第130話

文字数 1,099文字

 即席ラーメンを食べ終え、龍太は食器を流しへ運んだ。スープは全部飲まない方がいい、とお母さんは言っていたが、勿体ない気がする。何より美味しいのだ。器に残っていたスープを棄てずに、流しの前で飲み干した。
「うわ、ちょっとしょっぱいな」そう思ったが、満足した。それから水を飲んで口を拭った。居間におきっぱなしだった空のリュックを手にしたとき、洗濯ものを詰め込んだかごを抱えて母が居間に戻ってきた。
「あ、お母さん。ごちそうさま」龍太が言うと、
「食べたとね? これから行くと?」と母が尋ねた。
「うん」
「泰史くん、帰ってるといいね」
「お母さん、僕のグローブは?」
「ん? 玄関に置いたままでしょう、確か」
 吾郎とサイクリングをし、山田さんと話をした水曜日の帰宅後、弟の俊太とボール遊びをした。その時のまま玄関の隅には自分のグローブと白い軟球、そしてゴムボールが一つずつ置いてあった。お母さんは何でも覚えているなあ、と感心していると、
「龍太、ものはちゃんと片付けておかんと、なくしてしまうよ」
 と母の声が背中から聞こえて来た。俊太が「なくしてしまうよ!」と最後の言葉だけ真似している。
「ごめんなさい。じゃあ、行ってきます」
 靴入れの壁にかけている自転車の鍵を握りしめ、龍太は玄関を出た。

 龍太が御手洗邸の裏にある駐車場に着いた時、既に洋一郎は塀を相手にキャッチボールを始めていた。家の方は依然として静寂に覆われているような気がした。
「洋一郎、早いね」
「うん、学校でああ言ったらさ、なんだか落ち着かなくて」恥ずかしそうに、でも誇らしげに洋一郎が答える。
「で、泰史は?」
「わかんない。でも吾郎も揃ってから、いつものように呼びに行こう」
「そうだね」
 そう言って龍太と洋一郎がボールをやり取りする。この二人は野球を本格的にやったことがない。思い切り投げる必要のない二三メートルの間をあけるにとどめていた。何度か投げて捕ってを繰り返していると、自転車のブレーキ音が響いた。吾郎だ。
「お待たせ。なんだよ、お前らだけだとなんだかしょぼいな」
 事実だが、あからさまに言われるとなんだか悔しい。龍太は答えた。
「ボールなくすといやだからね」そう言って自分の気持ちを誤魔化す。
「はは。確かに。じゃあ、泰史を迎えに行こう」吾郎は屈託なくそう言って、龍太たちに背中を向けた。龍太が抱いた負の感情に気付いているのかどうか分からない。前を行く吾郎との距離はあまり縮まらないまま、吾郎が門に着いて立ち止まった。
 ちらりと吾郎はこちらを振り向いて、龍太や洋一郎との距離を測ったようだ。ほんの十秒くらいの時間を待たずに、吾郎はインターフォンを押した。
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