第136話

文字数 1,147文字

 泰史のお母さんがリビングに戻って来た。子どもたちがドーナツを食べ終え、それぞれが缶ジュースをテーブルに置いている様子を見て言った。
「あらあら、陽子ちゃん。飲み物まで持ってきてくれたの? ありがとう」
 山田さんは笑顔で頷いていたが、間髪入れずに泰史が口を開いた。
「お母さんのドーナツも一個あるんだ」
 そう言って箱を指さす。泰史のお母さんが箱を覗き込んで表情を崩した。
「あら、これ美味しいのに。悪いわね、じゃあ早速いただくわ」
 紙に包んでハニーディップをつまみ上げ、その場で立ったまま頬張った。その姿に龍太は何となく違和感を覚えた。
「ご馳走様。ところで陽子ちゃん。そのグローブ、かわいいわね」
 泰史のお母さんが山田さんの足元に置かれたピンク色のグローブを見て尋ねた。
「ありがとうございます。これは親戚のお兄ちゃんと一緒に買ってもらったやつですけど、全然使ってなくて」
「へえ、じゃあ興味はあったのね、野球に」
「まあ、少しは。でも泰史くんも他のみんなも上手過ぎて、難しいです」
 山田さんがそう言うと、泰史が口を挟んだ。
「上手いっていうか、山田、下手過ぎる」
 龍太は思わず泰史を睨んだ。泰史は構わず言葉を続ける。
「そういえば何で今日は、入って来たんだ?」
 前にそう聞いていたとはいえ本当に来るとは思っていなかった龍太も、その答えは聞きたい。瞼に入った力が抜けていく。
「毎週楽しそうな声を聞いていたら、覗いてみたくなっただけ」
 ちょっと声量を落として山田さんは言った。その後沈黙が訪れた。皆のジュースを飲みこむ音が、リビングに響く。沈黙を破ったのは泰史のお母さんだった。
「子どもはみんな仲良くが一番よ。このあとはどうするの?」
 四人の視線が泰史に向かった。このメンバーの行動は泰史次第なのだ。
「ゲームしたいな」ほんの少しだけ考えて泰史は言った。これまでゲームの話を山田さんがしたのは聞いたことがない。これでは山田さんが帰ってしまうのではないかと龍太は思った。
「五人だとファミゲーもやりにくくない?」コントローラーをもって実際にゲームをするのは二人までだ。四人でいるとき、そのうち二人は画面をみているだけになっている。三人が傍観者というのは楽しく過ごせない。
「なんでだよ、四人も五人も同じだろ」泰史はそう言って立ち上がった。山田さんは黙って泰史を見ていた。
 雰囲気を察したのか、洋一郎が泰史に問いかけた。
「いや、泰史。ゲームも面白いけどさ、やっぱ今日はもう一回外に行こうよ」
「だってさ、キャッチボールだって、思い切りできる訳じゃねえし」
 山田さんが俯いてしまった。泰史のお母さんはリビングからいつの間にか姿を消している。
「じゃあ、ボードゲームやろうよ。財産ゲーム、持ってたよね、泰史?」吾郎がそう提案した。
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