第57話

文字数 1,159文字

 火曜日の昼休みだった。甲高い怒号が廊下に響いた。泰史だ。四年生までは奇声を発することも珍しくはなかったが、さすがに最近は聞かれなくなっていた。どうした? 少し遅れて運動場で合流しようと思っていた龍太は、慌てて廊下に飛び出した。昭の大きな背中が見える。孝弘もその右側にいた。足元で何かが動いている。
 しまった、と思った。大人が言う、ちょっと目を離した隙に、という感覚。龍太は駆け出した。

「おいっ! 何しとっとや!?」
「おお、龍太か。泰史が突進してきたからな。ちょっと足払いしたらコケてな」
 昭がこともなげに言う。何かきっかけがあれば、泰史が突進してくることは十分に有り得る。でも、足払いでコケさせたにしては、倒れ方が変じゃないか、と思う。
「泰史、大丈夫か?」
 龍太と、どういう訳か孝弘が同時に声を掛ける。なんだ、孝弘? お前、共犯やろが!
「ちょっと痛い。でも、多分立てる」
 そう言いながらも、構わないでほしいという態度で立ち上がった。そして泰史は一人、教室へ戻って行った。
「龍太、お前、また訛ってるな!」
「ダセっ」
 二人にからかわれ、恥ずかしくなったが、そんなことはどうでもいい。
「泰史が何したっていうんだ」
 ここはしっかり聞かないといけない。場合によっては、担任に報告だ。頼れるかは分からないけれど。
「だから、あいつが突っ込んできたんだよ」
「その理由があるんじゃないのかよ」
「今は、ないだろ。急に向かってきたんだ」
 少し音量を下げたその言葉。正直だな、昭。お前もう少し頭使った方がいいぞ、と龍太は思うが、もちろん声には出さない。
「今は、って何だよ」
 おっかなびっくりなところもあった龍太だったが、立場が逆転していくのが分かる。
「あっ、そうだった! じゃあ、俺、あっち行くわ」

 孝弘はそういう奴か。でも孝弘がいない方が、昭は一層正直になってくれる気がした。それに、この二人が束になってきたら喧嘩では勝てっこない。
 決まりが悪そうな昭を下から睨み上げる。ちょうど龍太の目は昭の唇くらいの高さだ。拳を突き上げれば、顎を殴ることができる。警戒を解かずに昭の言葉を待った。
「泰史のやつ、昨日練習でも調子こいててな。だからちょっとしめたんだよ」
「それで、泰史は仕返し、ってこと?」
「そういうことなんじゃないか、とは思うんだけど。やられたら、俺ももちろんやり返す」
 待てよ、最初にやり出した方がまたやり返していたら、ずっと止まらんが!
「泰史が調子に乗りやすいのは、俺も分かるけど。でもさっきのは……」
「やり過ぎたかな?」
 少しは反省しているのだろうか。
「先生が見ていたら、ヤバい状況ではある」
「内緒にしてくれるか、龍太?」
 ここで頑なになる龍太ではない。昭だってクラスメイトだ。しかも今やリーダー格。恩を売ることも大事だと思った。
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