第115話

文字数 1,193文字

 目を覚ますと八時を過ぎていた。文化の日で学校は休み。塾はあるが、夕方からだ。もう一回寝ようとも思ったが、入試は午前中にあるので午前に頭を働かせる習慣を作ろう、と四年生の頃から言われている。なのでベッドから出て、一階に下りて行った。テーブルではお父さんが新聞を読んでいた。まだ朝ご飯はできていないようだったが、お母さんは台所にいなかった。
「おはよう」と龍太から声をかける。
「おお、龍太。おはよう。よく眠れたとか?」新聞から目を離して父が尋ねる。
「うん、昨日算数の宿題を頑張って、疲れたのかな。ぐっすり」
「分からないところは、ないか? あれば今、みてやるぞ」
「例題見直したら、できた。大丈夫」
「なら、いいけど。分からない、できない、そういう問題はちゃんとやり直せよ」
「わかっちょる」そう言ったとき、母が入って来た。玉ねぎを三つ手にしていた。
「龍太、起きたとね。今朝はいただいた玉ねぎ、炒めるよ」
 東京と言っても龍太たちが住むのは多摩丘陵。農地もまだまだ残っている。畑や果樹園をもっている家も多い。泰史の家もそうだが、そういう家は農作物を近所に配ってくれたりする。宮崎の頃よりも貰い物の野菜が多いかもしれない。
「薬局に来られる患者さんね、結構野菜くれると。有り難いな」お父さんも言う。患者さんには泰史のお母さんもいるはずで、もしかしたらその玉ねぎは御手洗家からのおすそわけかもしれない。
「泰史のことから、もらったりもすると?」思わず聞いていた。
「これは違って、大村さんかな。小学校のお子さんはおられんね」お母さんはあっさりと否定した。
「御手洗さんとこ、去年の秋は茄子をいただいたけど、今年はまだやねえ。まあ、こっちから頼むもんじゃなかから」
 泰史との関係はむしろ去年より濃いのではないか、と龍太は思っている。泰史のお母さんが野菜を持ってきてくれるのは、患者と薬局という関係だけでなく、自分たちが同級生だからという面があるはずだ。濃い関係になったと思っているのは自分だけで、泰史にとっては迷惑だったということだろうか。「周りに誰もいない気がする」と学校での生活を表現していた泰史。なんだか急に不安になり、泰史の顔が見たくなってきた。
 玉ねぎとベーコン、そして卵を炒める香りが漂ってくる。龍太は母に言われ、弟の俊太を起こしてリビングに戻った。トースターから二枚、食パンが飛び出す。俊太はそれを見て突然元気になり、冷蔵庫からマーガリンといちごジャムを運び出してきた。四人で食べる朝食は楽しく、ゆったりとした午前の日差しが眩しい。が、龍太は先ほどから泰史のことが心にひっかかっている。しっかり炒められきつね色になった玉ねぎは甘みが出てすごく美味しいのだが、喜びに浸れない。
「食べたら、ちょっと遊びにいってくる」
 いつもなら前の日のうちに言うはずの台詞を朝食中に言い出したので、母が驚いて龍太を見た。
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