第68話

文字数 957文字

 龍太はしかし、どうしていいか分からなくなっていた。山田さんはいつものようにプリントなどを届けに来た。井崎さんもこの近所、御手洗家の所有するアパートに住んでいる。しかし、龍太は? 一体何をしに来たことにすればいいのだろう。泰史のお母さんに聞かれたら、答えようがない気がする。もし仮に泰史本人が出てきても、その質問が出てくるに決まっている。徐々に心が後悔で埋まっていった。

 そんな龍太を知ってか知らずか、山田さんが言う。
「泰史くんとこ、お昼ご飯かな。お邪魔しちゃ悪いかも」
 こういう気遣いをするのも、女の子っぽいなあ、と龍太は思う。
「でもほら、渡すだけだし。あ、ご飯中なら御手洗君も出てくるかもよ?」
 そう続けたのは井崎さんだ。女子と言ってもいろいろなようだ。
「なるほど。悠子、さすがだね! じゃあ、行こう」
 山田さんは井崎さんを褒めながら、柵の内側に手をかけた。手慣れた様子で内側の閂を開ける。その姿にモヤモヤした気持ちを抱きながら、龍太は二人の後ろを進んだ。

 山田さんはためらいなくインターフォンを押す。時間的に山田さんが来る頃だと分かっているのか、泰史のお母さんは、「はーい」とだけ答えた。
「ちょっと、黒木君。前に来てよ」
 山田さんに言われ従ってしまった。玄関のノブがガチャリと動いた。えっ、なんで俺が?

 もうドアは開いていた。
 泰史の家には四年生の頃一度来て以来だが、お母さんの顔は見覚えがあった。しどろもどろになりながら、龍太は声を出す。
「あっ、こ、こんにちは。五年二組の黒木です。今日は御手洗君にプリントとか、と、届けにきました」
 龍太の後ろにいる山田さんと井崎さんは、どんな顔をしているのだろう。もしかして笑われたりしていないだろうか。言い終わっているのに、ますます汗が出てしまう。
「あら、こんにちは。黒木君ね。ありがとう。あと、陽子ちゃんと悠子ちゃんも来てくれたのね。もう、泰史ったら、ねえ」

 泰史のお母さんは困っているような、笑っているような、不思議な表情をしていた。小学校の名前が入った茶封筒を山田さんが泰史のお母さんに手渡した。

「あの、泰史くんのおばさん、今日は泰史くん、元気なんですか?」
 泰史のお母さんは山田さんの質問を受け、困った表情を消し去り満面の笑みを浮かべた。
「そうね、実はね……」
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