第三章 二十三話 「殺戮と沈黙のジャングル」
文字数 4,501文字
「念のため、部隊を二つに分ける。」
十二人の中で最も階級の高い曹長がそう命じるとともに、追跡部隊は六人ずつの二つのグループに分かれた。全滅を避けるための策だったが、同時にお互いが孤立しないようにするため、援護できる距離を維持して偵察を再開した二つのグループの内、先頭のグループは一班の指揮官だった曹長が指揮を務め、その後ろに続くもう一つのグループでは二班の班長が指揮を執った。
先行班の一番先頭に立つ兵士はXM-2生体探知機を背負っていた。これは兵士が武装として携行するM16の銃身に取り付けられた検知器が銃口と同じ方向を向いて、その先のアンモニア濃度を検出しており、そのデータが太い電気コードを通して、背中に背負った強化樹脂パックの本体内部の機械に送られ、最終的にその機械が検出結果を分析して、よりアンモニア濃度が高い場所、つまり人間の活動痕跡がある場所を使用者に知らせるという優れ物であり、かつてMACV(南ベトナム軍事援助司令部)がジャングルの中に身を隠すベトコンをあぶり出すために開発した先進機器だった。その生体探知機が高濃度のアンモニアを検出して、探知の警報を本体上部から伸びた強化コードを通じて、背負い手の民族戦線兵士のイヤホンから伝えたのは、四班、五班との通信が完全に途絶えて十分ほどが経った時であった。探知機を背負ったポイントマンの兵士が右手をあげて、無言で後方の仲間に停止を伝えると、分隊の六人全員が同時に一時停止した。右手にMAT-49短機関銃を握った曹長は左手を振りながら背後を振り返り、後ろの班にも停止を命じると、ポイントマンのすぐ後ろについて、無線機と同じ大きさの探知機を背中に背負った部下の左肩を静かに叩いた。
それを合図にポイントマンの兵士は振り向くことなく、静かに前進し始めた。イヤホンから流れる探知音は一歩一歩進む度にますます強くなっていく。ポイントマンは探知装置の検出器がついたM16A1の銃口を地面に突き出して構えた。数メートル後ろで五人の仲間が見守る中、ますます間隔の短くなる探知音の連続に、ポイントマンの兵士は額から冷や汗を吹き出しながら、装置が反応する茂みを掻き分けて、ゆっくりとその正体を確かめた。
茂みの向こうから敵が飛び出して来ようものなら、すぐにでも銃を撃てるように引き金に指をかけて茂みをかき分けて進んだポイントマンだったが、結局彼の前に敵が現れることなく、装置の反応はゆっくりと収まっていった。すでに後ろにつく仲間との距離は十メートルほど離れている。ポイントマンは、何が起こったのかわからず、固まったが、突然鼻をついた刺激臭にまさかと思い、自分の脇に生えている象草に顔を近づけた。
小便くさい刺激臭が彼の鼻をつき、顔をしかめたポイントマンは葉の上がしめった象草に向けて探知機のついたM16A1を向けた。途端に、探知音の間隔が短くなり、探知機が再び警戒を伝え、先程まで神経を逆撫でしていた警戒音を聞いて、ポイントマンは逆に安心した。XM-2生体探知機はアンモニアを感知する性質上、動物やその小便に誤って反応してしまう場合も多い。そんな欠点が故にアメリカ軍にも制式採用されることはなかった探知装置を背負ったポイントマンの兵士が付近を見回して見ると、周囲の他の草木にも同じ刺激臭を放つ液体が付着していた。きっと何かの動物が排尿したのだろう。ポイントマンの兵士は、緊張から解き放たれて、笑顔で背後の仲間に手を振って何事もなかったことを伝えたが、その瞬間、強い違和感が彼に襲いかかった。
何故こんな狭い空間に集中して、高い草木の上から下まで尿が塗りたくられているのか、明らかに自然ではないその状況に疑問を感じ、ポイントマンの兵士が一瞬の恐怖に襲われるよりも先に、彼の体はすぐ間近で爆発したM18A1クレイモア対人地雷の爆風を受けて粉々になった。秒速一二〇〇メートルという高速で放たれた鉄球の嵐が、衝撃波とともに十メートル離れていた民族戦線兵士達にも襲いかかり、身を低くしていたお陰で致命傷を免れることはできた五人のベトナム人兵士達は、しかし全員が地面の上を転がされ、しばらくの間、正常な視覚と聴覚を奪われたまま、地面の上に這いつくばることとなった。
突如、前方のグループの前で生じた爆発に、後方のグループの民族戦線兵士達が呆然としていた時、彼らの背後で肉を切る鈍い音がし、後ろを振り返った兵士達の目の前で、部隊の一番最後尾についていた兵士が首から血を吹き出していた。その陰から飛び出して、他の五人の民族戦線兵士に飛びかかった黒い影…、泥と草木の偽装を全身に被ったクレイグ・マッケンジーは腰を低くして次の目標に近づきつつ、十メートル離れた先で五六式自動小銃を構えようとしていた兵士に、先程、首を掻ききった民族戦線兵士の血が滴るマークⅡ・ガーバーナイフを投げつけた。
