第三章 九話 「旧友の影」
文字数 2,690文字
「あと何分だ!」
サンダースが眼下を高速で流れる山岳の光景を見つめながら、パイロットのハル大尉に叫んだ。
「十分です!少佐!」
「Shit….」
隊内無線越しにハル大尉から返ってきた返答にサンダースは苛立ったが、彼に今の状況を変えることはできず、代わりに焦りと怒りを悪態にして、口から吐き出した。
増援を乗せた二機のブラックホークは南東へ向かって、全速で飛行していたが、彼らとウィリアム達との距離は直線距離にして、まだ五十キロも離れていた…。
サンダース達がブラックホークの機内で歯がゆい思いを噛み締めている時、ウィリアム達は既に最初の防衛ラインから三十メートル後退した位置で迎撃戦を展開していた。軍事顧問団基地での戦闘で、かなりの量の弾薬を消費していた彼らは弾切れの危機に直面しており、ウィリアムの隣ではアーヴィングが弾倉の空になったストーナー63Aに新たな五.五六ミリNATO弾の百五十発弾帯を装填していたが、それが彼の携行する最後の弾帯だった。アールの使用する軽機関銃の残弾も現在装填中の数十発に加え、百五十発弾帯が一個分しかなく、ウィリアム達は機関銃の庇護さえも失う可能性があった。ウィリアムやリー、クレイグ達も弾丸の入った弾倉の残りがあと僅かとなり、敵一人に一発の弾丸を急所に撃ち込んで確実に仕留めようとしていたが、死をも恐れぬ様子で突撃してくる民族戦線の兵士達は頭以外であれば、例え足を撃たれたとしても、這ってでも、ブラボー分隊の隊員達に組み付こうするので、期待していたほどには弾薬の消費を押さえることが出来ずにいた。
撃っても撃っても、その後ろから次々と飛びかかってくる民族戦線の兵士達になるだけ冷静で正確な射撃をしようとするウィリアム達の上空で、再び砲弾が空気を裂く甲高い落下音が響き、ウィリアム達が地面に身を伏せた瞬間、彼らのすぐ間近に迫撃砲弾が炸裂し、ウィリアム達に数メートルの距離まで迫っていた民族戦線兵士達の体が爆発の衝撃波で粉々に砕け散った。
肉片が混じった泥土が頭上に降り注ぐ中、体勢を立て直してM16A1を構えたウィリアムが、砲弾の爆発によって巻き上げられた硝煙の向こうから突撃してくる民族戦線兵士達に照準をつけ、単連射を始めた時、彼の右方向、川の方向から今度は別の機銃掃射がブラボー分隊の隊員達に向かって浴びせられた。熱帯樹の太い幹に風穴を開け、地面を激しく掘り起こす大口径弾の機銃掃射…、川からの攻撃…。
まさか…!
ウィリアムの脳裏に最悪の可能性がよぎったのと、川に最も近い位置で防衛線を張るアールが隊内無線に叫んだのは同時だった。
「大尉!敵の哨戒艇が戻ってきました!」
やはりか、と認めたくない現実を目の前に、だが指揮官として逃げる訳にはいかないウィリアムは隊内無線を開いて、次の指示を出した。
「ジャングルのほうに戻る!イアン、アール、哨戒艇を牽制してくれ!全員、前方の敵の動きを封じつつ、左後方、北西のジャングルに退がる!」
アールのストーナー63LMGの機銃掃射がPCF高速哨戒艇の甲板の上を跳ね、イアンが重機銃手の頭を狙撃して、哨戒艇の攻撃能力を弱めた隙に、ウィリアム達はお互いに援護しつつ、左後方へ後退して、ジャングルの方に向かって走った。
その時、後退するウィリアム達の後方では、ジョシュアが銃撃戦に怯えて震えているユーリ・ホフマンの盾となり、XM177E2カービンで応戦しながら、背中から下ろした野戦無線機を操作し、本部との回線を何とか繋ごうとしていた。
「くそ…、なんで繋がらないんだ…!」
一向に回線の繋がらない無線にジョシュアが苛立ちの言葉を吐いた次の瞬間、彼とユーリの間近に八十二ミリ迫撃砲弾が着弾し、爆発の衝撃波が地面を吹き上げると同時に、極度の緊張状態で震えていたユーリの神経は限界を越え、ジョシュアの脇でうずくまっていた彼は、わっ、という叫び声とともに立ち上がって、一人後方のジャングルへと向かって走り出した。
「おい、待て!」
繋がらない無線機に意識を集中していて、反応が遅れたジョシュアは無線機を放り出すと、銃弾が飛び交い、砲弾が炸裂するジャングルの中を、走るユーリの背中を追いかけた。
丁度、同じタイミングでアーヴィングに援護を任せ、後方に撤退しようと後ろを振り向いたウィリアムは走って逃走するユーリとその背中を追うジョシュアの姿を二十メートルほど離れた先に見つけ、同時に二人の走る先の茂みに陽光を反射して光るものを視認して愕然とした。
敵の別動隊…?挟まれたのか!
擬装を施していても、明らかに自然のものとは異なる無機質な雰囲気を醸し出している重機関銃の周囲に、多数の蠢く影を見つけたウィリアムは隊内無線に新たな敵の存在を伝えようとしたが、同時にその余裕がないことも悟った。ジョシュアに追いかけられながら、錯乱状態で走るユーリと待ち伏せする敵との距離は、もう既に二十メートルも離れていなかった。
無線を開いている間に、回収目標が殺される…。
最悪の事態を予測したウィリアムはM16A1を構え、アンダーバレルに装着したM203グレネードランチャーのトリガーに指をかけた。敵は複数人、一発ずつしか撃てないライフル弾よりグレネードの方が有効だという判断だった。ウィリアムは即座にグレネードランチャーの照準をアンブッシュする敵の一番最前線につけた。今ならユーリも敵と距離が離れている。グレネードの爆発の巻き沿いも食らわないはずだ。
今しかない…。
ウィリアムはM203グレネードランチャーのトリガーにかけた指の力を強めた。だが、引き金をあと少しで引ききろうとしたところで、爆発の硝煙が覆った視界の向こうに、"彼"の姿が現れた。
「駄目だ…、今は止めてくれ…。」
構えたM16の照準の先に現れた"彼"の姿を頭から振り払い、ウィリアムはM203の引き金を引ききろうとしたが、金縛りにあったかのように体は動かず、そもそも先ほどまで狙いをつけていたはずの敵の姿さえも彼の目の前から消えていた。居るのは"彼"とウィリアムだけ。硝煙に包まれた二人の周囲は一九六七年八月のベトナム、第一騎兵連隊に襲撃されたチューチリンの村だった…。