第77話

文字数 1,087文字


 見つからない方がいいだろうと咄嗟(とっさ)に考えた龍太は、左右を確認し急ぎ足で通りを横切った。それほど車通りが多い訳ではないので問題はなかったが、実際には危険な行為だ。弟の俊太には見せられないと思う。でもお陰で、泰史のお母さんには気付かれなかっただろう。そう思いながら自宅のドアノブに手をかけた。鍵がかかっていないので、母と俊太は既に家に帰っているようだ。「ただいまあ」と大きめの声を出し、二階に上がった。ランドセルを置き、ブルートレインの写真が貼られた筆箱を塾用の手提げかばんに移した。宮崎に住んでいた頃は時々駅まで見に行っていた憧れの列車だ。結局東京との往復は飛行機か昼間の特急と新幹線だったので、実際には乗ったことがない。いつかこれに乗って宮崎に行く日を空想して、居間へと降りて行った。
 俊太がおやつのプリンを食べている横で、龍太はいつものようにおにぎりを頬張る。今日は台所に母の背中がある。やはりお母さんがいるとほっとする。塾に行きたくないな、と一瞬思ってしまった。そんな気持ちを抑えて、おにぎりをぐっと飲みこみ、お茶を喉に流し込んだ。いつもより点数が悪いであろうことは、何となく伝えてはいる。それについてはしかし、母も父も何も言ってこなかった。だから余計に、頑張ろうと思った。そして、行ってきます! と家を出た。

 塾へ出掛ける時は、大通りを使わない。住宅街の通りを歩いて街中へと向かう。泰史のお母さんがまっすぐ家に戻るならば、ここで出くわすことはないだろう。そう思いながら商店街の入り口にある児童公園を横切った。ここを通れば一、二分は近道になる。ふと先をみると中学生二名と六年生一名、合わせて三人がジャングルジムに登っているのが目に入った。六年生だと分かるのは、それが里田さんだったからだ。小さな子が遊べなくなるだろうに、と不快な気持ちになったが、そんなことを龍太が直接言えるはずはない。絡まれたりしないよう、むしろ顔を背けて歩いていた。

「あの、泰史とかいうの、すげえな。小学校行かずに俺らとつるんで」
 聞くつもりのない彼らの言葉が耳に飛び込んできた。泰史、この連中とつるんでいる? 目が合うと、ガンを飛ばしたなどと因縁をつけられるので、その場は足早に通り過ぎた。こっそり振り返ってみると、中学生はタバコを手にしている。中学生が夕方、制服で堂々とタバコを吸う街。これを知って中学受験への決心を固めたのは、龍太自身だった。その問題児たちが泰史のことを話題にしている。以前一緒にいるところを目撃はしていたが、はっきりと言葉で聞いてしまった今、大きな衝撃を受け、同時に落胆した。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み