第88話

文字数 1,196文字

「ちょっと、杉田君、黒木君」吾郎と一緒にいた龍太は、四組の松野さんに話しかけられた。学校で久々に山田さんと会話できたから、塾の時間も楽しい。笑顔で松野さんに顔を向ける。
「今日、塾に来るとき、御手洗君が中学生といるところ、見ちゃったよ? あ、ところで黒木君、なんか嬉しそうだね」
 表情に出ていたことを松野さんにも指摘され、思わず赤面してしまう。が、松野さんは泰史を目撃したと言っている。真顔に戻って松野さんに質問した。
「えっ、間違いない? どこで見かけたの?」
「うん、そこの通り。自転車で、やっぱり何人かと一緒。たぶんあれ、六年生もいたかな? 見たことある私服の人もいたから……」
「その人って、ちょっと色黒で、西府(せいふ)ライターズの帽子被ってた?」吾郎が尋ねる。
「あ、そうそう、ライターのマークで水色の帽子」
「たぶん、六年の里田さんだ」西府ライターズはここのところ力をつけて来たパ・リーグのプロ野球球団だが、まだまだセ・リーグのような人気はない。でも里田兄弟は以前から西府を応援している。中学生のお兄さんはもうそんな帽子は被っていないだろうから、きっとそれは六年生の里田さんだ。お兄さんと同じくシニアのチームに誘われなかった。松野さんはプロ野球に興味はないようだが、ライターマークは印象に残っていたらしい。
「大通り、どっち方向?」龍太は落ち着いた素振りで松野さんに聞いた。実際のところ、心臓がバクバクしてきた。まさか、また悪いことをするつもりじゃないだろうか?
「うーんと、あっちからだから……。駅から離れる丘の方向ね」
 少なくともこれから万引きに行くとか、そういうことではないようだ。吾郎と目を合わせ、お互いに安堵したことを確かめる。
「ねえ、御手洗君って、万引きしたの?」わずかな間をおいて、松野さんが小声で聞いてきた。「それは……噂は聞いているけど、分かんない」龍太はそう答え、吾郎はうつむいてしまった。「まあ、噂は噂。私たちは勉強、頑張ろう!」

 龍太と吾郎はいつも通り、二人で夜道を歩いて自宅へと向かった。以前見たように、泰史たちが自転車で上から降りてくるのではないか、と思いながらも、話題はどうしても泰史のことになる。「やっぱり、里田さんが関わっているよな」吾郎がつぶやく。
「だね。自分はお(とが)めのないように、泰史にやらせたんだろうな。それでも泰史はあの人たちのところへ行くんだな」そう言いながら、龍太は悲しい気持ちがこみあげて来た。
「なんだか、つらいね。万引きして、怒られたりもしてるのに、そこから離れず、こっちに戻ってこれない」
「そうだな……。里田さん、相当脅してるのかもなあ。中学生、怖いし」
「中学生はどうしようもないかもしれないけど、六年生はなんとかならないかな?」
「龍太、そういえば、塾の太田さんって、六年三組じゃんな?」
「そうだと思うけど……。いや、受験が近いのに巻き込んだら悪いよ」
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