第133話

文字数 1,086文字

 勢いがないものの、ボールは龍太の近くまで転がって来た。そのボールを龍太が拾い、泰史に投げる。泰史は無言でボールを取り、すかさず吾郎へと投げる。吾郎から洋一郎。そしてまた、山田さんへ。しかしやはりそこで流れが滞る。これを何度も繰り返した。皆、口では言えないものの、山田さんがこのキャッチボールをつまらないものにしていることは明白だった。このままいくと山田さんが可哀そうだ。そう思った龍太は自分が犠牲になることにした。
「なあ、ちょっと疲れて来たな。休憩しようよ」
「はあ? まだ疲れてなんかねえぞ!」と泰史が叫んだが、吾郎がそれをたしなめた。
「いや、ちょうどいいんじゃない? 俺は喉が渇いてきたよ」
 するとちょっと申し訳なさそうにしていた山田さんが笑顔になり、
「いいね! 今日はね、お母さんがムッシュドーナツを沢山買ってきているの。みんなで食べよう!」と言った。
 キャッチボールのあと泰史の家で用意されたおやつを食べるのが定番だったので、洋一郎と龍太が顔を見あう。その泰史は、
「ムッシュドーナツ。いいね。俺、あのモワモワしたギザギザのやつが好きなんだけど、ある?」と気にしていない様子だった。
 そこは安堵した龍太だったが、女の子の家に男子四人が入り込むのはどうか、とも心配し始めた。いや、正確には山田さんの部屋に自分以外の男子が三人も入っていくのは嫌だと思った。そんな自分を意識してしまうと却って言葉が出てこない。
そんな龍太を知ってか知らずか、山田さんは「箱ごと持ってくるから、待っててね」と言い残して駆けだした。そうか、ここで食べるのか。と思い安心して吾郎と泰史とに近付いた。泰史にこの数日の話を聞こうと思っていた。
「あ、そうだ! 缶ジュースもあるから手伝って、黒木くん!」と不意に山田さんから声がかかった。すると泰史、吾郎が一緒になって山田さんの方を指さし、「ほら龍太、ご指名だぞ」と笑っている。洋一郎もちょっと含みのある笑顔で近付いてきた。
「わかった。行くよ!」と声を出し、龍太は小走りで駐車場の入口へと向かった。

 駆けながら龍太は思った。なんだか山田さん、今日は特に明るいな。やっぱり泰史が戻って来て嬉しいんだろうな。この前は「そんなんじゃない」と言っていたけれど、幼馴染の泰史への何らかの感情はあるんだろうな。そうすると自分は、こうやって便利に使われる存在なのかもしれないな。
 そう思いつつも山田さんと並んでアパートの階段を上った。山田さんの家に他の男子と入りたくない、と咄嗟に思っていた自分が今、一人だけこの場にいるという事実に気が付き、むしろ足が重くなっていた。
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