三題噺のお部屋
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神託は下った。汝のか弱き双肩にこの世界のありとあらゆるもの、つまり生きとしいけるもの全ての運命が託されたのだ。
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唐突にそれは訪れた。
そろそろアラサーにも入りかけている年齢にしてフリーターを続けている俺の頭の中に、突如として謎の声が響き渡ったのだ。
その声は唸る地鳴りのように低く、それでいて厳かでどことなく逆らい難いような威圧感があり、しかしどこまでも静かで落ち着いた不思議な男の声だった。なんだこれは。
汝はこの我に選ばれた。心せよ。汝の選択ひとつにより、この世界の命運が決まるのだ。
疲労か何かによる幻聴だろうか。家賃の支払いが厳しいからバイトの掛け持ちを四つに増やしたのが良くなかったのか。少し睡眠時間を増やすべきだろうか。
けして幻聴などではない。これは我からの金言、そして汝と世界の全てを決める、神託である。愚かしいことを考えるな。汝の心は全て見えている。
なんだか物凄い幻聴が聞こえてきている。これはやばい。明日はバイトを休んで寝ているべきか、それとも病院に行くべきだろうか。
ふざけていない俺はとりあえずヘルメットを被って原付のエンジンをかけた。この時間なら五丁目にあるスーパーのタイムセールにギリギリ間に合う。弁当もいいかなと思ったが、金曜日はお肉の日だからちょっとだけ安い。たまには冷食じゃなくて自炊をするのも悪くない。焼肉のタレはまだあったっけ。キャベツと豚バラで炒めるのもいいかな。
不敬である。我の話を聞くが良い。
うるさい幻聴だな。どうやら本格的に疲れているらしい。自炊どころじゃないな。弁当買って帰って、食ってさっさと寝よう。
汝は全ての奇跡を得た。その力をどのように使うかも汝の自由である。だが、奇跡の代償というのは何事にも代え難く重いもの。その点においては思慮深く忖度し、崇高な選択を以って汝の力を行使せよ。
ストーリー性のある幻聴だとは思うけど、選択ってなんだよ。「汝の自由である」とか言う割には何かを忖度しないと駄目なのかよ。全然自由じゃないな。選択しろみたいなこと言っちゃってるし、これで三択とか言ってきたら笑えちゃうな。
……………………………………。
俺はバイト先から発進した。ボロい原付のエンジン音はちょっとだけ怪しい。
幻聴はそれから十分ほど大人しかったが、アパートまで帰るまでの道のりで三つ目の交差点が見えてきた頃、また何か言い出した。
人の子よ。暫し待て。
なんだよ。今運転中だよ。話しかけんな。って俺、幻聴と会話してる痛い人になっちゃってる。無視しよう、無視。
暫く進んだ場所にある、コンビニエンスストアに入れ。
人の子に我の念ずる所など分からずとも良い。良いから入れ。
嫌だよ。俺は早く帰りたいんだ。
…………汝の欲する弁当が、全品五十円引きセールになっている。
謎の幻聴の言うことは信じがたかったが、俺はもうなんだか疲れ果ててヤケクソになっていたし、とりあえず交差点手前でコンビニに入るべく左折した。
その時だった。
信号も制限速度とまとめて無視したと思われる無茶苦茶な運転の大型トラックが、俺が今しがた直進しようとしていた交差点を横切っていった。いくつかのクラクションとブレーキ音が聞こえた。大事故が起こってもおかしくないような状況だったが、幸い、俺以外の運転手たちにも被害はなかったようだ。
俺がコンビニの駐車場に入りかけていなかったら、あれに轢かれていたのかもしれない。冷や汗がつうっと背筋を伝って流れた。
…………人の子よ。汝の奇跡の力は、もう失われた。人の子には刹那先の未来を見通す力すら無い。故に、我が行使した。
大型トラックの走行音が遠ざかるのと同時に、幻聴のボリュームも少しずつ絞られていった。
心せよ。命を救うということは、何事にも勝る崇高たる所業だ。
そしてその行為は、そのこと自体が奇跡に値する程にこの星の因果を捻じ曲げるものなのだ。我が選びし汝が今この場所、この時間、ここに居合わせなければ汝の命だけでなく他の命もいくつか、失われていたはずなのだ。いずれ捻じ曲がった因果のつけは回ってこようが、この星全体で失われる全ての事象がほんの少しずつ、肩代わりするであろう。恐れることはない。
汝と我との間に結ばれかけた細い縁も、これで切れる。さらばだ。
ちょっと待ってくれ。ひとつだけ、聞いていいか。
俺が「三択とか言ってきたら笑える」と言った後に黙ったのは、実際に三択で何か———人智を超えた何かすごいもの———を選ばせるつもりだった、とかじゃないよな?
…………………………。………………………………さらばだ。
おい。まさか本当に三択だったのかよ。
その後、いくら脳内で呼びかけてもあの幻聴は聞こえてこなかったし俺に謎のパワーが宿ったりすることはなかった。
ついでに、あの日あのコンビニで、弁当五十円引きセールはやっていなかった。
作:千石京二
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