第49話

文字数 1,172文字

 音楽の時間までには、問題なく封筒の移し替えに成功した。泰史はトイレに、井崎さんは窓際に行ったその隙をついた。安心したが、封筒を包んでくれいている社会の教科書はずっと無事だろうか。心配事は尽きない。

 午後は体育だった。もう本番が近く、運動会の入場行進や開会式、閉会式などの練習だ。こういう時、全体の輪を乱すのは、泰史。腕の振りが小さいくらいでやり直しになるのもおかしい気がするが、他の連中はちゃんとやるのだから、泰史にもしっかりしてほしい。

 教室に戻る階段で、またあいつだよなあ。という声が聞こえる。泰史は気付いているのか分からないが、洋一郎と龍太にじゃれついてくる。邪魔だなあ、とも思うが、許してあげよう。
 着替えが終わり、帰りの会も済んだ。吾郎や泰史に声を掛けられないように、そっと教室を出る。塾の日は毎回、早く教室を出ようとするので、不自然ではないだろう。でも今日は図書室に寄らねばならない。山田さんがいるかは分からないけれど、行かなければならない。そういえば先週の「伊達政宗」は借りないままだったので、それを言い訳にしよう。そう思いながら渡り廊下を進み、図書室に入った。山田さんはいないようだった。

 わざとらしくゆっくり書棚を巡り、伝記のコーナーを見る。「伊達政宗」は見当たらず、六年生の名前を書いた代本板が入っていた。まさかと思ったが、自分の他にも伝記を読む人がいたことは、嬉しく思った。そうなると次の候補を探さないといけない。「武田信玄」と「毛利元就」で迷ったが、坊主頭が印象深い「武田信玄」を手に取ることにした。

 その時、山田さんが隣を通過し、家庭科の棚の前で立ち止まった。ついに来た。「武田信玄」を脇に抱え、彼女の後ろに回る。そして、声を掛けた。

「山田さん、今日は家庭科の本なんだ?」
「あっ、黒木君。そうそう、クッキーとか、作ったら楽しいかなあ、って」
「へえ、いいなあ。うちはそういうの、作ってもらったことない」
「そうなんだ。私はいとこのお姉ちゃんに教えてもらって、時々作るよ」

 誰にあげるのか聞きたいが、聞けない。それより、手紙のこと。泰史のこと。
「黒木君、今度は武田信玄? 怖そうな顔だね」
「うん、でも、すごい人だったみたい」

 ちょっと間をあけて、龍太が続ける。
「それで、泰史のこと。この前……」
「黒木君、助けようとしてたね。私、声出さずに自分が卑怯だなあ、とちょっと思った。ごめん」よし、やっぱり気にしてくれている!
「いや、そんなことはないよ。それで、手紙の返事なんだけど……」
「えっ? 別に返事は、大丈夫よ」
「いや、書いたから、さ」
「じゃあ、もらう」
「廊下、行こうか」
 少し周りを見回し、山田さんが答える。
「今日は、ここの方がよさそうだよ」
「ランドセルの中なんだけど」
「じゃあ、持ってきて。ここでまだ私は本を選んでいる」
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