第92話

文字数 1,173文字

 龍太たち三人は揃って足を止めた。クラスの女子、しかも一番目立つ鈴原さんが中屋舗さんと井崎さんを連れだってやってくる。鈴原さんは自転車を押していて、他の二人は徒歩。その二人は大きめのスポーツバッグを肩から下げている。野球チームの練習に行っていたのだろう。おそらく井崎さんの家を経由して、帰っていくつもりだ。
 泰史とキャッチボールをしていたところを見られなくて良かった、と龍太は思った。できれば今日は彼女たちに関わらずに帰りたかった。が、自分も含めて立ち止まってしまったのだから、接触しない訳にもいかない。肩をつつくと、吾郎が急にテンションを変えて叫び出した。「おーい、真由美! 野球行ってたのかー」吾郎は鈴原さんと幼馴染で、今でも下の名前で鈴原さんの事を呼ぶ。
 呼ばれて気付いたかのように、鈴原さんがはしゃぎだした。「あーっ、吾郎! こんなとこで会うなんて奇遇ねえ。ちょっと、待ってて!」そう言って小走りになった。井崎さんと中屋鋪さんも走り出す。泰史と遊んだことを鈴原さんに伝えていいのかどうか、龍太は判断しかねたが、こういう術に長けた吾郎にこの場は任せてみようと思った。洋一郎もそう思っているのか、黙って女の子たちが近付いてくるのを待っている。

「昭くんと孝弘くん、すごいよ。あとやっぱり弟の孝幸くんはセンスあるね。吾郎も続けていればよかったのにね」肩にかかった髪をかき上げながら鈴原さんは笑顔で言う。先ほど吾郎の力を見せつけられた龍太は、その言葉に納得しつつも、もう一人忘れているだろう? と言いたくなる。井崎さんの方に顔を向けると、彼女は視線を逸らした。「俺は、もうその上はないと思ったから。まあ、もういいんだよ。で、あいつらの凄さは知ってるからいいとして、真由美たち、役に立っているのか? マネージャーって、何してんの?」鈴原さんが、大きなやかんに水出しの麦茶パックを五つ入れて水道の蛇口とグラウンドを何往復もしたことや、ボール磨きを手伝ったことを誇らしげに語り、時々二人の女子が合いの手を入れる。龍太はそれを聞いて、大げさな表現なんだろうなあ、と感じてしまう。ふと井崎さんと、今度は目が合った。目と鼻の先にある彼女の家。早く帰りたいのだろう。

「で、吾郎と黒木くん、石黒くんは、何してたの?」自分の話が一段落したところで鈴原さんが質問する。さあ、吾郎? どう答えるんだ? 少しだけ間をおいて、吾郎が言う。「うん、俺らキャッチボールな。もう上は目指さないから、こいつらと。あそこの空き地でやった」下手くそ扱いされていることに気付いた洋一郎は不満そうな顔をしたが、黙っている。「あそこ? 悠子の家のそばね。広いから。ふーん」鈴原さんも、空き地が御手洗家所有だと知っているはずだ。でも、泰史のことは聞いて来ないし、吾郎も敢えて名前を出さなかった。
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