第141話

文字数 1,153文字

 このまま階段を下りていって、山田さんは出かけてしまったと吾郎に報告してしまえば今日は終わりにできる。龍太はそう思った。山田さんに会って気持ちを伝えたいとも思うのだが、そうするとことで今までの関係が壊れてしまうのが怖かった。もしかするともっと仲良くなれるのかもしれない。勿論そうも考えるが、もっと仲良くなることが良いことなのかもわからなかった。
 数段下に下りてみて、龍太は再び考えた。でもこのチャンスを逃したら、自分は一体いつ山田さんに告白するんだろう。吾郎の言う通り、来週になったら出来るなんてことは、ないだろう。その前に、告白だなんてとんでもない。泰史の態度がああなってしまったのが山田さんのせいではない、と言いに来ただけだ。それならば、確かに今伝えなければ効果はないだろう。いや、効果って何だ? それは、山田さんに好いてもらうことだ。
 二階へとつながる踊り場で龍太の足が止まった。やっぱり行こう。龍太は決心して再び階段を上った。そして今度は、三階の廊下へ体を向けた。数時間前に山田さんが出てくるのを待っていたその場所に、龍太は戻って来た。
 木製の扉を前に息を整え、右にあるプラスチックでできた呼鈴を確認した。これを押してしまったら、山田さんとの関係が変わる可能性がある。それがプラスの方向になると、今は信じるしかない。思い切って緑色のボタンを押した。
 このアパートの呼鈴にはインターフォンが付いていない。扉の向こうから足音と、それに続いて「はーい」と声が聞こえて来た。山田さんのお母さんだ。逃げ出したくなる気持ちをぐっと抑えて、龍太は扉の前で背筋を伸ばした。
 程なく扉が龍太に向かって来た。当たらない位置に立っていたはずの龍太だが、一歩だけ後ずさりをした。
「あら、黒木くん。どうしたの? ちょっと待ってね。ようこー」
 こちらが返事をする間を与えられることなく、お母さんは山田さんを呼んでしまった。ここに戻って来た理由を山田さんのお母さんに説明するのは気恥ずかしかったので、かえってよかったと思うようにした。
「えっ? 黒木くん? 何なに、どうしたの?」
 そう言いながら山田さんが玄関に近付いてきた。山田さんは泰史の家にいた時と違って、薄い灰色のトレーナーを着ていた。遊びから帰ってもすぐに着替えない自分と違って、やっぱり女の子なんだな、と龍太は思った。
「うん、なんだかいい感じでバイバイができなかったし」
 どう話を切り出すのがいいのか分からない。焦る気持ちを抑えながら龍太はなんとか声を出した。
「そうだね。泰史くん、気持ちが不安定だから。気まぐれっていうか。昔からだけど」
 山田さんは笑顔を向けてくれるが、その笑顔に寂しさが混じっていると龍太には感じられた。やっぱり自分のせいだと思っているのだろうか。
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