応はこちらの想像を超えていた。目を見ひらき、唇をぶるぶると震わせる。

2018/03/28 19:34

makoto_akinaga

「そう来たか――指令そのものが僕へのトラップだったのだな。お前がゾドァゲミプ調停委員か」
2018/03/28 19:35

makoto_akinaga

「あなたがそう思うのなら、あなたにとってわたしはゾドァゲミプ調停委員なのだと思います。でも、わたしと沙織さんはあなたの認識する世界には生きていません」
2018/03/28 19:35

makoto_akinaga

章子は淡々と言う。その謎の単語、よく一発で覚えられたな。
2018/03/28 19:35

makoto_akinaga

「覚えていろ。かならず雪辱を遂げてみせる。ジーク・ジオン!」
2018/03/28 19:36

makoto_akinaga

「最後! 雑! 創作した固有名詞の語感は統一しなよ! そこで世界観が壊れるでしょ! こら、待てって!」
2018/03/28 19:36

makoto_akinaga

小説指導みたいな私の言葉には応えず、男は店外に駆け去っていった。

にわかに私たちへ集まっていた注目がなくなった。安堵交じりのざわめきが蘇る。


私と章子は顔を見合わせた。


2018/03/28 19:37

makoto_akinaga

「――沙織さん、なんだったのでしょう、あれ」
2018/03/28 19:39

makoto_akinaga

「わかんない。それより、なんであれを撮ったの、調停委員さん」
2018/03/28 19:40

makoto_akinaga

「そういえば、そうですね。『人間という感じがしなかった』ので、では、なんなのだろうという興味が」
2018/03/28 19:40

makoto_akinaga

「さりげなくコワいことをいわないでよ」
2018/03/28 19:40

makoto_akinaga

ある意味、あの男より章子のほうが常軌を逸していたということだろう。気合勝ちだ。
2018/03/28 19:40

makoto_akinaga

「アコちゃん、その写真、私のスマホに転送して。Twitterに流して注意喚起する」
2018/03/28 19:41

makoto_akinaga

「いけません。あの男性にも日常生活があります。沙織さんのほうが悪人になってしまいますよ」
2018/03/28 19:41

makoto_akinaga

「あるの?」
2018/03/28 19:41

makoto_akinaga

「――たぶん」
2018/03/28 19:41

makoto_akinaga

「素性を隠して、ふつうに会社とか行ってんの? 彼女とかいんの?」
2018/03/28 19:42

makoto_akinaga

「わたしだってわかりません!」
2018/03/28 19:42

makoto_akinaga

章子が珍しく声を荒げたので、この話題は終わりにした。
2018/03/28 19:42

makoto_akinaga

「じゃ、転送しなくていいから、見せて」
2018/03/28 19:42

makoto_akinaga

私が求めると、章子はカメラの画面に男の写真を呼び出した。


数秒間、私たちは小さな画面を見つめた。


身体の底から寒気が這い上がってきて、足に力が入らなくなる。章子も同じだと思う。

2018/03/28 19:43

makoto_akinaga

「――アコちゃん、ちゃんと撮ったよね」
2018/03/28 19:45

makoto_akinaga

「――はい。間違いなく、あの男性が入っているはずの構図です」
2018/03/28 19:45

makoto_akinaga

写真に、ジョガなんとかは写っていなかった。

初めから彼だけが存在しなかったかのように。

2018/03/28 19:45

makoto_akinaga

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このSSは、小説サイト「カクヨム」に載せた短篇「森島章子は人を撮らない」の後日談です。よかったらこちらもご覧ください。

https://kakuyomu.jp/works/1177354054884742431

2018/03/29 18:04

makoto_akinaga

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