三題噺のお部屋
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文字数 2,329文字
「コードネームは何ですか」
makoto_akinaga
世の中にはこれで長篇小説を書いてしまうひともいる。フリック入力だといくらでも筆が進むのに、キーボードだとすぐに止まってしまうそうだ。私は旧型の人間なので、これはただの下書き。家に帰ったらパソコンで推敲する。
私と同じ歳ごろ――二十代半ばの男子だ。前髪を斜めに垂らし、アンダーリムの眼鏡をかけている。一秒で「やばい」と思わせるおかしなオーラは、出ていないけど。
で?
私はスマホをかばんに放りこんで席を立った。
飲み屋で知り合ったひとかもしれない。私が酔っぱらって覚えていないだけで。それなら普通に話しかけてくればいいのだ。ばかじゃないの。
待ち合わせしている友だちには、落ち着いてから、場所の変更を連絡するとして――
適当に応えて章子の手を引いたけど――
章子は動かなかった。おかしな男と、じっと睨み合っている。
あれ、この感じ。張りつめたきれいな横顔。まるで、世界のほんとうの形を見定めようとするような――
章子はカメラを手早く構え――画面を見るのでなく、ファインダーに眼鏡ごと目を当てて撮るのがこの子の流儀だ――シャッターを数回切った。
私はあぜんとした。
いつもは風景や静物ばかり撮る章子が、人間を! 私だってまだ撮ってもらったことがないんだぞ、この野郎! 場違いな嫉妬がむくむくと胸の裡に沸きあがる。
しかし、ジョガ(略)の反応はこちらの想像を超えていた。目を見ひらき、唇をぶるぶると震わせる。
小説指導みたいな私の言葉には応えず、男は店外に駆け去っていった。
にわかに私たちへ集まっていた注目がなくなった。安堵交じりのざわめきが蘇る。
私と章子は顔を見合わせた。
数秒間、私たちは小さな画面を見つめた。
身体の底から寒気が這い上がってきて、足に力が入らなくなる。章子も同じだと思う。
初めから彼だけが存在しなかったかのように。
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このSSは、小説サイト「カクヨム」に載せた短篇「森島章子は人を撮らない」の後日談です。よかったらこちらもご覧ください。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054884742431
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