第87話

文字数 1,199文字

 二時間目後の休み時間、洋一郎と廊下に並んで校庭を眺めていた。低学年の子たちがはしゃぎながら昇降口に戻っていく姿をみて、一年生の頃を思い出す。細かなことは覚えていないが、宮崎の明るい日差しの中を何人かで走りながら、楽しかったという記憶はしっかり残っている。楽しい記憶。ここの小学校に入学時から通っている洋一郎や泰史にも、そういう過去があったはずだ。共通の経験が欠けている自分に、泰史を助けるなんてことは無理なのかもしれない。そう思った時、洋一郎が口を開いた。
「泰史が遠くにいっちゃった気がするよなあ。いろいろムカつくこともあったけど、ずっといないと寂しいし、しかもなんか、いたことを忘れそうな気がするよ」
「そろそろ二週間になるのか、泰史が来なくなって」龍太はそう言うと、宮崎の南国小学校ではとっくに自分は忘れられているんだろうな、と感傷的な気持ちになった。
「何しゃべっていいか、やっぱり分からないけど、でも、会いたいな。会えれば、何か言えそうな気がするよ、俺」窓を閉めて鍵をかけながら洋一郎はつぶやく。
「じゃあ、またあいつの家、行くか?」自然と龍太の口から言葉が出た。転校したわけでもないのに忘れられてしまう友達なんて、あってはいけない。そんな気持ちも芽生えてきた。

 昼休み前に図工室から戻る途中、山田さんと井崎さんが目の前を歩いていた。井崎さんがいるので会話は持つだろう、と打算的に考えた龍太は、二人の肩の間に向けて声をかけた。
「さっきの彫刻、難しかったね」
 すると山田さんが応えてくれた。「ああ、黒木君。黒木君は結構器用だね。私、あの彫刻刀ってなんかやっぱり怖い気がする」
「陽ちゃん、植物を切る刀、なんだっけ、剪定ばさみか。あれとそんなに変わらないでしょ?」
 それは随分違う気もしたが、話の続け方という点でナイスフォローだ、井崎さん。
「え、全然違うでしょ? 剪定ばさみは取っ手を持っていれば怖くないよ」
「私はどっちも怖くない。って言うか剪定ばさみ持ったことないや」
「なにそれー」
 会話に入り込めていないことを自覚した龍太は、話の流れをこちらに戻そうと考えた。
「彫刻刀ってだけど、この先使うことあるのかな? きっとないよね」
「確かに。でもやってみると面白いのかな。私は、下絵を書く方が楽しかったけど」
「山田さん、チューリップとかひまわりとか、花の絵柄だったね」
「あ、黒木君に見られたか! 黒木君は、あれ、大型トラック?」
「そうそう。俺、映画の『トラックヤッホー』が好きなんだ。ああやって全国を旅しながら仕事できるって、いいなあって」
「え、黒木君は転校、またしてもいいって思うの?」
「そういう意味じゃないけど」
 五年二組の教室に着いたとき、井崎さんがいなくなっていることにようやく気が付いた。
 山田さんにじゃあ、また、と言って自分の机に戻ると、隣で井崎さんが、明らかにニヤつきながら待ち構えていた。
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