第59話

文字数 1,086文字

 どうして三人が、いや山田さんが練習を見に来ているのだろう。しかもバックネットにいる。あそこにいるということは、チームの大人が許可した、ということ。監督である孝弘の伯父さんが認めるからには、孝弘絡みであの子たちはグラウンドに入っている。なるほど。あいつが誘ったのなら、山田さんがいるのも分かる。
 思いがけず山田さんの姿を見ることになって嬉しい気持ちもあるが、やはり悔しい方が強い。井崎さんが孝弘のことをキャーキャー騒いでいるはずなのだが、山田さんはどういう気持ちであそこにいるのだろうか。そうか、問題はそこだ。

 そして忘れかけていたが、泰史。あいつは練習に参加しているのだろうか。内野に再び目を向ける。足取りがしっかりしているのは二人。一人は背番号四。孝弘のようだ。そして同じくらいの背格好の背番号六。泰史ではない。見かけない奴だと思ったが、どうやらあれが孝弘の弟、孝幸。動きが軽快で、孝弘より上手にも見える。いや、返球はもしかしたら昭より鋭い。二遊間を守る松本兄弟か。カッコいいなあ、と一瞬思ったが、山田さんもそう思っていたらどうすっと? と頭を振った。目を細めて焦点を合わせようとしながら、三塁側に集まっている集団も観察してみた。新しいユニフォームの小柄な子が中心で、三年生たちのようだ。となると、そこにも泰史はいないだろう。

 それが分かれば、もう河川敷には用がない。彼女たちにも見つからないように、退散するのがいいだろう。山田さんの目がもしハート形になっていたら、それを見るのも辛い。ため息交じりに橋脚の裏へ回って、静かに土手を上った。明日の宿題でもするかな、と考えながら川とは反対側の斜面を降り、自宅へと向かった。

 自宅そばの街灯が点滅し、やがて光った。もう六時か。意外と長く河川敷にいたんだなあ、と理解する。泰史がいなかったこと。山田さんがいたこと。そして、孝弘の弟が本当に上手かったこと。これらが頭の中で渦巻いている。
 夕食は弟と二人だけだった。作り置きのメンチカツを半分くらい食べたことろで、母が戻ってきた。顔を見るなり、「なんか、元気なかね?」と声をかけてくれた。でも、どう言っていいか分からない。自分の力が及ばない、他人の領域。そんなものがある、ということを感じたのは初めてだった。となると、自分にできること、か。心の中で繰り返し、テレビを見ずに階段を上がった。母と二人で自分の見たいアニメを見ることができるからか、俊太のはしゃぐ声がいつもより大きい。気にはなるけれど、俺がやれることをする。差し当たって、それは勉強だった。今夜は集中できそうな気がした。
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