第122話

文字数 1,046文字

 山田さんは両手を後ろに組んだ姿勢で二人の前に立った。毎日顔を合わせているはずだが、龍太は自分の鼓動を意識する。緊張してしまうが、吾郎より先に声をかけなければいけないと思っていた。
「山田さん、今日は出かけたりする予定はないの?」
 泰史の話題から逸れてしまうのは何か違うと思うが、やはり挨拶のような会話も必要だと思う。ちょっぴり大人っぽい考えをした自分に、龍太は驚いていた。
「うん、今日はずっとうちにいる。あっ、そう、これ」
 そう言って山田さんは背後から包み紙を出してきた。多分、クッキーだ。龍太は思った。
「おおっ、クッキーじゃん! 山田が作ったの?」吾郎が素っ頓狂な声を出している。
「え? ダメかな? 黒木君は一回食べたよね?」山田さんが龍太の顔を覗きこんできたので、龍太の頬に熱がこもった。
「マジか、龍太。お前、山田手作りクッキーを既に……」
「あれは悠子も一緒だったわね。そうよね、黒木君?」吾郎の指摘を受け、山田さんは慌てた様子で龍太に問いかける。龍太はバタークッキーの味を思い出した。そして、あの時吾郎にはその件も報告したはずだと思った。
「う、うん。泰史のお母さんにクラスの状態を話した時だったよね。井崎さんと三人で。バタークッキーだったよね。おいしかった」
「あのときより上達したよ。……たぶん。チョコチップも入れてる」
「お熱いことだねえ。まあしかし、早速いただいていい? 腹減ってるんだ」
「もちろんだよ!」
「いただきます!」龍太と吾郎は声を揃え、そのまま齧りつく。しっとりとした食感があって、美味しい。
「うまいね」「おいしいよ」二人がクッキーを口に含んだままそう言う。山田さんは嬉しそうだ。
「それで、泰史くんのことなんだけど……」山田さんが本来の話題に戻してきた。
「そうだったな。何かあったの?」吾郎が問いかける。
 山田さんは龍太と吾郎とを交互に見つめながら、話を続けた。
「うん、実は昨日、うちのお母さんから聞いたんだけどね」だんだん山田さんの声量が小さくなっていた。龍太と吾郎は自然と山田さんに耳を近付ける。
「悠子のお母さんとそこで井戸端会議をしていたらしいのね、昨日の昼間」自転車置き場の先をちょっと指さして山田さんが続ける。
「そしたらあっちに見える泰史くんの家の前に、タクシーが停まっていたんだって。泰史くんのお母さんは自分で車の運転ができる人だから珍しいわね、ってお母さんたちは思ったのね。それでちょっと見ていたら、泰史くんとおばさんが一緒に乗ってね、行ってしまったんだって」
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