第121話

文字数 1,083文字

 ゆっくり漕いでいるとはいえ、二人は自転車に乗っている。頭上の声が背中に流れる。龍太はハンドルにつく左右のレバーを同時に握る。キキッと音を立て、龍太の自転車が止まった。その手前で、同じように吾郎も自転車を止めた。
「なんだよ、龍太」
「いや、上から呼ばれただろう?」
「あー、聞こえないフリはできないよねえ、龍太君」
 後ずさりしながら龍太の横に並んだ吾郎は、
「それじゃあ、行きますか」とささやいて進行方向を変えた。吾郎に従う格好になってしまったが、その方が山田さんに対しての好意を誤魔化せる気がした。

「やまだぁ、よく俺たちに気付いたなあ!」一言目を吾郎に奪われた。
「たまたま顔出してたら、自転車が向こうから二台来てたの。小学生っぽいけど、運動の帰りじゃなさそうな感じだし、誰かなあ、って」
「それじゃあ、俺たち、運命の出会いかもな!」
 そんなことを言い出したので、龍太は思わず肘で吾郎をつつく。
「川の方から来たけど、何してたの?」
「ちょっと二人でサイクリング。走ってただけだけど」ようやく龍太が声を出した。
「今日は天気もいいし、気持ちよさそう。今なら河川敷、小さなアサガオとか見つかるね」
「そんなの俺らには目に入らないな。ススキとかネコジャラシしか分からない」吾郎が悪気なく続けてしまう。
「ネコジャラシ? ああ、あれは……」
「エノコログサだよね。俺これは知ってる」生き物係になって以降、時々植物の名前を確認していた龍太だが、それを山田さんにアピールすることに成功した。
「えっ、黒木くん、すごいね」
「ははは、たまたま知ってるだけだけどね」
「ほんと、たまたまだろうな。はっはっは」吾郎にはそう合わせられたが、この方が自然な流れに思えた。
「ところで山田さん、泰史の家、やっぱりいないみたいだよね?」
 少し間をおいて龍太が問いかけた。昨日の夕方から何か新しい情報が、山田さんのところに入っているかもしれない。
「ああ、うん。その話は……。ちょっと、私、下に降りるから、自転車置き場の方に回って」
 山田さんはそう言って部屋に引っ込んでしまった。アパートへの入口は道路の反対側に位置している。川のある方向に少しだけ戻り、角を右折するとすぐに未舗装の小道が見える。その奥にアパートの自転車置き場があり、いくつか集まった郵便受が見える。その手前で自転車を降り、スタンドを蹴った。
 ほどなく軽快な音が聞こえて来た。だんだん大きく、速くなってくる。その音が途切れてからの一瞬が、龍太にはより長く感じられた。
「お待たせ!」そう言って顔を見せる山田さん。淡いピンク色をした薄手のセーターがよく似合う。
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