宙を飛んで、正確に狙ったナイフが民族戦線兵士の右肩に刺さり、その痛みにベトナム人兵士が叫び声をあげると同時に、彼の手に握られた五六式小銃が暴発してフルオートの銃声を放つ。その銃声と悲鳴に、密集していた民族戦線兵士達はパニックを起こし、彼らが統制を失っている一瞬をついて、クレイグは一番近くにいた民族戦線兵士に組ついた。向けられたモシン・ナガンM1944ライフルの銃口を脇に避けつつ、流れるような動きでタクティカルベストの右脇腹に取り付けた鞘からバルカンダイバー・ナイフを取り出したクレイグは、接近した勢いで兵士の左腕に切りつけつつ、その後ろに回った。敵兵士が動揺している間に後ろに回り込んだクレイグは右腕で兵士の右手を拘束しつつ、左手に握ったバルカンダイバー・ナイフを兵士の首もとに突きつけて、ようやく臨戦体制の整った他の民族戦線兵士達の方に向き直った。
後ろから羽交い閉めにされ、ナイフを首元に突きつけられて動けない兵士と、敵にほんの数メートルの距離に迫っているにも関わらず、仲間を肉の盾として人質に取られているせいで、引き金を引くことができない四人の民族戦線兵士達…。バルカンダイバーナイフの刃が兵士の首もとに食い付き、その刀身にわずかに血が滲む。人質を取った状態でゆっくりと後ずさりするクレイグ、そしてその動きに合わせて一緒に動くベトナム人兵士達…、永遠に続くかと思われた膠着と緊張状態だったが、その終わりは突然訪れた。
地面から突き出た木の根に、後ずさっていたクレイグが躓き、わずかに体制を崩したタイミングを見逃さなかった民族戦線兵士が動かせる左腕で後ろから羽交い締めにするクレイグの脇腹に肘を入れつつ、その拘束から逃れたのだった。事態は一瞬の内にベトナム人兵士達に有利に傾くと思われたが、体制を崩したことも兵士を拘束の中から逃したことも全てクレイグの計算の内だった。
体制を崩したと見せかけ、後ろにのけぞった体を前にかけて一気に踏み出しながら、クレイグが前方に投げつけたバルカンダイバーナイフは拘束を解かれた兵士の頭のすぐ脇をかすめると、その数メートル先で五六式小銃を構えていた兵士の額に突き刺さった。クレイグが体勢を崩してから、兵士が拘束から逃れ、その後ろから飛んできたナイフが別の民族戦線兵士の額に刺さるまでに流れた時間は本の一秒足らずであり、殺されなかった民族戦線兵士達が目の前で起こったことを本当に理解し、反撃を始めた一秒後にはクレイグはすでに背後の大木の影に身を隠していた。
虚しく連続する銃声とともに、クレイグの身代わりとなって銃弾を受けた木の幹が弾け飛ぶ中、先程まで拘束されていた若い兵士が叫びながら、手にしたモシン・ナガンを構えて、木の向こう側に突撃した。彼としては仲間の命を奪うための餌として自分が使われたという事実が我慢ならなかったのだが、そうして理性を失って戦うことこそが戦場においては死を呼び寄せるのだった。木の右横からその裏側にいるはずの敵を追いかけようと飛び出したと同時に、木の陰から振り出されたM1942マチェーテの長い刃が若者の左足首を切断し、悲鳴とともにモシン・ナガンを暴発させた若い兵士は、だが次に踏み出すべき足を失って倒れた先で虎ばさみ式のパンジ・スティック・トラップに正面と左右から頭部を押し潰され、即死した。それと同時に木の左側から躍り出て三人の民族戦線兵士達の前に再び飛び出したクレイグに向かって、三人の自動小銃が一斉に火を吹いたが、人間離れしたクレイグの俊敏な動きに彼らの放った弾丸は一発も命中せず、コンマ数秒後には三人の真ん中に転がりでたクレイグが一番近くにいた兵士の左胸にランドールM14アタック・ナイフを深く突き刺し、その兵士が息絶えるよりも先にナイフを抜き出したクレイグは流れるようにして残り二人の間にも滑りこんだ。同士討ちを防ぐために銃を撃てず、またお互いに接近しすぎていた兵士達の中間に滑り込んだクレイグは、まずは右側の兵士の片足を次に左側の兵士の片足をといった風にして、二人の足、腰、腹、胸に交互にランドールM14アタックの刀身を差し込んでいき、最後に片方の兵士の首を掻ききって絶命させた勢いのままで、急所を尽く刺されて瀕死の状態で座りこんでいるもう一人の民族戦線兵士の後頚部にも上からランドールM14アタックを差し込んで止めを刺そうとしたが、突如、右手から迫ってきた灼熱の火炎がそれを封じた。瀕死の敵兵を盾にしつつ、左手に転がるようにして回避したクレイグだったが、それでも戦闘服の一部には炎が燃え移った。炎を避けた先で、さらに銃弾の嵐に追撃され、動物の如く俊敏な動きで茂みの中に飛び込んだクレイグは銃弾を受けた右脇を押さえつつ、蛇のような動きで地面の上を体を低くして滑っていった。
地雷の爆発から立ち直り、ようやく体勢を整えたもう一つのグループの民族戦線兵士達が後方のグループが攻撃されているのに気づいて、応援に駆けつけたのだった。クレイグの消えた辺りの茂みに接近した彼らは辺り一帯に、さらに多数の銃弾を叩き込み、それに続いて火炎放射器の炎を撒き散らした。ガソリンとタールの混合燃料に火をつけて作り出された人口の火炎がジャングルの茂みを数十平方の広さに渡って焼き払う中、炎の中に撃ち込まれた銃弾の火薬が爆ぜる音ただそれだけが、繰り返される殺戮に沈黙した森の中に響き続けた。