異世界転移なんて、まさか自分の身に起こることとは思っていなかった。
夕方から急に喉が痛みだし、翌日はインタビュー取材の予定があるのにこれはまずいぞと、風邪薬を買いに、寒空の下自転車で、国道沿いのドラッグストア(24時まで開いている)に急いでいたのだ。
国道の手前にある公園をショートカットすることにした。昼間はファミリーや犬の散歩でにぎわう大きな公園だが、日が落ちるとひっそりと静まり返っている。噴水のある並木道を抜ければ目的地はすぐそこだったのに。
私のママチャリのタイヤは、並木道に無数に転がる木の実――そう、ここはイチョウ並木だから銀杏――にコントロールを取られ、派手にスリップ横転した。自転車もろとも身体が地面にたたきつけられるとともに、頭部にガツン!と、これまで味わったことのない衝撃。痛みを覚える間もなく朦朧としてきた意識のなかで、視界に誰か、知らない人物の顔が――
「大丈夫かい? コブがひどいよ~」
気づいたら私は、心配顔の50代くらいのおばちゃんに介抱されていた。
炎天下の真昼間、絶海の孤島の砂浜で。
近くには、スポークがひしゃげたママチャリと、バラバラ散らばる銀杏。私の服から、つぶれた銀杏のにおいが漂っていてすごくみじめな気分になった。
「あんた、アタシが夜中に銀杏拾いしてたら、いきなり自転車でバターン!って倒れかかってくるんだもん。びっくりしたさ!」
痛む頭をさすりつつ、体を起こしておばちゃんと会話する。
どうやら、私とおばちゃんはおたがいに頭を強打して、昏倒したと思ったらこんな場所に来ていた、ということらしい。
死んだってことか。
ここは天国? あるいは、いま流行りの異世界…?
「どうしましょう、私たちがもし死んだってことなら、自転車で勝手に突っ込んでいった私のせいですよね、なんてお詫びしたらいいか…」
「いやぁ、アタシもヘッドランプもつけずに銀杏拾いしてたからねー。早朝になると、後期高齢者がどこからともなくわんさか集まってきて、一粒残らず拾い尽くしていくから、夜に拾ってたのさ。まあそもそも銀杏拾いは禁止なんだけどね。あそこ」
おばちゃんは、とくに腹を立てている様子もなく、からから笑っている。手にはスーパーのポリ袋にぎっしり詰まった銀杏。
「そ、そう言っていただけるとたすかります…ごほっ、ごほっ」
「やだ、あんた風邪ひいてるの? 薬持ってないの? 困ったわねぇ。ちょっと、喉に良さそうな草でも生えてないか、その辺見てくるから。待ってて!」
おばちゃんは、この世界に飛ばされて30分で、急速に順応を始めている。
小一時間して戻ってきた手には、「オオバコっぽい」草が握られていた。
「そんな不審な顔して! 大丈夫、さっきアタシもかじったけど、とりあえずまだお腹もこわしてないから!」
おばちゃんの笑顔を見た時、ああ、わたしはこの世界でも生きていけると思った。
そしていずれ、受験生の息子さんがいるというおばちゃんと一緒に、必ず元の世界に戻る決意をした。
***
この後私たちは、自転車とポリ袋一杯の銀杏から事業をおこし、1年後には国有数の大富豪に上りつめるのだけれど、それはまた別のお話。