第144話

文字数 1,051文字

 アパートの先にある電柱には誰もいなかった。龍太はほっとしたような、がっかりしたような複雑な気持ちになって自転車を漕いだ。吾郎に言われたような「好きだ!」という台詞を伝えることはできなかったが、その気持ちは表現できたのではないかと場面を反芻しながら龍太は考えた。伝わったのかどうかは分からない。その後泰史の話から離れ、冬期講習の話題に移ったのはそういうことなのではないか、と思った。山田さんがいる塾の光景を想像すると自然と気持ちが高揚してきた。
 空想を中断したのは吾郎の声だった。児童公園から自転車で出てきて、龍太の右に並んできた。
「龍太、結構長く山田の家にいたんだな」
 自転車を押しながら小学校への上り坂を二人で歩いた。
「うん、まあ」照れながら答える龍太を見て、吾郎が言った。
「おおっ? 告白成功か? おめでとう」
「ちょっ、声がデカいよ、吾郎」
 そう言いながらも表情が緩む龍太を見て吾郎が続ける。
「で、そういう風に?」
 龍太がアパートでの出来事を話すと
「え、好きだ! ガバッはなかったのかよ」
 と茶化して来た。
「そんなの、できるわけないよ。だって山田さんのお母さんも近くにいるんだぞ」
 ドギマギしながらそう答えた龍太に、
「はは。そうだよな。でもさ、二人だけならそうした、ってことか?」と尋ねてきた。龍太は坂の途中で思わず立ち止まり、その状況を想像してしまった。
「何お前、そんなん考えてんのか? やらしいねえ」
 話を振っておきながらそういう吾郎を軽く睨みながらも、龍太の頭は止まらなかった。
「なあ、吾郎。そのガバッのあとって、やっぱりその、チュッとかさ」
「ん? やっぱそういうの考えるよね?」
 吾郎が嬉しそうに煽ってきた。
「いや、そのあとってどうするのかな……」
 再び坂を上りながら、龍太は吾郎の答えを待った。
「それはさ、大人みたいに、ああしてこうしてっていうエロいやつ」
 龍太は頬が染まるのを自覚しながら吾郎の答えに続いた。
「そういうのって、したいのかどうか、楽しいのかどうか分かんないよ」
 吾郎は龍太の顔を覗いた。
「え? 自然なことなんだろ、高校生くらいになったら」
「小学生だと、しないってこと? 吾郎は大沢さんとそういうことは……」
 一瞬驚きの表情を浮かべた吾郎だったが、
「四年で転校したんだぞ。でもまあ、キスはしたかな」
 恥ずかしそうな、しかし得意気な表情を浮かべる吾郎がものすごく大人に見えて来た。
「あっ、これは龍太にも言ってなかったな。もうそこ、学校じゃん」
 吾郎はそれ以上話をしなかった。
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