第107話

文字数 1,054文字

 五時間目のあと、山田さんの席に井崎さんがやって来た。井崎さんは孝弘の斜め後ろの席だ。そして井崎さんは龍太にも声をかけて来た。「黒木君、席、よかったね」
 急にそんなことを言われ、耳が熱くなってきた。山田さんも(うつむ)いている。恥ずかしいが、これって喜んで良い反応かもしれない。ちょっと気持ちが大きくなるが、こういうところを河田さんに見られるのも嫌だ。なので何でもないふりをする。
「悪くない。で、井崎さんは?」
「あの席は廊下が近いから楽だけどね」
 すると山田さんが井崎さんの耳元で何かを(ささや)いた。龍太には聞き取れない。井崎さんは目尻を下げ、山田さんを軽く叩いている。孝弘と同じ班であることを指摘されたのだろう。
「でね、黒木君。今月からも泰史君へのプリントお届けは、私たちがやるから……」
 と山田さん。
「だから、黒木君もまた行こうね」と井崎さんが続けた。
 龍太はぶっきらぼうに「ああ」と答えておいたが、心の中ではダンスが始まっていた。泰史とは毎週土曜日に遊ぶことになっているが、山田さんと行動を共にできるのは願ってもない機会だ。六時間目の授業を受けながらも、龍太は山田さんと泰史の家に出向くことを想像してしまう。井崎さんが一緒なのはちょっと邪魔だが、井崎さんがいないと会話がぎこきなくなりそうだし、何より他の連中にからかわれてしまうだろう。

 しかし月曜日は塾がある。今日は一緒に行けないな、と龍太は残念に思った。が、待てよ、と考える。この日の図書委員は六年二組が当番で、生き物係は五年四組だ。つまり山田さんも井崎さんも放課後の用事はない。もし帰りの会のあとすぐに出発すれば何とか間に合うかもしれない。そう期待し、帰りの会で最後の礼をしたあと山田さんの顔を見た。
「ん? どうしたの?」
「え、あの、今日は、泰史のとこ、いけるかなって」
「ああ、私、今日は図書室でちょっと本を借りるの。『ハウジィーズ』、面白かったよ。ありがとう」そう言って山田さんは、教室を出て行ってしまった。井崎さんも既にいない。が、教室には鈴原さんたちの声が響く。月曜日は野球の練習日だから、鈴原さんと中屋舗さんはこのあと河川敷へ行くはずだ。井崎さんは河川敷のグラウンドではなく、隣町の小学校に行くということだろう。井崎さんは、クラスで目立つ鈴原グループにいることよりもミニバスケットボールを選んだのだ。
 井崎さんがいないのなら、山田さんと二人っきりで泰史の家に向かう可能性があった訳だが、それはやはりダメだ。そう思い至って、この日の御手洗家訪問は諦めた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み