第135話

文字数 1,108文字

 駐車場からはバシッと心地よい音が響き、泰史たちの歓声がそれに続いた。龍太と山田さんがドーナツを取りに行っている間、三人でキャッチボールをしているようだ。駐車場の砂利を踏みしめる音で、洋一郎が二人に気が付いた。
「おーい、ドーナツが来た!」洋一郎が叫ぶと、龍太と山田さんに向かって泰史が駆け出した。吾郎と洋一郎はその後ろから早足で付いて来た。
 山田さんはドーナツの箱を持ち上げてみんなに見せ、立ち止まった。そして振り向いて龍太に言った。
「どこで食べようか? やっぱり泰史くんの家がいいかな?」
 急に話を振られて龍太は困惑気味だが、駐車場で食べるよりもその方が良いように思った。
「泰史がオーケーすれば、それがいいんじゃないかな」
「だよね」山田さんの同意を得ることができてホッとしつつ、目の前に来た三人を見て気持ちを引き締めた。
 泰史は今すぐ食べたそうにしていたが、手を洗った方がいいという山田さんの意見に従って五人で泰史の家に向かった。

 泰史のお母さんは、タクシーを降りた時とは違う服装をしていた。山田さんに向かって何度も「有り難う」といいながら、コップと皿を出して来た。手を洗っていつものテーブルにつくが、今日はそこに山田さんがいる。龍太の目の前に座っているが、その山田さんの右隣は泰史だ。山田さんの左は洋一郎。果たしてどの席がよかったのか、龍太には分からなかった。
 それぞれが好きなドーナツを取っていく。全部で十個入っているので一人二つ。山田さんは一個でいい、と言ったので一つ余る計算になる。その一個を誰が食べるのか、おそらく皆が気にしていたものの、そのことには触れずに美味しくいただいた。
 念願のフレンチクルーラーを二個素早く平らげた泰史は、箱に残っているハニーディップを覗き込んだ。何も言わずに取っちゃうかもな、と龍太は泰史の動きを観察した。しかし泰史の手は箱の中には伸びず、代わりに言った。
「山田、ドーナツ美味しかったよ。この残ったやつ、山田が持って帰らないんだったら、俺のお母さんにあげていいかな?」
 意外な発言に、吾郎や洋一郎も泰史を見た。
「うん、もちろん大丈夫。そうしよう」山田さんが間髪入れずにそう答えたことで、場の空気が一層和やかなものに変化した。泰史とは仲良くしていきたいが、身勝手なところがあることはここにいる誰もが知っている。その泰史が、自分の為ではなくお母さんのためにドーナツをもらっておこうと考えているのだ。以前から母親に対してはそのような優しさを表せる子だったのか、最近そのようになったのかは実のところ分からない。それでも龍太にとっては、泰史の意外な一面を見せられることになったのだった。
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