羽生えし わたしの過去に くちづけを
「なんだこれ」
「俳句。季語とかそういうのはよく分からないから自由律というやつだろうね」
「自由すぎないか?」
「五七五だから俳句だよ」
「なんでお前の過去に羽が生えてキスするんだ」
「自由律だから」
「すまん、全く意味がわからない」
おまけに俳句らしきものを紙に書いて部室の壁に貼った彼女は陸上部だった。俺は美術部だ。そしてここは美術部室である。陸上部員の俳句を壁に貼る場所ではない。美術部員の絵なら貼ってあるが。
「なぜ俳句を」
「いやあのね」
彼女はカバンから可愛らしい巾着に包まれた弁当箱を取り出した。巾着の可愛らしさとは裏腹に弁当箱は大きく、その中身は白米と大量の唐揚げのみであるようだった。
ピンクの箸で唐揚げをつまみつつモグモグと口を動かしている。頬には米粒。彼女は可愛い。可愛い顔をしている。それなりに学校内でもモテていると聞く。放課後にどこかに呼び出されて告られることも時たまあるらしい。だが、彼女は可愛い以上に不思議ちゃん、そして少し悪い言い方をすればおかしな言動が多い女子高生だった。だから友達もいなかったし、彼女の顔の可愛さに惹かれて告った男もそのうちスッと離れていく。けれど俺は何となく彼女とつるんでいた。
「あのね、この前の小さな大会で」
彼女は唐揚げを飲み込んでから口を開いた。
彼女は陸上部員の中でもかなり好成績を残していて、よく朝礼で表彰されていた。けれど俺が見る彼女は、登壇して大会の表彰状を受け取ってくるりとこちらを向き直り、そして少し長い黒髪をなびかせて礼をする彼女は、いつもそれほど嬉しそうではなかった。無表情だった。嬉しそうでも楽しそうでも悲しそうでも怒っているようでもなかった。
「メダルをギリ逃してしまったの」
「惜しかったな」
「金は嬉しく銅は嬉しくないのは確かだけれど、四位であるくらいならむしろ最下位の方がいいと思わない? その悔しさを俳句にしてみたかったの。俳句は初詠みだから自分でも意味が分からないけど」
「いや、一位が嬉しいのは分かるけど三位だって嬉しいと思うし、そりゃあ四位だったのは惜しいけど最下位よりは嬉しいと思うぞ」
「全然そんなことはないよ」
「そうなのか」
俺の理解をまとめて置き去りにして、彼女は唐揚げと白米をまとめて口に入れた。唐揚げと白米を咀嚼しているその顔すら無表情、俳句を壁に貼った時の顔も無表情、告られた後、そしてフラれた後も彼女はいつも無表情だった。
彼女はどうやったら笑ってくれるのだろうか。
分からなかった。
「メダルを取れたらお前は笑ったのかよ」
「ううん別に」
「でも金は嬉しいんだろ」
「嬉しいのと笑うのは別だよ」
「そうなのか」
「そうだよ」
そして彼女は何個目かは不明なほどたくさんの唐揚げを食べていた。
俺は何となく、俺のバッグをまさぐった。
そこには昨日、コンビニで買った醤油煎餅が入っているはずだった。
「はい」
俺は醤油煎餅を一枚、彼女に向けて差し出した。
「なにこれ」
「煎餅だ」
「いやそれは分かるけどなんでわたしが唐揚げ食べてる時に煎餅を」
「メダルだよ」
俺がメダルと言ったので、彼女の二重がほんの少しだけ見開かれた気がした。
「メダルを逃したお前に醤油メダルをやるよ」
俺はどうでもいいニュアンスでハハッと笑った。
彼女は口をへの字に曲げていたが、やがてぽつりと言った。
「なにそれ、醤油メダルだって。おっかし」
そして花が咲くような笑顔を見せた。
ああ、彼女はこんな風に笑うのか。
無表情でも可愛い彼女は、笑った方がずっと素敵だと思った。
作:千石京二