第69話

文字数 1,080文字

 泰史のお母さんは、声量を少し落として話を続けた。
「あの子、学校には行かなくていいんだ、って言い張っていて。言い出すと聞かない子でしょ。陽子ちゃんたちも、いつもごめんなさいね。暴れたら大変だから」

 すると階段を下りてくる足音が聞こえて来た。
「ちょっと、みんなには言わないでって、言ったじゃんよぉ」
 母親に対して怒りの表明だ。龍太なら、クラスの友達に知られたくないことを母親が話している現場に出くわしても、そこで文句は言えないだろう。それをやってしまうのが、泰史だ。その分、分かりやすいとも言える。
「あっ、ごめんね。つい……」
 と泰史のお母さんが取り繕おうとする。そのとき、山田さんが口を開いた。
「泰史くん、ごめん。でもこれ、私たちがおばさんに聞こうとしたことだから。おばさんは悪くないよ」
 こんな話を咄嗟にしてしまう山田さんに感心しつつ、龍太は相槌を打つ。井崎さんもどうやら同じ気持ちのようで、声を出せずにいる。
「うー、じゃあいいけど。学校に行く必要がないのは、そうだろ?」
 同意を求めているのだろうか。でも、必要がない、なんて言うこともできない。
「泰史くん、渡している宿題は出来るの?」
 山田さんは真面目に向き合うつもりのようだ。学校に来ていても提出物がいい加減な泰史。プリントやノートだけのやり取りをしっかりこなすとは思えない。
「そんなもん、いままでと同じだよ。山田には俺ができたやつだけ渡すから。あ、月曜に持っていってほしいのがある」
 こんな話を子ども同士がしているのに、泰史の母親は聞いているだけだった。うちの親も結構意見を聞いてはくれるが、「学校に行きたくない」「はいそうですか」はさすがに無いと龍太は思う。泰史がすごいのか、お母さんがすごいのかは分からない。

 すると井崎さんが口を出してきた。「ちょっと御手洗君! 宿題とか持ってきてくれるだけでもありがとうとか、思わないの? それを自分ができたやつだけ持っていけって、ひどくない? 陽ちゃん、もう止めよう。御手洗君がそういう人だって、はっきりわかったよ、これで」
 こんなことを泰史の親の前で言えるなんて、井崎さんもすごい。帰ろうとする井崎さんを、山田さんは制した。
「悠子、そういう訳にもいかないよ。だって、泰史くんは大事なクラスメイトでしょ。ここの三人が助けてあげないと、学校に戻ってこれないよ。おばさん、ごめんなさい。こんな話をして」
 母親への配慮までもみせてしまう山田さんは、とても同じ五年生だとは思えなかった。泣き出しそうになっている母親の顔をみて、泰史も神妙な表情になり、廊下に座り込んだ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み